薬用植物研究所楽隊

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薬用植物研究所楽隊
Yaoyongzhiwuyanjiusuo 11.jpg
2000年4月30日・5月1日、迷笛音楽節でのライブより。(撮影:孫志強、写真:查无此狼:抑郁症音乐人的心灵史
基本情報
中国語名(簡体字) 药用植物研究所
中国語名(繁体字) 藥用植物研究所
拼音 Yaoyongzhiwuyanjiusuo
発音転記 ヤオヨンジウイェヌジィウスオ
出身地 北京市
ジャンル オルタナティブ
活動期間 1999年10月 - 2001年初
2007年
メンバー 李偉
尹勇
王贛
左から:尹勇李偉・羅可・曹草。(写真:查无此狼:抑郁症音乐人的心灵史

薬用植物研究所楽隊(ヤオヨンジウイェヌジィウスオ、Yaoyongzhiwuyanjiusuo)は、2000年前後、北京市で活動していたバンド。四川省成都市でも活動したことがある。

メンバー

過去に在籍したメンバー

経歴

1999年10月に結成となった。バンド名は拠点とした樹村の付近にあった「薬用植物研究所」から取った。

2000年後半になり、尹勇李偉王贛の3人は北京市を離れ、四川省成都市に移住しようと考え、李劼人故居付近にスタジオを借りた。そのため、張婉婷が北京市で撮影していた映画『北京楽与路』の時にあった「樹村宣言」には参加できなかった。ただ、成都市另外両位同志朝聖者的背叛楽隊雷神楽隊など、成都市を代表するアンダーグラウンドバンドと交流を深めることができた。

同年後半、小酒館でライブを行なった後、北京市樹村に戻った。成都市滞在していたのは約半年であったが、この間に歓慶によってデモテープをレコーディングした。デモテープは発売はしなかったが、小酒館唐蕾により音楽サイト・網蛙にレコーディング曲「结局或开始」が買い取られることになり、その結果、北京音楽台中国国際広播電台で放送された。この頃の曹草の考えは完璧主義であった。それは打口帯を販売している時に、いろいろな有名なバンドの曲を聴いており、とても自分達の音源がそれらの有名バンドとは比較にならないくらいレベルが低いと思っていたので、他のアンダーグラウンドバンドと同じようにCD-Rを焼いて販売したいとは考えなかった。

2001年初、曹草が脱退してしまい、バンドは活動が停止となってしまう。

同年3月になり、残りのメンバーである尹勇李偉王贛の3人は、馬玉龍を迎えて声音砕片楽隊と改名した。

2007年1月26日、四川省成都市でライブを行なったが、この時だけの一時的な再活動だったようだ。

主要なライブ・コンサート