青山
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ナビゲーションに移動検索に移動青山 | |
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2004年5月、音楽雑誌『碑有声音楽読物』より。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 青山 |
中国語名(繁体字) | 青山 |
拼音 | Qingshan |
発音転記 | チンシャヌ |
学歴 | 中央民族学院 |
出身地 | 雲南省昆明市 |
職業 | プロデューサー・プランナー・プロダクション経営者 |
青山(チンシャヌ、Qingshan、1968年3月6日 -)は、北京市で活動しているプロデューサー。タイ族。
経歴
[イ泰]族。幼い頃から作曲家の両親の影響を受け、音楽を勉強する。1977年6月1日、新聞『雲南日報』に初めて創作した曲「红小兵喜洋洋」を発表した。
1980年から1989年にかけて、北京市の中央民族学院付属中学から中央民族学院本科卒業の間に、揚琴とパーカッション演奏と作曲を勉強する。
1989年から中国音楽家音像出版社で音楽プロデューサー、マネジメント、イベント企画などを担当する。
1994年初、青山音楽工作室を設立し、同年から数多くのロックアルバムをプロデュースする。
しかし、すべてのアルバムの評判は芳しくなく、彼のオムニバス・アルバムで名前を知られるようになった戴秦も、「青山は中国ロック界を駄目にする男だ」と語っていたほどであった。1990年代半ば、彼がロックアルバムを大量生産したために、評論家達から中国ロックの将来を不安視する声が多く聞こえてくるようになってしまった。
1999年からはイベントプロデュースを始め、「99中英足球対抗賽」や「慶世博美膚今夜星辰還珠格格閙春城大型総芸晩会」、「2000張信哲愛如潮水昆明大型演唱会」、「恋曲2000羅大佑昆明大型演唱会」など手がけた。
中国ロック界からは大きく遠ざかっているが、彼自身は2004年5月、音楽雑誌『碑有声音楽読物』掲載のインタビューで、ロック界から離れているとは思わないと語っている。
2004年初、北京彩雲之南文化発展有限公司を開いた。