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+ | == 経歴 == | ||
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+ | 2001年7月結成。メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(代哲)(元・維多利亞的空間楽隊)(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)。バンド名は東晋の書家・王羲之の「蘭亭序」から取った。音楽スタイルはブリティッシュロック、サイケデリック。影響を受けたバンドはThe Verve、Oasisなど。8月、梅隴鎮伊勢丹で初ライブを行った。 | ||
+ | 2002年1月、徐璟(Key)が加入し、メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・徐璟(Key)・袁朝楨(Dr&Per)となった。5月、新天地ARKでライブを行った。7月7日、新天地ARKでライブを行った。7月21日、新天地ARKで行われた果味VC楽隊のライブの前座を務めた。8月17日、新天地ARKで行われたアメリカのThe Realisticsの前座を務めた。 | ||
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+ | 上海ロック界期待のバンドであり、日本の音楽プロダクションからも注目を浴びている。固定ファンもいるが、ルックスが良いだけではなく、音楽的にも、演奏技術もなかなかのものであり、また、ライブ中もどのようなパフォーマンスをすればお客が喜ぶかを考えており、観客を飽きさせないように工夫するなど、ファンサービスも欠かせない。2002年10月発売の日本の雑誌『POP ASIA』No.44では、バンドインタビューが掲載された。 | ||
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+ | 2003年の写真 | ||
+ | 左から:李東城・袁朝楨・王翼昊・代[吉吉]文・徐璟 | ||
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+ | 11月9日、挂二音楽工場でライブを行った。11月23日、音楽倉でライブを行った。12月5日、華東師範大学礼堂でライブを行った。12月17日、上外逸夫会堂でライブを行った。 | ||
+ | 2003年1月1日、音楽倉でライブを行った。4月に発売されたオムニバス『泛音盒1』に曲が収録された。7月20日、新天地ARKで“廿零三年転多雲演唱会”を開いた。上海のバンドでレコード会社とも契約する前に単独でライブを開くことは、とても珍しい事で、しかもこの日は多くの観客が集まり、好評を博した。これは、彼らの人気が急上昇している事を物語る。10月8日、新天地ARKで行われたイギリスのBubblecraftのライブで、前座を務めた。11月1日、頂層画廊でライブを行った。12月7日、蘇州の揺滾[王攵]瑰酒[ロ巴]で行われた“為了告別的聚会”に参加した。12月20日、新天地ARKで行われた“生命的呼喚-事前募損義演(沼澤楽隊の阿来の娘のためのチャリティライブ)”に参加した。この時、陳松(Per)がサポートを務めた。 | ||
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+ | 2004年10月7日、羅馬假日で行われたコンテストより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 2004年3月14日、新天地ARKで行われた達達楽隊の前座を務めた。6月、袁朝楨が脱退してしまい、サポートを陳松(Dr)が務めた。7月、張競(Dr&Cho)が加入した。同月、アルカテル(阿爾ka特)の携帯電話の広告の撮影に参加した。8月21日、新天地ARKで三周年演唱会を開いた。この時、陳松(Per)ほか、アメリカ・カナダ・イギリス人がサポートを務めた。10月3日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。この時から、周玲と林黎がサポートコーラスを務めた。10月4日、羅馬假日でライブを行った。10月7日、羅馬假日で行われた“揺滾大閲兵”ロックコンテストに参加した。10月17日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。11月、フリーペーパー『生活在上(High)』2004年12月号に付いてくるオムニバス『No WaLLs Between Music』に曲が収録された。のち、錢旻(背北)(浮光楽隊)(Dr)が加入した。 | ||
+ | 2005年1月1日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。3月15日、外貿学院多功能庁で行われた“HAOLEDI原創音楽之夜”に参加した。3月30日、復旦大学本部湘輝堂でライブを行った。4月2日、挂二音楽酒[ロ巴]でインディーズ1stアルバム『到燈塔去』発表会を開いた。4月3日、上海大学本部新校区J楼202室でライブを行った。3月30日と4月2日、4月3日のライブは、李東城が韓国へ行っていたため、サポートで、李雲鵬(G)が参加した。その後、李雲鵬(G)が正式に加入した。 | ||
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+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 6月12日、哈雷酒[ロ巴]で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。6月21日、上海外国語大学松江校区で行われた“法国文化日音楽節”に参加した。8月、袁朝楨(Dr&Per)がバンドに復帰し、王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)・徐璟(Key)の初期の5人のメンバーで1stアルバムのレコーディングを開始した。 | ||
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+ | 2006年10月17日、日本で発売となったオムニバス『上海点火 Vol.1』に曲が収録された。 | ||
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+ | 2009年10月、インディーズオムニバス『仮如没有花蕾和詩篇』に曲が収録された。 | ||
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+ | 2010年1月、活動を再開した。メンバーは初期のオリジナルメンバーのままである。 | ||
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+ | 代[吉吉]文は2006年前半、甜蜜的孩子楽隊に加入した。徐璟は2009年10月24日、朱家角の柳亜子別墅で行われた“2009上海朱家角水郷音楽節 - 雲不挿電音楽会”に参加した。 | ||
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+ | == 主要なライブ・コンサート == | ||
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+ | 2001年7月結成。メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(代哲)(元・維多利亞的空間楽隊)(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)。バンド名は東晋の書家・王羲之の「蘭亭序」から取った。音楽スタイルはブリティッシュロック、サイケデリック。影響を受けたバンドはThe Verve、Oasisなど。8月、梅隴鎮伊勢丹で初ライブを行った。 | ||
+ | 2002年1月、徐璟(Key)が加入し、メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・徐璟(Key)・袁朝楨(Dr&Per)となった。5月、新天地ARKでライブを行った。7月7日、新天地ARKでライブを行った。7月21日、新天地ARKで行われた果味VC楽隊のライブの前座を務めた。8月17日、新天地ARKで行われたアメリカのThe Realisticsの前座を務めた。 | ||
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+ | 上海ロック界期待のバンドであり、日本の音楽プロダクションからも注目を浴びている。固定ファンもいるが、ルックスが良いだけではなく、音楽的にも、演奏技術もなかなかのものであり、また、ライブ中もどのようなパフォーマンスをすればお客が喜ぶかを考えており、観客を飽きさせないように工夫するなど、ファンサービスも欠かせない。2002年10月発売の日本の雑誌『POP ASIA』No.44では、バンドインタビューが掲載された。 | ||
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+ | 2003年の写真 | ||
+ | 左から:李東城・袁朝楨・王翼昊・代[吉吉]文・徐璟 | ||
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+ | 11月9日、挂二音楽工場でライブを行った。11月23日、音楽倉でライブを行った。12月5日、華東師範大学礼堂でライブを行った。12月17日、上外逸夫会堂でライブを行った。 | ||
+ | 2003年1月1日、音楽倉でライブを行った。4月に発売されたオムニバス『泛音盒1』に曲が収録された。7月20日、新天地ARKで“廿零三年転多雲演唱会”を開いた。上海のバンドでレコード会社とも契約する前に単独でライブを開くことは、とても珍しい事で、しかもこの日は多くの観客が集まり、好評を博した。これは、彼らの人気が急上昇している事を物語る。10月8日、新天地ARKで行われたイギリスのBubblecraftのライブで、前座を務めた。11月1日、頂層画廊でライブを行った。12月7日、蘇州の揺滾[王攵]瑰酒[ロ巴]で行われた“為了告別的聚会”に参加した。12月20日、新天地ARKで行われた“生命的呼喚-事前募損義演(沼澤楽隊の阿来の娘のためのチャリティライブ)”に参加した。この時、陳松(Per)がサポートを務めた。 | ||
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+ | 2004年10月7日、羅馬假日で行われたコンテストより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 2004年3月14日、新天地ARKで行われた達達楽隊の前座を務めた。6月、袁朝楨が脱退してしまい、サポートを陳松(Dr)が務めた。7月、張競(Dr&Cho)が加入した。同月、アルカテル(阿爾ka特)の携帯電話の広告の撮影に参加した。8月21日、新天地ARKで三周年演唱会を開いた。この時、陳松(Per)ほか、アメリカ・カナダ・イギリス人がサポートを務めた。10月3日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。この時から、周玲と林黎がサポートコーラスを務めた。10月4日、羅馬假日でライブを行った。10月7日、羅馬假日で行われた“揺滾大閲兵”ロックコンテストに参加した。10月17日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。11月、フリーペーパー『生活在上(High)』2004年12月号に付いてくるオムニバス『No WaLLs Between Music』に曲が収録された。のち、錢旻(背北)(浮光楽隊)(Dr)が加入した。 | ||
+ | 2005年1月1日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。3月15日、外貿学院多功能庁で行われた“HAOLEDI原創音楽之夜”に参加した。3月30日、復旦大学本部湘輝堂でライブを行った。4月2日、挂二音楽酒[ロ巴]でインディーズ1stアルバム『到燈塔去』発表会を開いた。4月3日、上海大学本部新校区J楼202室でライブを行った。3月30日と4月2日、4月3日のライブは、李東城が韓国へ行っていたため、サポートで、李雲鵬(G)が参加した。その後、李雲鵬(G)が正式に加入した。 | ||
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+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 6月12日、哈雷酒[ロ巴]で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。6月21日、上海外国語大学松江校区で行われた“法国文化日音楽節”に参加した。8月、袁朝楨(Dr&Per)がバンドに復帰し、王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)・徐璟(Key)の初期の5人のメンバーで1stアルバムのレコーディングを開始した。 | ||
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+ | 2006年10月17日、日本で発売となったオムニバス『上海点火 Vol.1』に曲が収録された。 | ||
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+ | 2009年10月、インディーズオムニバス『仮如没有花蕾和詩篇』に曲が収録された。 | ||
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+ | 2010年1月、活動を再開した。メンバーは初期のオリジナルメンバーのままである。 | ||
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+ | 代[吉吉]文は2006年前半、甜蜜的孩子楽隊に加入した。徐璟は2009年10月24日、朱家角の柳亜子別墅で行われた“2009上海朱家角水郷音楽節 - 雲不挿電音楽会”に参加した。 | ||
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*[[卦2音楽酒吧/2010年11月27日|2010年11月27日 上海市 卦2音楽酒吧]] | *[[卦2音楽酒吧/2010年11月27日|2010年11月27日 上海市 卦2音楽酒吧]] | ||
*[[The Mixing Room/2011年3月19日|2011年3月19日 上海市 The Mixing Room]] | *[[The Mixing Room/2011年3月19日|2011年3月19日 上海市 The Mixing Room]] | ||
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2012年2月28日 (火) 13:11時点における版
蘭亭楽隊 | |
---|---|
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 兰亭 |
中国語名(繁体字) | 蘭亭 |
拼音 | Lanting |
英語名・外国語名 | The Lanterns |
出身地 | 上海市 |
ジャンル | ブリティッシュロック・サイケデリック |
活動期間 |
2001年7月 - 2005年末 2010年1月 - |
影響 | The Verve・Oasis |
メンバー |
王翼昊 李東城 代喆文 袁朝楨 徐璟 |
蘭亭楽隊(、Lanting)は、上海市で活動していたバンド。バンド名は東晋の書家・王羲之の「蘭亭序」から取るなど、中国的な要素とブリティッシュロックを融合させた次世代の上海ロックを担うバンドの1つとして人気があった。
メンバー
- 徐璟 キーボード(2002年1月 - 2005年末,2010年1月 -) -- 2009年10月24日、2009上海朱家角水郷音楽節 - 雲不挿電音楽会に参加した。
過去に在籍したメンバー
- 張競 ドラム(2004年7月 - 2004年後半)
- 銭旻(背北) ドラム(2004年後半 - 2005年7月) -- 浮光楽隊のメンバー。
- 李雲鵬 ギター(2005年前半) -- 2005年3月30日・4月2日・4月3日のライブをサポート。その後正式メンバーとなったがすぐに脱退。
- 代喆文 ベース(2001年7月 - 2005年末,2010年1月 - 2010年)
- 袁朝楨 ドラム(2001年7月 - 2004年6月,2005年8月 - 2005年末,2010年1月 - 2010年,2010年 -)
- 董敏 ギター(2010年 - ?) -- 元・Fusion楽隊のメンバー。
- 小猪 ベース(2010年 - ?)
サポートメンバー
- 陳松 パーカッション(2003年12月20日 パーカッション,2004年6月 ドラム,2004年8月21日 パーカッション) -- 2003年12月20日のライブと袁朝楨脱退直後に参加。
- (2004年8月21日) -- アメリカ人。2004年8月21日のライブに参加。
- (2004年8月21日) -- カナダ人。2004年8月21日のライブに参加。
- (2004年8月21日) -- イギリス人。2004年8月21日のライブに参加。
- 周玲 バックボーカル(2004年10月 - ?) -- 女性。
- 林黎 バックボーカル(2004年10月 - ?) -- 女性。
経歴
2001年7月結成。メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(代哲)(元・維多利亞的空間楽隊)(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)。バンド名は東晋の書家・王羲之の「蘭亭序」から取った。音楽スタイルはブリティッシュロック、サイケデリック。影響を受けたバンドはThe Verve、Oasisなど。8月、梅隴鎮伊勢丹で初ライブを行った。 2002年1月、徐璟(Key)が加入し、メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・徐璟(Key)・袁朝楨(Dr&Per)となった。5月、新天地ARKでライブを行った。7月7日、新天地ARKでライブを行った。7月21日、新天地ARKで行われた果味VC楽隊のライブの前座を務めた。8月17日、新天地ARKで行われたアメリカのThe Realisticsの前座を務めた。
上海ロック界期待のバンドであり、日本の音楽プロダクションからも注目を浴びている。固定ファンもいるが、ルックスが良いだけではなく、音楽的にも、演奏技術もなかなかのものであり、また、ライブ中もどのようなパフォーマンスをすればお客が喜ぶかを考えており、観客を飽きさせないように工夫するなど、ファンサービスも欠かせない。2002年10月発売の日本の雑誌『POP ASIA』No.44では、バンドインタビューが掲載された。
2003年の写真
左から:李東城・袁朝楨・王翼昊・代[吉吉]文・徐璟
11月9日、挂二音楽工場でライブを行った。11月23日、音楽倉でライブを行った。12月5日、華東師範大学礼堂でライブを行った。12月17日、上外逸夫会堂でライブを行った。
2003年1月1日、音楽倉でライブを行った。4月に発売されたオムニバス『泛音盒1』に曲が収録された。7月20日、新天地ARKで“廿零三年転多雲演唱会”を開いた。上海のバンドでレコード会社とも契約する前に単独でライブを開くことは、とても珍しい事で、しかもこの日は多くの観客が集まり、好評を博した。これは、彼らの人気が急上昇している事を物語る。10月8日、新天地ARKで行われたイギリスのBubblecraftのライブで、前座を務めた。11月1日、頂層画廊でライブを行った。12月7日、蘇州の揺滾[王攵]瑰酒[ロ巴]で行われた“為了告別的聚会”に参加した。12月20日、新天地ARKで行われた“生命的呼喚-事前募損義演(沼澤楽隊の阿来の娘のためのチャリティライブ)”に参加した。この時、陳松(Per)がサポートを務めた。
2004年10月7日、羅馬假日で行われたコンテストより (撮影:YIREN)
2004年3月14日、新天地ARKで行われた達達楽隊の前座を務めた。6月、袁朝楨が脱退してしまい、サポートを陳松(Dr)が務めた。7月、張競(Dr&Cho)が加入した。同月、アルカテル(阿爾ka特)の携帯電話の広告の撮影に参加した。8月21日、新天地ARKで三周年演唱会を開いた。この時、陳松(Per)ほか、アメリカ・カナダ・イギリス人がサポートを務めた。10月3日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。この時から、周玲と林黎がサポートコーラスを務めた。10月4日、羅馬假日でライブを行った。10月7日、羅馬假日で行われた“揺滾大閲兵”ロックコンテストに参加した。10月17日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。11月、フリーペーパー『生活在上(High)』2004年12月号に付いてくるオムニバス『No WaLLs Between Music』に曲が収録された。のち、錢旻(背北)(浮光楽隊)(Dr)が加入した。 2005年1月1日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。3月15日、外貿学院多功能庁で行われた“HAOLEDI原創音楽之夜”に参加した。3月30日、復旦大学本部湘輝堂でライブを行った。4月2日、挂二音楽酒[ロ巴]でインディーズ1stアルバム『到燈塔去』発表会を開いた。4月3日、上海大学本部新校区J楼202室でライブを行った。3月30日と4月2日、4月3日のライブは、李東城が韓国へ行っていたため、サポートで、李雲鵬(G)が参加した。その後、李雲鵬(G)が正式に加入した。
2003年7月20日、新天地ARKでのライブ 左から:李東城・王翼昊・徐璟・代[吉吉]文 (撮影:YIREN)
6月12日、哈雷酒[ロ巴]で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。6月21日、上海外国語大学松江校区で行われた“法国文化日音楽節”に参加した。8月、袁朝楨(Dr&Per)がバンドに復帰し、王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)・徐璟(Key)の初期の5人のメンバーで1stアルバムのレコーディングを開始した。 同年末、バンドは解散となった。
2006年10月17日、日本で発売となったオムニバス『上海点火 Vol.1』に曲が収録された。
2009年10月、インディーズオムニバス『仮如没有花蕾和詩篇』に曲が収録された。
2010年1月、活動を再開した。メンバーは初期のオリジナルメンバーのままである。
代[吉吉]文は2006年前半、甜蜜的孩子楽隊に加入した。徐璟は2009年10月24日、朱家角の柳亜子別墅で行われた“2009上海朱家角水郷音楽節 - 雲不挿電音楽会”に参加した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- 到灯塔去(2005年4月)
シングル
- 転多雲(2003年)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
几乎被拯救 | 泛音盒1 | 2003/4 | |
转多云 | No WaLLs Between Music | 2004/11 | |
爱是座城堡 | 上海点火 Vol.1 | 2006/10/17 | |
爱是座城堡 | 仮如没有花蕾和詩編 | 2009/10 | |
纯白 | 上海点火 Vol.1 | 2006/10/17 |
主要なライブ・コンサート
2001年7月結成。メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(代哲)(元・維多利亞的空間楽隊)(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)。バンド名は東晋の書家・王羲之の「蘭亭序」から取った。音楽スタイルはブリティッシュロック、サイケデリック。影響を受けたバンドはThe Verve、Oasisなど。8月、梅隴鎮伊勢丹で初ライブを行った。 2002年1月、徐璟(Key)が加入し、メンバーは王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・徐璟(Key)・袁朝楨(Dr&Per)となった。5月、新天地ARKでライブを行った。7月7日、新天地ARKでライブを行った。7月21日、新天地ARKで行われた果味VC楽隊のライブの前座を務めた。8月17日、新天地ARKで行われたアメリカのThe Realisticsの前座を務めた。
上海ロック界期待のバンドであり、日本の音楽プロダクションからも注目を浴びている。固定ファンもいるが、ルックスが良いだけではなく、音楽的にも、演奏技術もなかなかのものであり、また、ライブ中もどのようなパフォーマンスをすればお客が喜ぶかを考えており、観客を飽きさせないように工夫するなど、ファンサービスも欠かせない。2002年10月発売の日本の雑誌『POP ASIA』No.44では、バンドインタビューが掲載された。
2003年の写真
左から:李東城・袁朝楨・王翼昊・代[吉吉]文・徐璟
11月9日、挂二音楽工場でライブを行った。11月23日、音楽倉でライブを行った。12月5日、華東師範大学礼堂でライブを行った。12月17日、上外逸夫会堂でライブを行った。
2003年1月1日、音楽倉でライブを行った。4月に発売されたオムニバス『泛音盒1』に曲が収録された。7月20日、新天地ARKで“廿零三年転多雲演唱会”を開いた。上海のバンドでレコード会社とも契約する前に単独でライブを開くことは、とても珍しい事で、しかもこの日は多くの観客が集まり、好評を博した。これは、彼らの人気が急上昇している事を物語る。10月8日、新天地ARKで行われたイギリスのBubblecraftのライブで、前座を務めた。11月1日、頂層画廊でライブを行った。12月7日、蘇州の揺滾[王攵]瑰酒[ロ巴]で行われた“為了告別的聚会”に参加した。12月20日、新天地ARKで行われた“生命的呼喚-事前募損義演(沼澤楽隊の阿来の娘のためのチャリティライブ)”に参加した。この時、陳松(Per)がサポートを務めた。
2004年10月7日、羅馬假日で行われたコンテストより (撮影:YIREN)
2004年3月14日、新天地ARKで行われた達達楽隊の前座を務めた。6月、袁朝楨が脱退してしまい、サポートを陳松(Dr)が務めた。7月、張競(Dr&Cho)が加入した。同月、アルカテル(阿爾ka特)の携帯電話の広告の撮影に参加した。8月21日、新天地ARKで三周年演唱会を開いた。この時、陳松(Per)ほか、アメリカ・カナダ・イギリス人がサポートを務めた。10月3日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。この時から、周玲と林黎がサポートコーラスを務めた。10月4日、羅馬假日でライブを行った。10月7日、羅馬假日で行われた“揺滾大閲兵”ロックコンテストに参加した。10月17日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。11月、フリーペーパー『生活在上(High)』2004年12月号に付いてくるオムニバス『No WaLLs Between Music』に曲が収録された。のち、錢旻(背北)(浮光楽隊)(Dr)が加入した。 2005年1月1日、哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。3月15日、外貿学院多功能庁で行われた“HAOLEDI原創音楽之夜”に参加した。3月30日、復旦大学本部湘輝堂でライブを行った。4月2日、挂二音楽酒[ロ巴]でインディーズ1stアルバム『到燈塔去』発表会を開いた。4月3日、上海大学本部新校区J楼202室でライブを行った。3月30日と4月2日、4月3日のライブは、李東城が韓国へ行っていたため、サポートで、李雲鵬(G)が参加した。その後、李雲鵬(G)が正式に加入した。
2003年7月20日、新天地ARKでのライブ 左から:李東城・王翼昊・徐璟・代[吉吉]文 (撮影:YIREN)
6月12日、哈雷酒[ロ巴]で行われた木馬楽隊のライブの前座を務めた。6月21日、上海外国語大学松江校区で行われた“法国文化日音楽節”に参加した。8月、袁朝楨(Dr&Per)がバンドに復帰し、王翼昊(Vo&G)・李東城(リードG)・代[吉吉]文(B&Cho)・袁朝楨(Dr&Per)・徐璟(Key)の初期の5人のメンバーで1stアルバムのレコーディングを開始した。 同年末、バンドは解散となった。
2006年10月17日、日本で発売となったオムニバス『上海点火 Vol.1』に曲が収録された。
2009年10月、インディーズオムニバス『仮如没有花蕾和詩篇』に曲が収録された。
2010年1月、活動を再開した。メンバーは初期のオリジナルメンバーのままである。
代[吉吉]文は2006年前半、甜蜜的孩子楽隊に加入した。徐璟は2009年10月24日、朱家角の柳亜子別墅で行われた“2009上海朱家角水郷音楽節 - 雲不挿電音楽会”に参加した。