「甘利匡輔」の版間の差分

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== 経歴 ==
  
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2023年6月12日 (月) 15:53時点における最新版

甘利匡輔
Amari 12.jpg
1990年頃、崔健のライブでの写真。(写真提供:周俭、优蝶
基本情報
中国語名(簡体字) 甘利匡辅
中国語名(繁体字) 甘利匡輔
拼音 Ganli Kuangfu
発音転記 ガヌリ クアンフゥ
別名 デッド甘利
出身地 日本
担当楽器 ギター
影響 The Clash
崔健解決』のジャケットより。

甘利匡輔(あまり きょうすけ)は、1990年代前半、北京市で活動していた日本人ギタリスト

経歴

北京市に留学中、THE VIBRATIONSを結成し、ギターを担当する。THE VIBRATIONSには甘利匡輔のほか、金聖奎(G)などがいた。やがて、崔健のバンドでギターを担当し、『解決』のアルバムのレコーディングに参加した。

その後、日本に帰国し、中国ロック界から離れた。そして、親の仕事を引き継ぎ、ウーロン茶の輸出工場を経営していると言われている。

日本では神戸でTHE LIVERSというバンドを組んでいる。THE LIVERSの2002年のメンバーはニューカン浜(Dr)・ピロリー誠也(佐藤誠也)(B)・ゴールド金(金聖奎)(G)・甘利匡輔(デッド甘利)(G)・グアバ稲田(ハープ)・オール全(Vo)・プリンス久保(Key)である。2003年夏には、ニューカン浜(Dr)・ピロリー誠也(佐藤誠也)(B)・ゴールド金(金聖奎)(G)・甘利匡輔(デッド甘利)(G)となり、ボーカルはメンバーみなで担当しているほか、活動拠点を東京・横浜に移した。

2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで行なわれた崔健の来日コンサートにゲスト出演し、「快让我在这雪地上撒点儿野」の演奏に参加した。

(一部情報提供:グアバ稲田さん)

ディスコグラフィー

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
崔健解決1991ギター全曲参加
崔健快让我在这雪地上撒点儿野1986-1996 珍蔵版1996リードギター

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
映画北京雑種1993崔健バンドのメンバーとして演奏シーンが収録中国では公開されず香港で公開

外部リンク

  • 日本語
    オフィシャルサイト。