「野孩子楽隊」の版間の差分

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| name                = 野孩子楽隊
 
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(撮影:岳浩昆、写真:野孩子)
 
 
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[[Image:_11.jpg|thumb|(写真:)]]
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[[Image:Yehaizi_11.jpg|thumb|2002年11月2日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でのライブ。前列の左が小索、右が[[張佺]]。(撮影:[[YIREN]])]]
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[[Image:Yehaizi_11.jpg|thumb|1998年8月29日、[[KEEP IN TOUCH]]で行なわれた[[張浅潜]]のライブにバックバンドとして参加した。(撮影:[[YIREN]])]]
  
'''野孩子楽隊'''(、、)は、2000年代後半、[[北京市]]で活動していたバンド。
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'''野孩子楽隊'''(、Yehaizi)は、[[北京市]]で活動しているバンド。[[フォーク]]バンドの中で、最も知名度が高いバンドである。
  
 
== メンバー ==
 
== メンバー ==
  
*'''''' [[ボーカル]]
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*'''[[張佺]]''' [[ボーカル]] & [[ギター]](1995年2月 - 2003年8月14日<br />2004年2月21日,2011年 -) -- 1999年、『[[栗正酒吧1]]』のレコーディングに参加。
*'''''' [[ギター]]
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*'''馬雪松''' [[ドラム]](2013年? -)
*'''''' [[ギター]]
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*'''[[郭龍]]''' [[パーカッション]](2004年11月3日 - 2004年11月?,2011年 -)
*'''''' [[ベース]]
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*'''[[張瑋瑋]]''' [[アコーディオン]](2000年7月 - 2003年8月14日<br />2004年2月21日<br />2004年11月3日 - 2004年11月?,2011年 -) -- 2004年11月3日に再結成した際にはリーダー。
*'''''' [[ドラム]]
 
*'''''' [[キーボード]]
 
2013年のメンバー
 
张佺 张玮玮 马雪松 郭龙
 
  
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
  
*'''''' [[ボーカル]]
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*'''小索''' [[ボーカル]] & [[ギター]](1995年2月 - 2003年8月24日<br />2004年2月21日) -- 1999年、『[[栗正酒吧1]]』のレコーディングに参加。2004年10月30日、胃癌により亡くなる。享年34歳。その後毎年追悼ライブが行なわれている。
*'''''' [[ギター]]
+
*'''周国彬''' [[ドラム]](1997年3月 - 1997年10月,2000年6月 - 2003年8月14日<br />2004年2月21日) -- やがて[[雲南省]][[大理白族自治区]][[大理市]]で[[五十碗小酒館]]を開いた。
*'''''' [[ギター]]
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*'''高輝''' [[ドラム]](1998年6月 - 1999年12月)
*'''''' [[ベース]]
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*'''陳志鵬''' [[ハンドドラム]](2000年7月 - 2003年8月14日<br />2004年2月21日)
*'''''' [[ドラム]]
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*'''李正凱''' [[ベース]] & [[バックボーカル]](2000年6月,2000年7月 - 2003年8月14日<br />2004年2月21日) -- 2000年6月、「フランス音楽フェスティバル」はサポート。2005年10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。2007年3月、フランスのMathieuと共にユニットとして全国ツアーを行い、3月1-4日には、陝西省宝鶏で、3月6・7日、蘭州の時間音楽酒[ロ巴]で、3月10日には、青海省西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。3月24日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。9月15日、南鑼鼓巷で行われた“第二届南鑼鼓巷胡同文化節 創意市集”に参加した。4月27日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。5月19日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。
  
 
=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
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*'''張健''' [[アコーディオン]](1997年1月1日)
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*'''岳浩昆''' [[ベース]](1997年1月1日)
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*'''于偉民''' [[ドラム]](1997年1月1日)
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*'''[[葉鴻明]]''' [[ドラム]](1997年10月 - 1998年)
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*'''[[冬子]]''' [[マラカス]](2000年6月) -- 「フランス音楽フェスティバル」はサポート。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
1995年2月、小索(Vo&G)・張[イ全](Vo&G)によって杭州で結成された。5月になり、出生地の蘭州へ戻る。その後約1年の間に延安から黄河沿いに内モンゴルへ徒歩で移動し、創作活動を行った。1996年3月、北京へ移り住み、他のミュージシャン達と練習を行う。1997年1月1日、北京の大西倶楽部で初ライブを行う。この時、張健(アコーディオン)・岳浩昆(B)・于偉民(Dr)がサポートを務めた。3月、周國彬(Dr)が加入した。8月23日、蘭州でソロライブを行った。10月、周國彬が脱退してしまった。そのため、暫くの間は葉鴻明(Dr)がサポートを務めた。
+
小索と[[張佺]]によって[[浙江省]][[杭州市]]で結成された。5月になり、出生地の[[甘粛省]][[蘭州市]]へ戻る。その後約1年の間に延安から黄河沿いに[[内モンゴル自治区]]へ徒歩で移動し、創作活動を行なった。1996年3月、[[北京市]]へ移り住み、他のミュージシャン達と練習を行なう。
 1998年6月、高輝(Dr)が加入した。この頃は、自分達のバンド活動を行うほか、張淺潜のバックバンドとしても活動していた。
 
 
 
 1999年1月31日・2月1日には、成都の小酒館でライブを行う。2月には1stDEMO『咒語』を製作し、ライブ会場で販売する。11月にはイギリスのロンドン現代芸術学院(ICA)で開かれた“北京在倫敦”中国アートフェスティバルに参加する。また、「咒語」が『摩登天空有声音楽雑誌5』に収録された。同年発売された栗正酒[ロ巴]のアルバム『栗正酒[ロ巴]①』では小索と張[イ全]は編曲・ギター・ベースを務めた。同年末、高輝が脱退した。
 
 
 
 
 
 
 
2003年頃、河酒[ロ巴]での写真
 
(撮影:岳浩昆、写真:野孩子)
 
 
 
 
 
 
 
 
 2000年6月、周國彬(Dr)が再加入した。6月には、北京のフランス学校が開いた“フランス音楽フェスティバル”に参加した。この時、李正凱(B&Cho)と冬子(マラカス)がサポートを務めた。7月になり、陳志鵬(ハンドDr&Cho)・李正凱(B&Cho)・張[王韋](アコーディオン&Cho)が正式に加入し、5人編成となる。8月24日、蔵酷酒[ロ巴]でソロライブを行い、その際に1stLiveAlbum『IN THE LOFT』をレコーディングした。同年、音楽サイトweiku.comと契約した。
 
 かつて、Channel[V]で“前衛音楽戦士”と呼ばれたが、彼らの音楽は前衛音楽ではなく、西北民間音楽の民謡化したものである。
 
 
 
 流行歌手の羽・泉の海外デビュー名が野孩子であるが、彼らとはまったく関係ない。どうやら、羽・泉の方はユニット名を野孩子としたかったようだが、すでに野孩子楽隊が北京で活動していたため、ただ海外で活動する時だけ、野孩子としたそうだ。
 
 
 
 2001年からは、三裏屯に河酒[ロ巴](River Bar)を開き、そこで毎週末ライブを行った。5月18日には、北京大学北京百年紀念堂で行われた“新青年・新音楽・原創音楽会”に参加した。
 
 
  
2002年11月2日、上海の新天地ARKでのライブ
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1998年は、自分達のバンド活動を行なったほか、[[張浅潜]]のバックバンドとしても活動していた。
前列の左が小索、右が張[イ全]
 
(撮影:YIREN)
 
 
  
 2002年初、『IN THE LOFT』が発売となった。5月1日、迷笛音楽節に出演した。6月、2ndDEMO『咒語』を発売した。同月、オムニバス『LIVE 小酒館1997-2002』に作品が収録された。8月18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”に出演した。11月1日・2日には、上海の新天地ARKでライブを行った。それと同時に、2ndLiveAlbum『ARK 上海現場2002.11.1』をレコーディングした。11月3日、杭州の旅行者酒[ロ巴]でライブを行った。12月19日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。
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1999年2月、インディーズ1stアルバム『咒語』で販売した。11月には[[イギリス]]で行なわれた「北京在倫敦」中国アートフェスティバルに参加した。
 2003年2月24・25日、張蔚(Dr)をサポートに招きいれ、香港の香港大会堂で行われた香港芸術節“北京謡滾”に参加した。6月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽20』に曲が収録された。8月14日、河酒[ロ巴](River Bar)が閉店となってしまった。それと同時に、バンド活動が停止となった。
 
  
 野孩子楽隊はインディーズでアルバムを発売しただけで、正式に発売した事はなかった。しかし、中国ニューフォークミュージックの探索者として、蘭州・北京だけでなく、中国各地や海外にもファンがいた。また河酒[ロ巴]は北京オルタナティブの発信地の1つとして、オルタナティブミュージシャン・バンドに活動の場所を与え続けた。
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2000年、音楽サイト・[http://www.weiku.com weiku.com]と契約した。
 
  
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かつて、[[Channel[V]]]で「前衛音楽戦士」と呼ばれたが、彼らの音楽は前衛音楽ではなく、西北民間音楽の民謡化したものである。
  
1998年8月29日、KEEP IN TOUCHで行われた
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流行歌手の羽・泉の海外デビュー名が野孩子であるが、彼らとはまったく関係ない。どうやら、羽・泉の方はユニット名を野孩子としたかったようだが、すでに野孩子楽隊が[[北京市]]で活動していたため、ただ海外で活動する時だけ、野孩子としたそうだ。
張淺潜のライブにバックバンドとして参加した
 
(撮影:YIREN)
 
 
  
 2004年2月21日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。バンド活動再開後、初のライブであったが、その後再度活動を停止してしまう。3月、CD付き雑誌『口袋音楽03』に曲が収録された。
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2001年からは、三裏屯に[[河酒吧]]を開き、そこで毎週末ライブを行なった。
 10月30日、小索が胃癌により亡くなった。享年34歳であった。
 
  
 11月3日、バンドは再結成する。メンバーはリーダーの張[王韋][王韋]ほか、郭龍で、オリジナルメンバーは残っていない。11月4日、小索のために、新豪運酒[ロ巴]で“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブが行われた。その後、野孩子名義では活動はしていない。
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2002年初、『IN THE LOFT』が発売となった。6月、インディーズ2ndアルバム『咒語』を発売した。
  
 2005年10月、オムニバス『口袋音楽精選①』に曲が収録された。同年、1997年8月23日のライブを収録したアルバム『黄河謡』が発売となった。
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2003年8月14日、[[河酒吧]]が閉店となってしまった。それと同時に、バンド活動が停止となった。
 
  
1999年、成都の小酒館でのライブ
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野孩子楽隊はインディーズでアルバムを発売しただけで、正式に発売した事はなかった。しかし、中国ニューフォークミュージックの探索者として、[[蘭州市]]・[[北京市]]だけでなく、中国各地や海外にもファンがいた。また[[河酒吧]]は北京オルタナティブの発信地の1つとして、オルタナティブミュージシャン・バンドに活動の場所を与え続けた。
 
  
 2008年、『IN THE LOFT』が再版された。
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2004年2月21日、バンド活動再開後、初のライブを行なったが、その後再度活動を停止してしまう。10月30日、小索が亡くなった。享年34歳であった。
 2009年12月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽93』に曲が収録された。
 
  
 周國彬はやがて雲南省大理でバー・五十碗小酒館を開いた。李正凱は2005年10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。2007年3月、フランスのMathieuと共にユニットとして全国ツアーを行い、3月1-4日には、陝西省宝鶏で、3月6・7日、蘭州の時間音楽酒[ロ巴]で、3月10日には、青海省西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。3月24日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。9月15日、南鑼鼓巷で行われた“第二届南鑼鼓巷胡同文化節 創意市集”に参加した。4月27日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。5月19日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。(一部情報提供:佐藤あつしさん)
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11月3日にバンドは再結成したが、オリジナルメンバーはいなかった。その後、すぐに活動が停止となった。
 
  
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2011年、オリジナルメンバーの[[張佺]]によって活動を再開した。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
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== 主要なライブ・コンサート ==
 
== 主要なライブ・コンサート ==
1995年2月、小索(Vo&G)・張[イ全](Vo&G)によって杭州で結成された。5月になり、出生地の蘭州へ戻る。その後約1年の間に延安から黄河沿いに内モンゴルへ徒歩で移動し、創作活動を行った。1996年3月、北京へ移り住み、他のミュージシャン達と練習を行う。1997年1月1日、北京の大西倶楽部で初ライブを行う。この時、張健(アコーディオン)・岳浩昆(B)・于偉民(Dr)がサポートを務めた。3月、周國彬(Dr)が加入した。8月23日、蘭州でソロライブを行った。10月、周國彬が脱退してしまった。そのため、暫くの間は葉鴻明(Dr)がサポートを務めた。
 
 1998年6月、高輝(Dr)が加入した。この頃は、自分達のバンド活動を行うほか、張淺潜のバックバンドとしても活動していた。
 
 
 1999年1月31日・2月1日には、成都の小酒館でライブを行う。2月には1stDEMO『咒語』を製作し、ライブ会場で販売する。11月にはイギリスのロンドン現代芸術学院(ICA)で開かれた“北京在倫敦”中国アートフェスティバルに参加する。また、「咒語」が『摩登天空有声音楽雑誌5』に収録された。同年発売された栗正酒吧のアルバム『栗正酒[ロ巴]①』では小索と張[イ全]は編曲・ギター・ベースを務めた。同年末、高輝が脱退した。
 
 
 
 
 
2003年頃、河酒[ロ巴]での写真
 
(撮影:岳浩昆、写真:野孩子)
 
 
 
 
 
 2000年6月、周國彬(Dr)が再加入した。6月には、北京のフランス学校が開いた“フランス音楽フェスティバル”に参加した。この時、李正凱(B&Cho)と冬子(マラカス)がサポートを務めた。7月になり、陳志鵬(ハンドDr&Cho)・李正凱(B&Cho)・張[王韋](アコーディオン&Cho)が正式に加入し、5人編成となる。8月24日、蔵酷酒吧でソロライブを行い、その際に1stLiveAlbum『IN THE LOFT』をレコーディングした。同年、音楽サイトweiku.comと契約した。
 
 かつて、Channel[V]で“前衛音楽戦士”と呼ばれたが、彼らの音楽は前衛音楽ではなく、西北民間音楽の民謡化したものである。
 
 
 流行歌手の羽・泉の海外デビュー名が野孩子であるが、彼らとはまったく関係ない。どうやら、羽・泉の方はユニット名を野孩子としたかったようだが、すでに野孩子楽隊が北京で活動していたため、ただ海外で活動する時だけ、野孩子としたそうだ。
 
 
 2001年からは、三裏屯に河酒吧(River Bar)を開き、そこで毎週末ライブを行った。5月18日には、北京大学北京百年紀念堂で行われた“新青年・新音楽・原創音楽会”に参加した。
 
 
 
2002年11月2日、上海の新天地ARKでのライブ
 
前列の左が小索、右が張[イ全]
 
(撮影:YIREN)
 
 
 
 2002年初、『IN THE LOFT』が発売となった。5月1日、迷笛音楽節に出演した。6月、2ndDEMO『咒語』を発売した。同月、オムニバス『LIVE 小酒館1997-2002』に作品が収録された。8月18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”に出演した。11月1日・2日には、上海の新天地ARKでライブを行った。それと同時に、2ndLiveAlbum『ARK 上海現場2002.11.1』をレコーディングした。11月3日、杭州の旅行者酒吧でライブを行った。12月19日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。
 
 2003年2月24・25日、張蔚(Dr)をサポートに招きいれ、香港の香港大会堂で行われた香港芸術節“北京謡滾”に参加した。6月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽20』に曲が収録された。8月14日、河酒吧(River Bar)が閉店となってしまった。それと同時に、バンド活動が停止となった。
 
 
 野孩子楽隊はインディーズでアルバムを発売しただけで、正式に発売した事はなかった。しかし、中国ニューフォークミュージックの探索者として、蘭州・北京だけでなく、中国各地や海外にもファンがいた。また河酒吧は北京オルタナティブの発信地の1つとして、オルタナティブミュージシャン・バンドに活動の場所を与え続けた。
 
 
 
 
 
1998年8月29日、KEEP IN TOUCHで行われた
 
張淺潜のライブにバックバンドとして参加した
 
(撮影:YIREN)
 
 
 
 2004年2月21日、新豪運酒吧。バンド活動再開後、初のライブであったが、その後再度活動を停止してしまう。3月、CD付き雑誌『口袋音楽03』に曲が収録された。
 
 10月30日、小索が胃癌により亡くなった。享年34歳であった。
 
 
 11月3日、バンドは再結成する。メンバーはリーダーの張[王韋][王韋]ほか、郭龍で、オリジナルメンバーは残っていない。11月4日、小索のために、新豪運酒吧で“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブが行われた。その後、野孩子名義では活動はしていない。
 
 
 2005年10月、オムニバス『口袋音楽精選①』に曲が収録された。同年、1997年8月23日のライブを収録したアルバム『黄河謡』が発売となった。
 
 
 
1999年、成都の小酒館でのライブ
 
 
 
 2008年、『IN THE LOFT』が再版された。
 
 2009年12月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽93』に曲が収録された。
 
 
 周國彬はやがて雲南省大理でバー・五十碗小酒館を開いた。李正凱は2005年10月30日、無名高地酒吧で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。2007年3月、フランスのMathieuと共にユニットとして全国ツアーを行い、3月1-4日には、陝西省宝鶏で、3月6・7日、蘭州の時間音楽酒吧で、3月10日には、青海省西寧の簡単日子酒吧でライブを行った。3月24日、疆進酒酒吧で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。9月15日、南鑼鼓巷で行われた“第二届南鑼鼓巷胡同文化節 創意市集”に参加した。4月27日、疆進酒酒吧で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。5月19日、疆進酒酒吧で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。(一部情報提供:佐藤あつしさん)
 
 
  
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*[[大西倶楽部/1997年1月1日|1997年1月1日 北京市 大西倶楽部]] 初ライブ
 +
*[[蘭州市/1997年8月23日|1997年8月23日 甘粛省蘭州市]]
 
*[[KEEP IN TOUCH/1998年8月29日|1998年8月29日 北京市 KEEP IN TOUCH]] [[張浅潜]]のバックバンド
 
*[[KEEP IN TOUCH/1998年8月29日|1998年8月29日 北京市 KEEP IN TOUCH]] [[張浅潜]]のバックバンド
 +
*[[小酒館(玉林店/1999年1月31日|1999年1月31日 四川省成都市 小酒館]]
 +
*[[小酒館(玉林店/1999年2月1日|1999年2月1日 四川省成都市 小酒館]]
 +
*1999年11月 [[イギリス]]・ロンドン ロンドン現代芸術学院(ICA) 北京在倫敦中国アートフェスティバル
 +
2000年6月 北京市 フランス学校が開いた“フランス音楽フェスティバル サポート:李正凱(B&Cho)・[[冬子]](マラカス)
 +
*[[蔵酷酒吧/2000年8月24日|2000年8月24日 北京市 蔵酷酒吧]]
 +
*2001年 - 2003年8月 [[北京市]]三裏屯 [[河酒吧]] 毎週末ライブを行なう
 +
*[[北京大学/2001年5月18日|2001年5月18日 北京市 北京大学北京百年記念講堂]] 新青年・新音楽・原創音楽会
 +
*[[迷笛音楽節/2002年5月1日|2000年5月1日 北京市 北京迷笛音楽学校 迷笛音楽節]]
 +
*[[雪山音楽節/2002年8月18日|2002年8月18日 雲南省麗江市 玉龍雪山甘海子 雪山音楽節]]
 +
*[[新天地ARK/2002年11月1日|2002年11月1日 上海市 新天地ARK]]
 +
*[[新天地ARK/2002年11月2日|2002年11月2日 上海市 新天地ARK]]
 +
*[[旅行者酒吧/2002年11月3日|2002年11月3日 浙江省杭州市 旅行者酒吧]]
 +
*[[迷笛音楽季/2002年12月19日|2002年12月19日 北京市 全国農業展覧館2号館 迷笛音楽季]]
 +
*[[香港大会堂/2003年2月24日|20003年2月24日 香港 香港大会堂 香港芸術節・北京謡滾]] サポート:[[張蔚]](Dr)
 +
*[[香港大会堂/2003年2月25日|20003年2月25日 香港 香港大会堂 香港芸術節・北京謡滾]] サポート:[[張蔚]](Dr)
 +
*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2004年2月21日|2004年2月21日 北京市 新豪運酒吧]]
 +
*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2004年11月4日|2004年11月4日 北京市 新豪運酒吧]] 為野孩子楽隊小索送行
 
*[[西湖音楽節/2011年10月30日|2011年10月30日 浙江省杭州市 太子湾公園 2011西湖国際音楽節]]
 
*[[西湖音楽節/2011年10月30日|2011年10月30日 浙江省杭州市 太子湾公園 2011西湖国際音楽節]]
 
*[[大愛音楽節/2012年6月24日|2012年6月24日 四川省成都市 国際非物質文化遺産博覧園 大愛成都音楽節]]
 
*[[大愛音楽節/2012年6月24日|2012年6月24日 四川省成都市 国際非物質文化遺産博覧園 大愛成都音楽節]]
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[[Category:バンド]]
 
[[Category:バンド]]
 
[[Category:杭州市のバンド]]
 
[[Category:杭州市のバンド]]
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[[Category:蘭州市のバンド]]
 
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[[Category:1995年結成]]
 
[[Category:1995年結成]]
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[[Category:イギリス]]
 
[[Category:フォーク]]
 
[[Category:フォーク]]
[[Category:海外]]
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[[Category:バックバンド]]
[[Category:ジャンル]]
 
[[Category:職業]]
 

2014年2月2日 (日) 00:44時点における版

野孩子楽隊
Yehaizi 13.jpg
2003年頃、北京市河酒吧での写真。(撮影:岳浩昆、写真:野孩子)
基本情報
中国語名(簡体字) 野孩子
中国語名(繁体字) 野孩子
拼音 Yehaizi
英語名・外国語名 Wild Children
出身地 浙江省杭州市
ジャンル フォーク
職業 バックバンドバー経営者
活動期間 1995年2月 - 2003年8月14日
2004年前半
2004年11月3日 - 2004年11月?
2011年 -
メンバー 張佺
馬雪松
郭龍
張瑋瑋
2002年11月2日、上海市新天地ARKでのライブ。前列の左が小索、右が張佺。(撮影:YIREN
1998年8月29日、KEEP IN TOUCHで行なわれた張浅潜のライブにバックバンドとして参加した。(撮影:YIREN

野孩子楽隊(、Yehaizi)は、北京市で活動しているバンド。フォークバンドの中で、最も知名度が高いバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

  • 小索 ボーカル & ギター(1995年2月 - 2003年8月24日
    2004年2月21日) -- 1999年、『栗正酒吧1』のレコーディングに参加。2004年10月30日、胃癌により亡くなる。享年34歳。その後毎年追悼ライブが行なわれている。
  • 周国彬 ドラム(1997年3月 - 1997年10月,2000年6月 - 2003年8月14日
    2004年2月21日) -- やがて雲南省大理白族自治区大理市五十碗小酒館を開いた。
  • 高輝 ドラム(1998年6月 - 1999年12月)
  • 陳志鵬 ハンドドラム(2000年7月 - 2003年8月14日
    2004年2月21日)
  • 李正凱 ベース & バックボーカル(2000年6月,2000年7月 - 2003年8月14日
    2004年2月21日) -- 2000年6月、「フランス音楽フェスティバル」はサポート。2005年10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。2007年3月、フランスのMathieuと共にユニットとして全国ツアーを行い、3月1-4日には、陝西省宝鶏で、3月6・7日、蘭州の時間音楽酒[ロ巴]で、3月10日には、青海省西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。3月24日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。9月15日、南鑼鼓巷で行われた“第二届南鑼鼓巷胡同文化節 創意市集”に参加した。4月27日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。5月19日、疆進酒酒[ロ巴]で葉鵬gang(美好藥店楽隊)・Mathieuと共にライブを行った。

サポートメンバー

経歴

小索と張佺によって浙江省杭州市で結成された。5月になり、出生地の甘粛省蘭州市へ戻る。その後約1年の間に延安から黄河沿いに内モンゴル自治区へ徒歩で移動し、創作活動を行なった。1996年3月、北京市へ移り住み、他のミュージシャン達と練習を行なう。

1998年は、自分達のバンド活動を行なったほか、張浅潜のバックバンドとしても活動していた。

1999年2月、インディーズ1stアルバム『咒語』で販売した。11月にはイギリスで行なわれた「北京在倫敦」中国アートフェスティバルに参加した。

2000年、音楽サイト・weiku.comと契約した。

かつて、Channel[V]で「前衛音楽戦士」と呼ばれたが、彼らの音楽は前衛音楽ではなく、西北民間音楽の民謡化したものである。

流行歌手の羽・泉の海外デビュー名が野孩子であるが、彼らとはまったく関係ない。どうやら、羽・泉の方はユニット名を野孩子としたかったようだが、すでに野孩子楽隊が北京市で活動していたため、ただ海外で活動する時だけ、野孩子としたそうだ。

2001年からは、三裏屯に河酒吧を開き、そこで毎週末ライブを行なった。

2002年初、『IN THE LOFT』が発売となった。6月、インディーズ2ndアルバム『咒語』を発売した。

2003年8月14日、河酒吧が閉店となってしまった。それと同時に、バンド活動が停止となった。

野孩子楽隊はインディーズでアルバムを発売しただけで、正式に発売した事はなかった。しかし、中国ニューフォークミュージックの探索者として、蘭州市北京市だけでなく、中国各地や海外にもファンがいた。また河酒吧は北京オルタナティブの発信地の1つとして、オルタナティブミュージシャン・バンドに活動の場所を与え続けた。

2004年2月21日、バンド活動再開後、初のライブを行なったが、その後再度活動を停止してしまう。10月30日、小索が亡くなった。享年34歳であった。

11月3日にバンドは再結成したが、オリジナルメンバーはいなかった。その後、すぐに活動が停止となった。

2011年、オリジナルメンバーの張佺によって活動を再開した。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

EP

シングル

映像作品

プロモーション・アルバム

プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
黄河谣走江湖2012/2クレジットは張佺小索張瑋瑋だが、野孩子楽隊での音源

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

2000年6月 北京市 フランス学校が開いた“フランス音楽フェスティバル サポート:李正凱(B&Cho)・冬子(マラカス)

外部リンク

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