呼吸楽隊

提供:Chinese Rock Database
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呼吸楽隊
Huxi 11.jpg
1990年 - 1991年秋のメンバー。左から:鄒世冬蔚華曹軍趙牧陽柳文利高旗。雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より。(写真提供:幸治隆子さん)
基本情報
中国語名(簡体字) 呼吸
中国語名(繁体字) 呼吸
拼音 Huxi
発音転記 フゥシィ
英語名・外国語名 THE BREATHING
出身地 北京市
ジャンル ハードロックブルースポップロック
職業 ライブバー専属バンド
活動期間 1989年初 - 1993年
1998年? - 1999年
メンバー 曹軍
柳文利
顧忠
馬禾
鄒世冬
1993年前後のメンバー。(写真:書籍『揺滾夢尋』)
1992年9月18日、アートフィルム『孩子 太陽 世界』撮影時。(写真:BLOG
黄河にて。(写真:BLOG
河北電視台での写真。1991年秋以降のメンバー。(写真:BLOG
左から:高旗鄒世冬蔚華柳文利趙牧陽曹均。(写真提供:周俭、优蝶
1998年8月1日のライブポスターより。(写真提供:周俭、优蝶

呼吸楽隊(フゥシィ、Huxi)は、1980年代末から1990年代にかけて、北京市で活動していたバンド。紅一点の蔚華ボーカルが国内外で注目を浴びた。

メンバー

過去に在籍したメンバー

経歴

初の海外レコード会社との契約バンドとして

1988年末、高旗曹軍の2人で結成したバンドに、劉効松呉運涛鄒世冬が参加する。1989年初には初ライブを行なった。この時は、高旗ボーカルを務めた。間もなくして女性の蔚華ボーカリストとして参加し、呼吸楽隊が結成となった。バンド名の意味は「音楽を空気のように満たそう」で、蔚華が名付けた。4月、呼吸楽隊と名乗ってから初のライブを行なった。蔚華によるボーカルはすぐに音楽関係者の興味を引き、6月1日には、台湾滾石唱片のロックレーベル・真言社公司とアルバム契約をした。中国初の海外のレコード会社との契約バンドとなる。契約してからは、毎月2000元の月給をもらったほか、1万元強分の楽器などの設備を購入してもらい、一躍北京ロック界で大金持ちとなる。しかし、まったくレコーディングしないまま、契約解除となった。それは蔚華が1人でKenny Bloomの会社・KB Communicationsと契約してしまい、残ったメンバーは活動が真言社公司の契約通りに動くことができなくなってしまったためである。その後、呼吸楽隊はKB Communicationsとバンドとして契約した。12月からレコーディングを開始し、2ヶ月程度でアルバムが完成となった。このレコーディング前に劉効松がバンドを離れることになり、レコーディングに参加しなかった。

人気の絶頂期

1990年初、趙牧陽が加入する。2月17・18日には、北京市首都体育館で開かれた1990現代音楽演唱会に出演し、トリを務めた。この時、高旗曹軍が1曲ずつ、蔚華が3曲ボーカルを担当した。また、柳文利が第3のギタリストとして加入したが、呉運涛が脱退したことで、柳文利ベースを担当した。

1990現代音楽演唱会以降は、人気も急上昇し、毎月コンサートがあり、大陸中を駆け巡っていた。5月には北京市のロックバンドによる初の外地遠征となる深圳之春コンサートに出演した。8月、台湾香港1stアルバムが発売となったが、KB Communicationsと先に契約した時に蔚華1人での契約が先であったため、レコード会社によって、アーティスト名が衛華、アルバム名が『太陽昇』という名前で発売され、当初バンドが意図していたものとは異なってしまった。本来は、台湾香港シンガポールマレーシア中国同時発売を考えていたが、中国盤発売当日の朝になり、発売中止の通達が来たため、お蔵入りとなった。のちに蔚華中央電視台で司会を担当した映像がライブラリーから削除されるなど、文化部との軋轢があった経緯によるものだと思われる。諸問題があり発売までいろいろ困難に見舞われたアルバムだが、メンバーからしてみれば納得のいく出来ではなく、11月にドラムを新しく追加レコーディングしたほか、リミックスし直した。

1991年秋、音楽スタイルの違いから、高旗趙牧陽が脱退した。代わりに馬禾顧忠が加入、柳文利リズムギターに変更となった。

1992年9月18日、1992年の国際減災日を記念したアートフィルム『孩子 太陽 世界』を河北省秦皇島市の海の上に作られた特設舞台で撮影した。

1993年にはリミックス版の1stアルバム『呼吸』が中国国内で発売となった。この中国盤の発売によって、ようやく呼吸楽隊の名前が公表されることになり、音楽ファンに知れ渡ることになった。3月には、オムニバス・アルバム揺滾北京』発売記念ライブに参加し、そこで「新世界」を歌った。7月18・19日には、北京市首都体育館で行なわれた奥運-中国之夢大型ロックコンサートに参加した。のちに蔚華も語っているが、このコンサートは大失敗に終わり、その失意もあり、蔚華が脱退してしまい、バンドは活動を停止した。

蔚華脱退後

数年後、新たなメンバーを加えてバンド活動を少しづつ再開した。ただ、蔚華がバンドに復帰することはなかった。

1999年には、北京市のバーで毎週ライブを行なった。この頃は欧米のヒット曲のカバーを演奏していた。同年、流行歌手の思暘がアルバムを発売した。そのレコーディングには、呼吸楽隊の面々が参加していたが、呼吸楽隊として参加したわけではない。呼吸楽隊のメンバー自体の関係が良かったため、一緒にレコーディングを行なっただけである。

2002年半ばになり、曹軍鄒世冬馬禾の3人は、深呼吸楽隊を結成した。

2003年11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス・アルバム吶喊 為了中国曽経的揺滾』が発売となり、そこに「每次都想拥抱你」が収録された。

評価

中国初の女性ボーカリストによるロックバンドで、その女性ボーカリスト蔚華中央電視台のアナウンサーという政治色の強い職業から、まったく異なるロック界に飛び込んだということで、少し色物扱いされて注目されていたこともあり、普通の音楽だけの実力以外にもバンドに興味を持った人が多数いたと思われる。ただ、実際のところ、蔚華ボーカル、稀代のメロディーメーカー・高旗による作詞作曲、当時トップクラスのギタリストであった曹軍によるギター演奏などが噛み合うことで、中国のバンドとして、初めて海外のレコード会社と契約したのは頷ける。ただ、メンバーとしても初めての経験不足などにより、契約問題でこじれ、バンドの絶頂期であった1990年の絶好のタイミングで中国でアルバムを発売することができなかったほか、その後、魔岩唱片黒豹楽隊唐朝楽隊に対する大々的なプロモーションに対して、呼吸楽隊はまったく宣伝されず、また中国でアルバムを発売したのが1993年で、同時期に発売した彼らより音楽的にも古いスタイルとなってしまっており、蔚華の脱退による活動休止も、人気の陰りを分かった上での脱退のだったのかもしれない。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

非売品

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
新世界POP AND ROCK IN CHINA1993
新世界揺滾北京1993
新世界揺滾衝撃波21994
新世界流行・揺滾 王暁京制作歌曲精選'90~'97 21997
爱的光芒中国大揺滾 - 献給国際減災十年1993/1/8
爱的光芒(太阳升)揺滾衝撃波11994
爱的光芒中国揺滾経典1995
让我站立起中国大揺滾 - 献給国際減災十年1993/1/8
让我站立起中国揺滾精華版(第一集)1994
挥起手中国揺滾精華版(第二集)1994
只想请你看着我中国揺滾精華版(第二集)1994
只想请你看着我中国揺滾経典1995
每次都想拥抱你吶喊 為了中国曽経的揺滾2003/111stアルバム(中国盤)より

主要なライブ・コンサート

外部リンク