呸楽隊

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呸楽隊
Pei 11.jpg
2004年2月の写真。左から:大飛・王川・RICO・小付・CONNIE。(写真:PHEW
基本情報
中国語名(簡体字)
中国語名(繁体字)
拼音 Pei
発音転記 ペイ
英語名・外国語名 The Phew
別名 Phew
出身地 北京市
ジャンル パンクグランジブリティッシュロック(2001年以降)
活動期間 1999年 - ?
影響 新褲子楽隊・NIRVANA・OASIS・RAMONES
メンバー RICO
小付
大飛
CONNIE

呸楽隊(ペイ、Pei)は、2000年代前半、北京市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

  • VIKO リズムギター(1999年春? - 2001年?) -- 初練習前に加入。
  • 王川 ボーカル(2001年 - 2004年?) -- 海外留学のため脱退。

マネージャー

経歴

1998年夏、大飛がRICOと知り合い、2人でバンド結成を考える。歌詞にはパンクの要素が入っていた。

1999年、蚯蚓が加入した。しかし、メンバーは楽器を持っていなかった。バンド名はこの時、蚯蚓が英語の辞書を調べながら、パンクスピリットに合う名前「PHEW」とした。当初は大飛はギターを、RICOがベースを弾く予定であったが、RICOが数回練習を行なった後、ベースは合わないと考え、ギターに転向し、大飛はボーカルベースを担当した。同年春、この頃創作した曲は、「人民就像是猪」・「一号厕所」・「你能把我怎么样?」などである。初練習前、CONNIE(Key)やRICO(G)が加入し、5人編成となった。ただ蚯蚓は初練習の時にドラムに合わないことが分かり、CONNIEにドラムを担当してもらうことになった。蚯蚓はマネージャーとなった。やがて、NIRVANAの曲をコピーするようになる。この頃、「冬」・「欢乐颂」の曲を手がけた。

2000年9月から学校でライブを行なうようになった。初ライブではFELIXの創作した「出发」と「DON'T BE NERVOUS」を演奏した。

2001年、バンドメンバーの大半は大学に入学する。進学した学校がみな異なるため、バンド活動は一時期、停止となる。ただ、メンバーは一時期OASISを聴いていたため、ブリティッシュロックの影響を受けた。またCONNIEは体力的に5分間の曲を叩くのは困難であったため、長いパンク曲は演奏しなくなっていった。大学などでライブを行なったが、この時、数多くの人はパンクが嫌いだという事を知った。しかし、音楽スタイルはやはりパンクに固辞した。

2003年、FELIX企画でいくつかの大学のバンドとともに大規模なライブを行なう予定であったが、SARSのために中止となった。

2004年2月、デモテープ祖国』を制作した。

その後、バンド活動はしていないが、解散は宣言していないため、RICOから見れば、バンドは継続していると考えている。

ディスコグラフィー

デモテープ

主要なライブ・コンサート

外部リンク

  • UTF-8
    以前サイトに発表した内容を元に、2019年に新しく感想を付け加えている。