「惱火練習楽隊」の版間の差分

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*'''傑夫''' [[ベース]](1991年前半 - 1991年7月) -- [[アメリカ人]]留学生。真面目であったが演奏はいまひとつで短期間で脱退。
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*'''傑夫''' [[ベース]](1991年前半 - 1991年前半?) -- [[アメリカ人]]留学生。真面目で、練習のミスを記録したり、外国のバンドの映像をみんなに見せていろいろなスタイルのバンドを紹介していたが、演奏はいまひとつで短期間で脱退。
  
 
== 経歴 ==
 
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2020年3月26日 (木) 17:16時点における版

惱火練習楽隊
基本情報
中国語名(簡体字) 恼火联系
中国語名(繁体字) 惱火聯繫
拼音 Naohuolianxi
発音転記 ナオフオリエヌシィ
出身地 上海市
ジャンル ブリティッシュロックポップロック
活動期間 1990年 - 1991年
影響 The Beatles
メンバー 徐衛文
羅文輝

惱火練習楽隊(ナオフオリエヌシィ、Naohuolianxi)は、1990年代前半、上海市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

  • 兪征 ボーカル(1990年 - 1990年末) -- 復旦大学の学生。カナダに留学するため脱退。
  • 陳霄九 ベース(1990年 - 1991年前半)
  • 胡鴻俊(篤篤) ドラム & ボーカル(1990年 - 1991年前半) -- 上海城建職業学院の学生。
  • 傑夫 ベース(1991年前半 - 1991年前半?) -- アメリカ人留学生。真面目で、練習のミスを記録したり、外国のバンドの映像をみんなに見せていろいろなスタイルのバンドを紹介していたが、演奏はいまひとつで短期間で脱退。

経歴

1990年、同済大学の学生であった羅文輝は上海交通大学付属中学時代の同級生である徐衛文と胡鴻俊に会いに行ったところ、徐衛文は2人にバンド結成を持ちかけた。元々この3人はギター愛好家で、いつも一緒にギターを片手に歌を歌っていたためである。3人は意気投合し、他に2人のメンバーを招集してバンドを結成した。最初は胡鴻俊が借りた赤峰路の部屋で練習していた。ただ、アコースティックギターしかなく、エレクトリックギタードラムなどの設備がないのが難点であったが、お金も無かった。そこで兪征が復旦大学に行き、美声牌のエレクトリックギター2本・美声牌のエレクトリックベース1本・ドラムセットを借りてきた。美声牌は上海生産のギターで非常に重く、とても扱いづらく、音もきちんと出ないが、仕方がなかった。結成当初はPaul SimonやThe Beatlesを練習していた。9月、同済大学で行なわれた留学生の誕生会に参加した時、ドイツ人留学生の斯蒂恩と知り合いになり、彼がバンドに加入した。それからは彼から楽器や練習方法を教わるなど、バンドにとってプラスとなった。ただ、斯蒂恩が加入してから初の練習の時、ドラムの脚が折れるなど、1、楽器の質が非常に悪かったほか、2、固定の練習場所が無いなど、練習に際してこの2つの問題に関してとても頭を悩ませていたため、それをそのままバンド名「惱火練習」とした。12月5日、初ライブを行なったが、The Beatlesの真似をして、スーツや革靴、ネクタイ、サングラスを付けて、統一感を出して舞台に立った。斯蒂恩のドラムスティックの音に合わせ、一斉にサングラスを取ってポケットにしまうなど、斯蒂恩のアドバイスでちょっとした小細工をして、演奏を開始した。観客の留学生は興奮して踊りだすなど、大好評を博し、アンコールがあったが、演奏できる曲をすべて演奏してしまったため、同じ曲を再度繰り返した。この時、何人かのミュージシャンが観客として来ていたことから、上海市のアンダーグラウンド界に彼らの名前が知れ渡るようになった。

1990年末から1991年7月にかけて、いろいろな大学ツアーを行なったが、一切の報酬は無く、楽器やメンバーの送迎と学食・ビールだけであった。この間、メンバー交代が相次いだ。7月、赤峰路の練習場所が取り壊しとなってしまい、練習場所を失った。9月、羅文輝は斯蒂恩からドイツで購入してきたIbanezの限定版ギターを買った。当時の給料の25倍近くの値段であったが、仕方が無かった。徐衛文も留学生からキーボードとYAMAHAのベースを購入した。練習場所は復旦大学の地下室を週1回ほど借りて練習した。徐文衛は大学卒業後、金山区で働いていたため、毎週末は練習場所で寝泊まりした。

主要なライブ・コンサート