「留声機楽隊(北京市)」の版間の差分

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*'''鞏岩''' (1995年 - 1996年?) -- [[中央財経大学]]の学生。
 
*'''鞏岩''' (1995年 - 1996年?) -- [[中央財経大学]]の学生。
*'''黄永強''' [[ギター]](1995年 - ?) -- [[中央財経大学]]の学生。バンド脱退後、劉凌と共に[[大連市]]へ行った。やがて[[十二小節楽隊]]を結成した。
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*'''黄永強''' [[ギター]](1995年 - 1997年) -- [[中央財経大学]]の学生。大学卒業後就職するか非常に悩み、卒業1ヶ月前に就職することを決めたが、就職後間もなくして音楽の誘惑に負け、仕事を辞めてプロのミュージシャンとなった。1997年、[[大連市]]のバーのオーナーから誘われ、バンドを脱退し、劉凌と共に[[大連市]]へ行き、バーで1年ほど活動した。この時、オーナーは[[北京市]時代の2倍の報酬を提示していた。1年後に[[北京市]]に戻ったが、バーの専属ミュージシャンとして活動することは難しいと感じ、彼女(のちの妻)や妹が生活している[[上海市]]に移住した。やがて[[十二小節楽隊]]を結成した。
 
*'''[[蔡正東]]''' [[ギター]](1995年 - ?)
 
*'''[[蔡正東]]''' [[ギター]](1995年 - ?)
*'''劉凌''' [[ベース]](1995年 - ?) -- [[中央財経大学]]の学生。バンド脱退後、黄永強と共に[[大連市]]へ行った。やがて[[Alarm楽隊]]に加入した。
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*'''劉凌''' [[ベース]](1995年 - 1997年) -- [[中央財経大学]]の学生。1997年、[[大連市]]のバーのオーナーから誘われ、バンドを脱退し、黄永強と共に[[大連市]]へ行き、バーで1年ほど活動した。やがて[[Alarm楽隊]]に加入した。
 
*'''[[高強]]''' [[ドラム]](1995年 - ?)
 
*'''[[高強]]''' [[ドラム]](1995年 - ?)
 
*'''[[伢子]]''' [[ベース]] -- 1996年 - 2004年の間に在籍。
 
*'''[[伢子]]''' [[ベース]] -- 1996年 - 2004年の間に在籍。
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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
メンバーは[[中央財経大学]]の3人の学生を中心とした、5人によって構成されている。1960年代から1990年代の洋楽をカバーするなど、カバー専門のバンドである。
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[[中央財経大学]]の3人の学生を中心とした、5人によって結成 となった。1960年代から1990年代の洋楽をカバーするなど、カバー専門のバンドである。
  
[[郷謡酒吧]]で専属バンドとして活動しているほか、[[アメリカ大使館]]の独立記念日や、大手メーカーのイベントに参加している。
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[[郷謡酒吧]]で専属バンドとして活動していた。この時、ライブを行えばメンバーは1人あたり200元ほどの収入があり、非常に高い収入であった。
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[[崔健]]からも注目を浴び、[[崔健]]のライブの前座を務めたこともあった。また、[[アメリカ大使館]]の独立記念日や、大手メーカーのイベントに参加している。
  
 
(過去に在籍したメンバーで記載しているミュージシャンは郷謡酒吧で専属ミュージシャンとして活動をしているが、もしかしたら留声機楽隊のメンバーではないかもしれない)
 
(過去に在籍したメンバーで記載しているミュージシャンは郷謡酒吧で専属ミュージシャンとして活動をしているが、もしかしたら留声機楽隊のメンバーではないかもしれない)

2021年7月14日 (水) 12:30時点における版

留声機楽隊
Liushengji(beijingshi) 12.jpg
2003年、郷謡酒吧でのライブ。(もしかしたら留声機楽隊の写真ではないかもしれない)(写真:豆瓣音乐人
基本情報
中国語名(簡体字) 留声机
中国語名(繁体字) 留聲機
拼音 Liushengji
発音転記 リィウションジィ
学歴 中央財経大学
出身地 北京市
ジャンル ブルースブルースロックポップロック
職業 ライブバー専属バンド
活動期間 1996年 - 2014年?
メンバー 劉興珂
馮衝
斉桐震
白涛
周鑫
1996年、郷謡酒吧でのライブ。(もしかしたら留声機楽隊の写真ではないかもしれない)(写真:豆瓣音乐人

留声機楽隊(リィウションジィ、Liushengji)は、1990年代後半から2010年代前半にかけて、北京市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

経歴

中央財経大学の3人の学生を中心とした、5人によって結成 となった。1960年代から1990年代の洋楽をカバーするなど、カバー専門のバンドである。

郷謡酒吧で専属バンドとして活動していた。この時、ライブを行えばメンバーは1人あたり200元ほどの収入があり、非常に高い収入であった。

崔健からも注目を浴び、崔健のライブの前座を務めたこともあった。また、アメリカ大使館の独立記念日や、大手メーカーのイベントに参加している。

(過去に在籍したメンバーで記載しているミュージシャンは郷謡酒吧で専属ミュージシャンとして活動をしているが、もしかしたら留声機楽隊のメンバーではないかもしれない)

主要なライブ・コンサート

外部リンク