ta陷楽隊 THE CAVE IN

北京語:ターシェン(Taxianは地盤が落ち込む、へこむの意味)

 北京のハードコアバンド。1999年3月に結成。結成当初は専任ボーカルがいなかった。しかし、諸事情により4月には李洋(B)が脱退、リズムギターの楊濤も脱退する。そのため、メンバーは張磊(リードG)と周曉飛(Dr)の2人だけであった。バンド存続の危機に見舞われたが、6月には、張新偉(B)が加入、9月には李洋と楊濤(G)が復帰した。李洋はボーカルを担当するようになる。そして、この時からハードコアバンドに変容する。同年末、西安でライブを行った。

 2000年5月には、日本独自企画オムニバス『北京絶叫』に作品が収録された。同月、朋友倶楽部でのライブの際、臧天朔の注目を浴びる。その後、尹迪(G)が加入する。7月8日、朋友倶楽部で行われた、小曹賀のためのチャリティーライブに参加した。7月9日、“万博苑世紀文化広場”露天音楽会に出演した。10月31日には、豪運酒[ロ巴]で行われた万聖節記念PARTYに参加した。同年、正大国際唱片公司と契約したのを機に、北京男孩楽隊と改名した。

 しかし、2001年後半になり、バンド名を再びta陷楽隊に戻して活動を始めた。9月23日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。10月4日には、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。2002年前後、インディーズで『故意傷害』を製作した。

2003年の写真
左から:
尹迪・宋濤・李洋・張磊・周曉飛
(DEMO『
ta陷』のカバーデザインより)

 2002年6月22日、起点酒[ロ巴]でライブを行った。6月30日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。9月26日、CD CAFEでライブを行った。

 10月、臧天朔が設立した北京有戯文化伝播有限公司と契約した。そして、バンド名を再度北京男孩楽隊と改名した。

 2003年、DEMO『故意傷害』がタイトルを変更して再発売となった。

2000年の写真

 

●インディーズアルバム

タイトル 出版 発行 製作 発行年 品番 地域
故意傷害     自主製作 2002 記載無し(CD版) 中国
ta陷     自主製作 2003 記載無し(CD版) 中国

 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考
[イ尓]不給我麻薬 北京絶叫 2000/5/10 2000年3月2日の朋友倶楽部で行われたライブの音源
体験 北京絶叫 2000/5/10 2000年3月2日の朋友倶楽部で行われたライブの音源

 

●関連サイト(→北京男孩楽隊

BEIJING SCREAM」(日本語)
北京絶叫』のホームページ。アルバムの解説や歌詞など、すべて掲載されている。試聴することもできる。

 

MENU