廖仕偉
廖仕偉 | |
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雑誌『通俗歌曲』2002年6月号の表紙となった。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 廖仕偉 |
中国語名(繁体字) | 廖仕伟 |
拼音 | Liao Shiwei |
出生日 | 1977年 |
出身地 | 河南省洛陽 |
担当楽器 | ボーカル・ギター・プログラミング |
職業 | 音楽学校講師・音楽プロダクション経営 |
廖仕偉(リアオ シウエイ、Liao Shiwei、1977年 -)は、雲南省昭通市出身で、北京市在住のギタリスト。音楽学校・華偉音楽学校の創設者として知られている。
経歴
雲南省昭通市出身。幼い頃、母親が音楽教師であり、音楽を聴く良い環境にあった。7歳からクラシックギターを勉強し、両親といる時よりも、ギターに触れている時間が長く、冗談で「ギターを抱えて寝ている」というほどである。そのため、ギターテクニックもみるみる上達していった。ギターソロは彼の18番である。ギター以外にも、13歳からパーカッションを勉強した。14歳からは、エレクトリックギターを勉強した。また、ベース・ドラム・キーボードなどの楽器も勉強した。音楽的には、小さい頃からクラシックに影響を受けており、曲の中にクラシックギターの要素が盛り込まれる時がある。
1995年、北京市に移住した。1999年前後、二外女子楽隊のサポートギターを務めた。1999年には、新聞『北京晩報』上で、「1999年最も優秀なギタリストの一人」と紹介された。同年末には、華偉音楽学校(北京華偉東方芸術培訓中心}を設立し、学校の運営は他人に任せ、自らギターを学生達に教えた。
2000年前後には、褪色楽隊に加入した。
やがて、ギタリストとしてテクニックが認められ、2002年にはFenderの中国地区エンドーザーに選ばれた。
彼の家には、5000枚ほどのCDがあり(2002年前半現在)、それも全て正規盤である。平均すると、1日当たり2・3枚ほど入手している。
2003年12月、自らのレーベル・華偉唱片が制作したギターインストゥルメンタルによる1stミニアルバム『風起』が発売された。やがて、フランスのAMI爵士音楽学校を訪問し、中国でのJAZZ教育に関する協力に関して話し合った。
2004年、サイト・音楽中国を買収した。6月、芸術拒絶毒品大型チャリティコンサートを企画・主催した。6月26日、華偉集団の代表として、北京市委副書記・強偉の訪問を受ける。また、北京世紀壇で公安部副部長・孟宏偉から特別貢献賞の表彰を受けた。同年、雲南首届吉他大賽の評議委員を務めた。
2005年、陸川監督の映画『心音』の音楽を担当した。12月1日、中央電視台1套の番組「紅絲带-我們的承諾」エイズチャリティコンサートの音楽を担当した。
2006年3月、昆明首届国際美食節のアートディレクターを担当した。
2007年1月、斯琴格日楽の雲南省チャリティコンサートを主催した。11月9日、雲南省昆明市の昆明新亜洲体育城で行なわれた音楽与愛同行——渤駿之夜大型チャリティコンサートを企画した。
2008年1月、韩国のDREAMBOWギターのエンドーザーとなった。
2008年、2008年ワールドミスコンテスト中国雲南地区の音楽ディレクターを担当した。3月、雲南紅河音楽学院の客員教授となった。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- 廖仕偉(2003年12月)
主要なライブ・コンサート
- 2004年1月3日 北京 無名高地酒吧 2004絲憶迎新会にゲスト出演
- 2005年12月24日 北京 前世今生倶楽部 紫禁城楽隊と共にライブ
外部リンク
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