「訳楽隊」の版間の差分

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[[Image:Yi_12.jpg|thumb|2001年11月18日、[[CLUB VOGUE:88]]でのライブポスターより。左から:[[欧洋]](サポート)・[[鄧謳歌|謳歌]]・[[陳勁]]・[[単暁帆]]。(写真:[ 譯E])]]
 
[[Image:Yi_12.jpg|thumb|2001年11月18日、[[CLUB VOGUE:88]]でのライブポスターより。左から:[[欧洋]](サポート)・[[鄧謳歌|謳歌]]・[[陳勁]]・[[単暁帆]]。(写真:[ 譯E])]]
  
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'''訳楽隊'''(イ、Yi)は、[[北京市]]で活動しているバンド・ユニット。E楽隊とも名乗っている。
  
 
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1999年、[[鄧謳歌|謳歌]]の呼びかけで、[[躁楽隊]]のメンバーである[[陳勁]]・[[単暁帆]]と共に、訳楽隊を結成した。練習は[[寒塘音楽工作室]]で行なっていたが、1ヵ月が経った頃、[[竇唯]]が彼らの練習風景を見学する。2・3回見学した後、[[竇唯]]が[[鄧謳歌|謳歌]]に連絡し、加入することとなった。
 
1999年、[[鄧謳歌|謳歌]]の呼びかけで、[[躁楽隊]]のメンバーである[[陳勁]]・[[単暁帆]]と共に、訳楽隊を結成した。練習は[[寒塘音楽工作室]]で行なっていたが、1ヵ月が経った頃、[[竇唯]]が彼らの練習風景を見学する。2・3回見学した後、[[竇唯]]が[[鄧謳歌|謳歌]]に連絡し、加入することとなった。
  
このライブ直後から、レコーディングを開始、1999年10月には[[竇唯]]の4thアルバムで、訳楽隊の1stアルバムとなる、『[[幻聴(竇唯・訳楽隊)|幻聴]]』を発売した。曲の制作には、[[竇唯]]が中心となっているようで、[[竇唯]]の3rdアルバムのようなヒーリングミュージック路線を継承しながら、1stアルバムの時のロックの激しさが感じられる。
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このライブ直後から、レコーディングを開始、1999年10月には[[竇唯]]の4thアルバムで、訳楽隊の1stアルバムとなる、『[[幻聴(竇唯・訳楽隊)|幻聴]]』を発売した。曲の制作には、[[竇唯]]が中心となっているようで、[[竇唯]]の3rdアルバムのような[[ヒーリングミュージック]]路線を継承しながら、1stアルバムの時のロックの激しさが感じられる1枚となっている。
  
2000年には、訳楽隊の2ndアルバムとなる『[[雨吁(竇唯・訳楽隊)|雨吁]]』をレコーディングする。
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2000年には、訳楽隊の2ndアルバムとなる『[[雨吁(竇唯・訳楽隊)|雨吁]]』をレコーディングした。
  
 
その後も精力的にライブ活動を続け、ライブのたびにサポートメンバーが参加していた。
 
その後も精力的にライブ活動を続け、ライブのたびにサポートメンバーが参加していた。

2011年4月11日 (月) 10:06時点における版

訳楽隊
Yi 13.jpg
基本情報
中国語名(簡体字)
中国語名(繁体字)
拼音
発音転記 Yi
英語名・外国語名 E-Band
出身地 北京市
ジャンル ポストロックオルタナティブエレクトロニカ竇唯脱退後)
活動期間 1999年 -
メンバー 謳歌
単暁帆
劉為
1999年6月8日、北京市CD CAFEで行なわれた北京デビューライブより。左から:陳勁単暁帆竇唯謳歌。(撮影:YIREN
2001年11月18日、CLUB VOGUE:88でのライブポスターより。左から:欧洋(サポート)・謳歌陳勁単暁帆。(写真:[ 譯E])

訳楽隊(イ、Yi)は、北京市で活動しているバンド・ユニット。E楽隊とも名乗っている。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

1999年、謳歌の呼びかけで、躁楽隊のメンバーである陳勁単暁帆と共に、訳楽隊を結成した。練習は寒塘音楽工作室で行なっていたが、1ヵ月が経った頃、竇唯が彼らの練習風景を見学する。2・3回見学した後、竇唯謳歌に連絡し、加入することとなった。

このライブ直後から、レコーディングを開始、1999年10月には竇唯の4thアルバムで、訳楽隊の1stアルバムとなる、『幻聴』を発売した。曲の制作には、竇唯が中心となっているようで、竇唯の3rdアルバムのようなヒーリングミュージック路線を継承しながら、1stアルバムの時のロックの激しさが感じられる1枚となっている。

2000年には、訳楽隊の2ndアルバムとなる『雨吁』をレコーディングした。

その後も精力的にライブ活動を続け、ライブのたびにサポートメンバーが参加していた。

2001年半ばには、中心的人物である竇唯が脱退し、陳勁がボーカルを兼ねるようになった。そして、音楽スタイルも、3人で結成した時の構想にあった、電子音楽スタイルを強調したバンドに変わっていった。バンド名も中国語名から英語名のEに変えた。同年末、華納(中国)唱片公司と契約した。  2002年1月1日には、蔵酷(THE LOFT)で行われた“≪LISTEN PROJECT≫正式放送開始記念式典”に出演した。1月、CD付雑誌『現代芸術 听3』に曲が収録された。2月14日、CLUB VOGUE:88で単独ライブを行った。


 同年3月から、3rdアルバムのレコーディングを行った。この時、ゲストとして、龍寛が数曲ボーカルを務めた。アルバム製作に決して妥協をしないため、製作期間と費用が通常のアルバム製作以上にかかっている。  その後、陳勁がバンドを脱退し、謳歌(G)と單曉帆(DJ)の2人で活動するようになる。

 2003年7月、CD付雑誌『通俗歌曲VOL.249』に曲が収録された。7月、CD付雑誌『我愛揺滾楽21』に曲が収録された。7月16日に開かれた“「黒客帝国:重装上陣(The Matrix:Reloaded)」発布会”上で演奏した。9月12日、アルバム披露PARTYを開いた。この時、diao磊(Dr)がライブサポートを務めた。10月、CD付き雑誌『通俗歌曲VOL.255』に曲が収録された。同月、3rdアルバムであり、竇唯が脱退してから初のアルバムである『01』が発売となった。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに王迪やCMCB楽隊と共に参加した。



   2004年4月16日、九宵倶楽部でライブを行った。5月1・5日、朝陽公園で行われた“朝陽流行音楽周”に出演した。  2005年4月3日、太和麦田周年大慶に参加した。10月2日、深[土川]大梅沙太陽広場で行われた“第四届深[土川]黄金海岸旅遊節曁首届深[土川]百事可楽沙灘音楽節”に参加した。

 2006年4月10日、北京中華世紀壇で行われた“体験倫敦”開幕式に参加した。8月、『雨吁』がようやく発売となった。9月22・23日、杭州で行われた“酔好時光--麦田音楽十周年杭州音楽節”に参加した。10月5・6日、温州の江心嶼東園で行われた“酔好時光--麦田音楽十周年温州音楽節”に参加した。この時のメンバーは謳歌(G)と單曉帆(DJ&Programing)・劉爲(Dr)。12月24日、愚公移山でクリスマスイブライブを行った。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

EP

シングル

映像作品

プロモーション・アルバム

 プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

外部リンク

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参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
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