「王瀾」の版間の差分

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1993年5月、19歳の時に[[スラッシュメタル]]バンド・[[超載楽隊]]のメンバーとなり、同年、[[蘇珊娜夜総会]]で最初のライブを行なう。彼にとって生涯忘れない舞台となった。
 
1993年5月、19歳の時に[[スラッシュメタル]]バンド・[[超載楽隊]]のメンバーとなり、同年、[[蘇珊娜夜総会]]で最初のライブを行なう。彼にとって生涯忘れない舞台となった。
  
1994年6月には、[[竇唯]]のバックバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]コンサート」に参加した。
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1994年6月、[[竇唯]]のバックバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]コンサート」に参加した。
 
   
 
   
1995年初には[[周韧]]&[[紅燒肉楽隊]]に加わる。同年末には[[超載楽隊]]の1stアルバムのレコーディングに参加した。
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1995年初には[[周韧]]&[[紅燒肉楽隊]]に加わる。
  
1996年初、[[周韧]]の1stアルバムのレコーディング参加する。しかし、この後周韧のバンドは[[劉文泰]]の海外留学により解散してしまう。
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1997年3月、[[許巍]]のバックバンドの一員となり、[[長安]]、[[西安]]等で多くのライブをこなした。6月、[[戴秦]]らと共に[[痩人楽隊]]を結成する。同年末には、ラジオ・[[北京音楽台]]の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。
  
1997年には[[張楚]]のアルバム、『[[造飛機的工廠]]』のレコーディングに参加する。3月、[[許巍]]のバックバンドの一員となり、[[長安]][[西安]]等で多くのライブをこなす。6月、[[戴秦]]らと共に[[痩人楽隊]]を結成する。同年末には、ラジオ・[[北京音楽台]]の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。
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1998年から、[[痩人楽隊]]・[[超載楽隊]]・[[張楚]][[許巍]]の4バンドでドラムを叩く生活になる。北京の[[ライブハウス]]・[[KEEP IN TOUCH]]([[保持聯絡]])で行なわれた[[張炬]]追悼ライブでは、5つのバンドでドラムを叩いた。同年末、[[崔健]]のバンドでドラムを叩き、[[蘭州]][[南昌]][[成都]]等でのコンサートに参加した。
  
1998年初には、著名な[[プロデューサー]]・[[張亞東]]の1stアルバムのレコーディングに参加した。この年から、[[痩人楽隊]]・[[超載楽隊]]・[[張楚]]・[[許巍]]の4バンドでドラムを叩く生活になる。北京の[[ライブハウス]]・[[KEEP IN TOUCH]]([[保持聯絡]])で行なわれた[[張炬]]追悼ライブでは、5つのバンドでドラムを叩いた。同年末には、[[崔健]]の4thアルバム制作に参加し、また彼がコンサートツアーでもドラムを叩き、[[蘭州]]、[[南昌]]、[[成都]]等でのコンサートに参加した。
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1999年、[[鄭鈞]][[上海]]コンサートでドラムを叩いた。
 
 
1999年、[[超載楽隊]]の2ndアルバム制作に参加した。その後、[[鄭鈞]]の3rdアルバムレコーディングメンバーに加わり、また彼の[[上海]]コンサートでもドラムを叩いた。7月、[[痩人楽隊]]の1stアルバムを制作する。
 
  
 
2000年4月には、シンバル・[[Zildjian]]の[[エンドーサー]]となる。9月には、ドラム・[[Ludwig]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。
 
2000年4月には、シンバル・[[Zildjian]]の[[エンドーサー]]となる。9月には、ドラム・[[Ludwig]]の中国唯一の[[エンドーサー]]となる。
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2003年5月、[[痩人楽隊]]を脱退した。同年、[[艶楽隊]]を結成した。同年半ば、[[超載楽隊]]を脱退した。
 
2003年5月、[[痩人楽隊]]を脱退した。同年、[[艶楽隊]]を結成した。同年半ば、[[超載楽隊]]を脱退した。
 
2005年10月20日、[[上海]]の[[新国際博覧中心]]で行われた「[[2005中国(上海)国際楽器展覧会-第一届中国国際鼓手節]]」に参加した。11月5日、[[新豪運酒吧]]でドラムデモンストレーションを行なった。
 
  
 
2006年、[[藍楽隊]]を結成した。
 
2006年、[[藍楽隊]]を結成した。
  
2007年、[[瀾办得楽隊]]を結成した。6月24日、[[星光現場音楽庁]]で行なわれた「[[第1届Bass Night]]」に参加し、[[李劍]]や[[王學科]]と共にライブを行なった。7月13日、[[豪運酒吧]]で行なわれた[[液氧罐頭楽隊]]の[[アンプラグドライブ]]にゲスト出演した。11月25日、[[星光現場音楽庁]]で行なわれた「[[鼓舞飛揚 - 第1届鼓手中国.鼓吧鼓友会]]」のライブに、[[瀾办得楽隊]]を率いて参加した。
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2007年、[[瀾办得楽隊]]を結成した。
 
 
2008年8月31日、[[星光現場音楽庁]]で行なわれた「[[鼓舞飛揚 - 鼓手中国08金秋鼓友会]]」に王瀾與[[瀾办得楽隊]]として参加した。
 
 
 
2010年4月1日、[[MAO]]で行われた[[陳勁]]の3rdアルバム発表会に、[[梁龍]]・[[呉澤琨]]・[[單小帆]]・[[余偉民]]と共に参加した。
 
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==

2010年6月27日 (日) 06:44時点における版

痩人楽隊の1stアルバムのために撮影。

王瀾(ワン ラヌ、Wang Lan、1974年1月7日-)は、北京市出身のドラマー漢民族。中国を代表するドラマーの1人として名前が知れ渡っている。

経歴

父親は国家一級指揮者で、母親が国家一級歌手という、音楽家庭であった。7歳から美術を勉強していたが、両親の仕事の縁故により、13歳の時から、花盆鼓・板鼓・排鼓などの民族パーカッションを学び始める。のち、JIMI HENDRIXとJAMES BROWNの影響を受け、自分のスタイルを形成していった。16歳の時から、小軍鼓を学び始める。間もなく学び始めたドラムは、独学で覚えていった。1992年、中華全国総工会文工団に入って演奏員となり、各地でコンサートを行なう。そこでライブの感覚と経験を積んでいった。

1993年5月、19歳の時にスラッシュメタルバンド・超載楽隊のメンバーとなり、同年、蘇珊娜夜総会で最初のライブを行なう。彼にとって生涯忘れない舞台となった。

1994年6月、竇唯のバックバンドの一員として、香港に赴き、イギリスのRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、張楚何勇唐朝楽隊とともに、「中国揺滾楽勢力コンサート」に参加した。

1995年初には周韧&紅燒肉楽隊に加わる。

1997年3月、許巍のバックバンドの一員となり、長安西安等で多くのライブをこなした。6月、戴秦らと共に痩人楽隊を結成する。同年末には、ラジオ・北京音楽台の年度最優秀ドラマーの栄誉に輝く。

1998年から、痩人楽隊超載楽隊張楚許巍の4バンドでドラムを叩く生活になる。北京のライブハウスKEEP IN TOUCH保持聯絡)で行なわれた張炬追悼ライブでは、5つのバンドでドラムを叩いた。同年末、崔健のバンドでドラムを叩き、蘭州南昌成都等でのコンサートに参加した。

1999年、鄭鈞上海コンサートでドラムを叩いた。

2000年4月には、シンバル・Zildjianエンドーサーとなる。9月には、ドラム・Ludwigの中国唯一のエンドーサーとなる。

彼の履歴からも分かるとおり、ひとつのバンドには所属していない。それは、彼の技術を求める人が多く存在することの現れでもある。彼が超載楽隊に加入してロック界に飛びこんで以来、いまだに彼を越えるドラマーは中国には存在しない。

2001年5月、ドラムスティック・PRO-MARKの中国唯一のエンドーサーとなる。また同年、郭智音楽教室華偉音楽学校でドラムの講師を務めるようになった。同年末には、單小帆劉峰と共にドラム教室を開いた。

2002年3月17日から、日本で行なわれた「日中国交正常化30周年、音楽文化交流」に参加した。

2003年5月、痩人楽隊を脱退した。同年、艶楽隊を結成した。同年半ば、超載楽隊を脱退した。

2006年、藍楽隊を結成した。

2007年、瀾办得楽隊を結成した。

ディスコグラフィー

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
(曲名不明)鼓舞飛揚2008/9▼DVD▽2007年11月25日、「2007年第1届鼓手中国.鼓吧鼓友会」より
(曲名不明)鼓舞飛揚2008/9▼DVD▽2007年11月25日、「2007年第1届鼓手中国.鼓吧鼓友会」より
Jam貝斯夜2008/9クレジットは李劍與王瀾▼DVD▽2007年6月24日、「第1届Bass Night」より
Jam貝斯夜2008/9クレジットは王學科與王瀾▼DVD▽2007年6月24日、「第1届Bass Night」より

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD2005年10月20日“第一届中国国際鼓手節”現代楽手 第28期2005/11ドラム

主要なライブ・コンサート

外部リンク