黒豹楽隊

提供: Chinese Rock Database

黒豹楽隊
2013年の写真。(写真:人民网天津视窗
基本情報
中国語名(簡体字) 黑豹
中国語名(繁体字) 黑豹
拼音 Heibao
発音転記 ヘイバオ
英語名 通常:BLACK PANTHER
1999年:BLACK LEOPARD
普天同慶娯楽契約期間:HOT-BLOODED POWER
出身地 北京市
ジャンル ハードロック
活動期間 1987年 -
メンバー 張淇
李彤
王文傑
趙明義
恵鵬
2005年3月のメンバー。左から:趙明義李彤・張克芃・王文傑恵鵬
1stアルバムの頃。手前が竇唯
2000年12月24日、温州体育館で行なわれたコンサートより。
4thアルバム用に撮られた写真。左から:馮小波王文傑趙明義李彤秦勇
竇唯脱退後のメンバー。左から:趙明義王文傑李彤巒樹。雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より。(写真提供:幸治隆子さん)
1999年後半からのメンバー。左から:李彤趙明義秦勇恵鵬王文傑

黒豹楽隊(ヘイバオ、Heibao)は、北京市で活動しているバンド。中国人・華僑の中で最もアルバムが売れたバンドである。

目次

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

  • FUNKY末吉 ドラム(1990年6月4日)
  • 王勇 キーボード(1992年5月 - 1993年?)
  • 秦琦 ボーカル(1991年10月) -- バンドにスタイルが合わないため、未加入。
  • 馬克塔勒 ボーカル(1991年後半) -- バンドにスタイルが合わないため、正式加入はしなかった。一度だけライブを行なった。
  • 鄭鈞 ボーカル(1993年) -- バンドにスタイルが合わないため、正式加入はしなかった。
  • 欒述偉 ボーカル(1994年) -- バンドにスタイルが合わないため、正式加入はしなかった。
  • 劉崢嶸 ボーカル(1994年) -- バンドにスタイルが合わないため、正式加入はしなかった。

マネージャー

経歴

中国バンドの頂点へ

1987年、沙棘芸術団が改名した。李彤が名付け親であった。1988年、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹竇唯をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。マネージャー郭伝林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。

1990年、メンバーが竇唯李彤王文傑趙明義巒樹となり、固定した。この時、最初のオリジナル作品「脸谱」を創作する。5月、'90深圳之春コンサートに参加し、ここで大好評を博した。そして、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司滾石公司の香港子会社)との契約交渉が始まる。

1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングを行なったほか、ミュージックビデオを制作する。8月になり、香港台湾で1stアルバム『黒豹』が発売となった。9月には、「Don't Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、「大陸で最も優秀なロックバンド」と称される。間もなくして台湾滾石唱片ROCK RECORDS)と契約する。

1992年12月、中国でもアルバムが発売されることとなるが、中国盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。

当時、中国国内における、中国人によるロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度は香港台湾でも注目を受けるほど、とても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南省吉林省長春市では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開くほどであった。

このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然竇唯が脱退してしまう。その後、巒樹ボーカルを担当することになった。

1993年8月、2ndアルバム『光芒之神』が発売となった。

日本の会社によるプロデュースへ

1994年4月には、日本のJVCと契約した。同年、巒樹が脱退し、秦勇ボーカリストとしてメンバーに加わり、「光芒之神」を新しくレコーディングし直したニューバージョンの『光芒之神』を発売した。

1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京のライブハウスで単独ライブを行ない、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。やがて、マネージメントはJVCから独立した竹書文化が行なうようになった。

1997年には、全国60都市で公演する。

1998年5月、4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となった。

2000年の春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、テレビ・中央電視台の番組『音画時尚』に出演し、「桑塔露琪亚」(サンタルチア)を演奏した。中央電視台への出演は、ロックバンドとしては快挙であった。

JVC及び竹書文化との契約時に手がけた3枚のアルバム(2ndアルバムを含む)の完成度や売り上げはそれほど悪いものではなかったが、1stアルバムの売り上げや人気を超えられず、また黒豹楽隊に対する過度の期待や、音楽評論家達による音楽的な分析よりも竇唯秦勇の比較をメインとした評論になってしまったため、結果的に竇唯時代を超えることができなかったことが、黒豹楽隊の人気を落とすきっかけとなってしまった。

最古参のロックバンドとして

2002年、北京麒麟童文化と契約する。

2004年7月、5thアルバム『黒豹V』が発売となった。

2005年3月、秦勇が脱退し、張克芃がボーカリストとして加入した。

張克芃はもともとロックミュージシャンではないほか、新曲もあまり無く、過去に発表した作品をコンサートで披露するような状態が続く形となり、ロック的な要素はどんどん薄れていってしまった。また、メンバーのサイドビジネスが好調なことから、黒豹楽隊の活動は次第に減ってしまった。それでも黒豹楽隊の曲を知っている人々は多いため、地方では数千人規模のホールを満員にさせるだけの人気を博していた。

2008年、普天同慶娯楽と契約した。

2012年5月24日、豊華秋実伝媒有限公司と契約した。

2013年3月、張淇が新しくボーカリストになった。メンバーの平均年齢から比べると若いボーカリストであるため、若い音楽ファンからも再び注目を浴びるようになる。7月16日、6枚目のアルバム『我們是誰』を発表した。9年振りのアルバムであった。

2017年4月21日、7thアルバム『本色』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

プロモーション・シングル

ソロ発表曲 

曲名 アルバム名 発表年 備考
別去糟蹋 中国火壹 1992/12 竇唯がボーカル
別去糟蹋 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 1993/1/8 巒樹がボーカル▽『中国火壹』と同じ
別去糟蹋 大揺大擺 1999/2 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ
別去糟蹋 中国人今天説不 1999 秦勇がボーカル▽1999年5月13日、深圳市の世界之窓で行なわれたNATOによるユーゴの中国大使館誤爆抗議コンサート▼VCD
別去糟蹋 揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 2001/4 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ
别去糟蹋 吶喊 為了中国曽経的揺滾 2003/11 竇唯がボーカル▽『中国火壹』と同じ
无地自容 中国人的音楽新世界(黒豹楽隊・中国火・艾敬) 1992 台湾のプロモーション・オムニバス・アルバム
无地自容 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 1993/1/8 巒樹がボーカル
无地自容 揺滾衝撃波1 1994 巒樹がボーカル
无地自容 ROCK IN CHINA 1996 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
无地自容 20世紀中国揺滾大系1 1999 秦勇がボーカル▽『狂飆・激情』と同じ▽『揺滾衝撃波3』も
无地自容 大揺大擺 1999/2 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
无地自容 滾石字典(国語部) 2000/6 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
无地自容 青春的童話 テレビドラマの挿入歌▽学内バンドが演奏しているほか、カラオケで歌っている▽ボーカルは竇唯の声
DON'T BREAK MY HEART 中国人的音楽新世界(黒豹楽隊・中国火・艾敬) 1992 台湾のプロモーション・オムニバス・アルバム
DON'T BREAK MY HEART 東方之珠III 葬心 1992/7 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
DON'T BREAK MY HEART 揺滾柔情 1996 クレジットは竇唯与黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ
DON'T BREAK MY HEART 快楽天堂之重拾旧歓 1998/12 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
DON'T BREAK MY HEART 揺滾霊魂中国火 1999/10 竇唯がボーカル▼MVも付いている▽1stアルバムと同じ
DON'T BREAK MY HEART 希望之光 精選輯 2000 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
DON'T BREAK MY HEART Heineken節拍夏季音楽節 2001 ▼MV▽2001年5月12日に行なわれた喜力節拍夏季音楽節のプロモーション用VCDだが映像は普通のもの
DON'T BREAK MY HEART 中国火 2003 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
脸谱 揺滾北京 1993 巒樹がボーカル
脸谱 揺滾衝撃波2 1994 巒樹がボーカル▽曲が一部しか入っていない
脸谱 中国揺滾経典 1995 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ
脸谱 流行・揺滾 王暁京制作歌曲精選'90~'97 2 1997 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ
脸谱 吶喊 為了中国曽経的揺滾 2003/11 巒樹がボーカル▽『揺滾北京』と同じ
光芒之神 中国揺滾精華版(第二集) 1994 巒樹がボーカル▽アルバムジャケを見る限り、馮小波巒樹が一緒に写っており、巒樹が脱退する直前にレコーディングしたものと思われる
爱的箴言 告別的揺滾 1995 秦勇がボーカル
爱的箴言 《同一首歌》相聚2000 第2部 2000 秦勇がボーカル▽CCTVで放映された大型歌番組▼VCD
爱的箴言 同一首歌 2001 以前VCDで出たもの▽ジャケットは「爱的真言」となっている▼DVD
爱人 告別的揺滾 1995 秦勇がボーカル
TAKE CARE 揺滾柔情 1996 クレジットは竇唯与黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ
TAKE CARE 2001/1 竇唯がボーカル▽1stアルバムと同じ
怕你为自己流泪 揺滾柔情 1996 クレジットは竇唯与黒豹楽隊▽1stアルバムと同じ
放心走吧 実力再現 1997 秦勇がボーカル▼MV
放心走吧 反盗維権 大型公益演唱会 2000 ライブ▼VCD
放心走吧 1998? English Version▽アルバム未収録▽ホームページ上からダウンロードできた
朝前走 実力再現 1997 秦勇がボーカル▼MV
少年中国 七月一日生 1997/7/1 秦勇がボーカル
百年巨变 七月一日生 1997/7/1 秦勇がボーカル
高兴就来难过就走 20世紀中国揺滾大系2 1999 秦勇がボーカル▽4thアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波4』も
桑塔露琪亚 真愛永恒 2000/1 秦勇と程志がボーカル▽「サンタルチア」をカバー
体会 真愛永恒 2000/1 秦勇がボーカル▽過去に発表した作品をテクノミックスしたもの
靠近我 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 2001/4 竇唯がボーカル▽1stと同じ
靠近我 中国揺滾手冊 2006/5
别来纠缠我 中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽 2001 2001年9月19日、北京奥体中心体育館でのライブ▼VCD
没有你 Heineken節拍夏季音楽節 2001 ▼MV▽2006年5月11日に行なわれた喜力節拍夏季音楽節のプロモーション用VCDだが映像は普通のもの

参加アルバム 

アーティスト・バンド名 曲名 アルバム名 発表年 参加形態 備考
豹妹 把轻松交给我 英雄無悔・選択堅強 1996 演奏 李小燕の1stアルバムとはクレジットが異なる。新たにレコーディングしたものか
豹妹 回到梦中 英雄無悔・選択堅強 1996 演奏 李小燕の1stアルバムとはクレジットが異なる。新たにレコーディングしたものか
楽駅楽隊 无地自容 1998 詞曲 カバー
複数 既然我们是兄弟 既然我們是兄弟 1999 ボーカル(複数で) 非売品
郭峰 怀抱 懐抱 1999 バックボーカル(複数で) 非売品
郭峰 怀抱 経典郭峰 2000 バックボーカル(複数で) ▼MVも
陳琳 生日心愿 陳琳 2000 演奏 クレジットにはないが、黒豹楽隊が演奏
輪回楽隊 赶圩归来啊哩哩 我的太陽 2002/2 改編(輪回楽隊と)
郭峰・黒豹楽隊・零点楽隊 心手牵连 2002 演奏 2002年全国アイススケート主題曲▽アルバム未収録
複数 中国足球战歌 中国足球戦歌 2002 ボーカル(複数で) CD・VCDのセットで発売
天堂之門楽隊 无地自容 第二届附中現代音楽節 2007/7 詞曲

出演

媒体 曲名 収録ソフト名 発表年 参加形態 備考
VCD 走近黒豹 2000 インタビュー オリジナルインタビューを海賊盤VCDに収録
テレビ 手拉手 同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会 2001 演奏(唐朝楽隊輪回楽隊零点楽隊蛍火虫楽隊と) 2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり

主要なライブ・コンサート

外部リンク

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