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1994年6月、[[竇唯]]のバックバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]コンサート」に参加した。 | 1994年6月、[[竇唯]]のバックバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]コンサート」に参加した。 | ||
− | 1995年初には[[周韧]]&[[ | + | 1995年初には[[周韧]]&[[紅暁肉楽隊]]に加わる。 |
1997年3月、[[許巍]]のバックバンドの一員となり、[[長安]]、[[西安]]等で多くのライブをこなした。6月、[[戴秦]]らと共に[[痩人楽隊]]を結成する。同年末には、ラジオ・[[北京音楽台]]の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。 | 1997年3月、[[許巍]]のバックバンドの一員となり、[[長安]]、[[西安]]等で多くのライブをこなした。6月、[[戴秦]]らと共に[[痩人楽隊]]を結成する。同年末には、ラジオ・[[北京音楽台]]の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。 | ||
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2000年4月には、シンバル・[[Zildjian]]の[[エンドーサー]]となる。9月には、ドラム・[[Ludwig]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。 | 2000年4月には、シンバル・[[Zildjian]]の[[エンドーサー]]となる。9月には、ドラム・[[Ludwig]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。 | ||
− | 2001年5月、ドラムスティック・[[PRO-MARK]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。また同年、[[郭智音楽教室]]や[[華偉音楽学校]]でドラムの講師を務めるようになった。同年末には、[[ | + | 2001年5月、ドラムスティック・[[PRO-MARK]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。また同年、[[郭智音楽教室]]や[[華偉音楽学校]]でドラムの講師を務めるようになった。同年末には、[[単小帆]]・[[劉峰]]と共にドラム教室を開いた。 |
2002年3月17日から、[[日本]]で行なわれた「日中国交正常化30周年、音楽文化交流」に参加した。 | 2002年3月17日から、[[日本]]で行なわれた「日中国交正常化30周年、音楽文化交流」に参加した。 | ||
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2010年7月4日 (日) 14:42時点における版
王瀾 | |
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痩人楽隊の1stアルバムのために撮影。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 王澜 |
中国語名(繁体字) | 王瀾 |
拼音 | Wang Lan |
発音転記 | ワン ラヌ |
出生日 | 1974年1月7日 |
出身地 | 北京 |
担当楽器 | ドラム |
ジャンル | メタル・ハードコア |
影響 | JIMI HENDRIX・JAMES BROWN |
王瀾(ワン ラヌ、Wang Lan、1974年1月7日 -)は、北京市出身のドラマー。漢民族。中国を代表するドラマーの1人として名前が知れ渡っている。
経歴
生い立ち
父親は国家一級指揮者で、母親が国家一級歌手という、音楽家庭であった。7歳から美術を勉強していたが、両親の仕事の縁故により、13歳の時から、花盆鼓・板鼓・排鼓などの民族パーカッションを学び始める。のち、JIMI HENDRIXとJAMES BROWNの影響を受け、自分のスタイルを形成していった。16歳の時から、小軍鼓を学び始める。間もなく学び始めたドラムは、独学で覚えていった。1992年、中華全国総工会文工団に入って演奏員となり、各地でコンサートを行なう。そこでライブの感覚と経験を積んでいった。
中国を代表するドラマーへ
1993年5月、19歳の時にスラッシュメタルバンド・超載楽隊のメンバーとなり、同年、蘇珊娜夜総会で最初のライブを行なう。彼にとって生涯忘れない舞台となった。
1994年6月、竇唯のバックバンドの一員として、香港に赴き、イギリスのRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、張楚・何勇・唐朝楽隊とともに、「中国揺滾楽勢力コンサート」に参加した。
1997年3月、許巍のバックバンドの一員となり、長安、西安等で多くのライブをこなした。6月、戴秦らと共に痩人楽隊を結成する。同年末には、ラジオ・北京音楽台の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。
1998年から、痩人楽隊・超載楽隊・張楚・許巍の4バンドでドラムを叩く生活になる。北京のライブハウス・KEEP IN TOUCH(保持聯絡)で行なわれた張炬追悼ライブでは、5つのバンドでドラムを叩いた。同年末、崔健のバンドでドラムを叩き、蘭州、南昌、成都等でのコンサートに参加した。
2000年4月には、シンバル・Zildjianのエンドーサーとなる。9月には、ドラム・Ludwigの中国唯一のエンドーサーとなる。
2001年5月、ドラムスティック・PRO-MARKの中国唯一のエンドーサーとなる。また同年、郭智音楽教室や華偉音楽学校でドラムの講師を務めるようになった。同年末には、単小帆・劉峰と共にドラム教室を開いた。
2002年3月17日から、日本で行なわれた「日中国交正常化30周年、音楽文化交流」に参加した。
オリジナルの音楽を目指して
彼の履歴からも分かるとおり、ひとつのバンドには所属していない。それは、彼の技術を求める人が多く存在することの現れでもある。彼が超載楽隊に加入してロック界に飛びこんで以来、いまだに彼を越えるドラマーは中国には存在しない。やがて、ただのドラマーではなく、自分で創作したオリジナルの音楽を表現する場所を求めるようになっていった。痩人楽隊では彼の作曲した曲を演奏していたが、王瀾が中心として動いているバンドではなかった。
2003年5月になり、痩人楽隊を脱退した。同年半ば、超載楽隊を脱退した。王瀾はメインの2つのバンドを脱退するのとほぼ同時に、新たに艶楽隊を結成した。この艶楽隊は、自らのやりたい音楽を体現するために生まれたバンドである。
2006年には王瀾をリーダーとするバンド・藍楽隊が結成となった。
ディスコグラフィー
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
(曲名不明) | 鼓舞飛揚 | 2008/9 | ▼DVD▽2007年11月25日、「2007年第1届鼓手中国.鼓吧鼓友会」より |
(曲名不明) | 鼓舞飛揚 | 2008/9 | ▼DVD▽2007年11月25日、「2007年第1届鼓手中国.鼓吧鼓友会」より |
Jam | 貝斯夜 | 2008/9 | クレジットは李剣与王瀾▼DVD▽2007年6月24日、「第1届Bass Night」より |
Jam | 貝斯夜 | 2008/9 | クレジットは王学科与王瀾▼DVD▽2007年6月24日、「第1届Bass Night」より |
参加アルバム
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
VCD | 2005年10月20日“第一届中国国际鼓手节” | 現代楽手 第28期 | 2005/11 | ドラム |
主要なライブ・コンサート
- 2005年10月20日 上海 新国際博覧中心 2005中国(上海)国際楽器展覧会-第一届中国国際鼓手節
- 2005年11月5日 北京 新豪運酒吧
- 2007年6月24日 北京 星光現場音楽庁
- 2007年7月13日 北京 豪運酒吧
- 2007年11月25日 北京 星光現場音楽庁
- 2008年8月31日 北京 星光現場音楽庁
- 2010年4月1日 北京 MAO(北京店)
外部リンク
- 中国語
- 公式サイト。
- UTF-8
- 公式BLOG。