「伊丹谷良介」の版間の差分

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[[Image:Itamiya_12.jpg|thumb|2003年8月30日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でのライブ。左から:[[韓鴻賓]](G)・伊丹谷良介(Vo&G)・[[張勇]](B)。(撮影:[[YIREN]])]]
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[[Image:Itamiya_13.jpg|thumb|2005年2月19日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]で行なわれたシークレットライブより。(撮影:[[YIREN]])]]
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'''伊丹谷良介'''(いたみや りょうすけ、1973年11月18日 -、)は、2000年代、[[北京市]]や[[広東省]][[深圳市]]で活動していた[[日本人]][[歌手]]。
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== メンバー ==
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*'''伊丹谷良介''' [[ボーカル]]
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=== 過去に在籍したメンバー ===
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*'''''' [[ボーカル]]
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*'''[[王偉]]''' [[ベース]](2001年)
 
*'''[[王偉]]''' [[ベース]](2001年)
*'''[[小偉(サックス奏者)|小偉]]''' [[サックス]] & [[パーカッション(2003年)
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*'''[[小偉(サックス奏者)|小偉]]''' [[サックス]] & [[パーカッション]](2003年)
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=== サポートメンバー ===
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== 経歴 ==
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1973年11月18日、大阪で生まれる。1987年からライブ活動をスタートする。1992年、宝塚造形芸術大学ビジュアルデザイン科に入学する。19歳の時に、ニューヨークに滞在する。帰国後、FRIED EGG JAMを結成し、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・関西などでライブを行う。1996年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1996”を公演する。この時、ボーカル兼トータルプロデュースを務める。また、オムニバス『BRASS NIGHT MASTERS』を発表する。1997年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1997”を公演する。同年、FRIED EGG JAMのアルバム『FRIED EGG JAM』を発表した。同年、数々のコンテストで優勝、準優勝、オーディエンス賞などを獲得する。その他、Chuck BrownやP Funkなどの来日公演の前座を務めた。1998年、宝塚造形芸術大学大学院修士課を終了する。1998年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1998”を公演する。その後、ソロ活動を開始する。
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 1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国各地の都市(天津・常州・蘇州・南京など7ヶ所)でコンサートを行い、約4万人を動員する。
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 2000年、昆明で行われた世界音楽祭に中国政府より招待される。4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国でのツアーを開始し、上海・昆明・雲南・広東など10ヶ所でコンサートを行い、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。
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2003年8月30日、上海の新天地ARKでのライブ
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(撮影:YIREN)
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 2001年3月1日から3月11日まで北京と天津へ行き、3月3日には莱茵河声場で行われた痩人楽隊とのライブ終了後、彼らとセッションを行い、北京のロックミュージシャン達から注目を浴びた。3月6日、天津のDISCOでライブを行った。3月7日、天津電視台のラジオに出演した。3月31日、CLUBクアトロでライブを行った。この時のメンバーは、Hiro(G)・Hokuto(B)・Yuuko(Per)・Takei(Sax)。
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 2002年5月31日から北京へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは深[土川]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。
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 2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。メンバーは、伊丹谷良介(Vo)・韓鴻賓(G)・張勇(B)・李寧(Dr)・雷鳴(Key)・小偉(Sax&Per)。本色酒[ロ巴]や根拠地酒[ロ巴]など、深[土川]のいくつかのライブハウスでライブを行った。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で中国での活動が紹介された。8月1日、根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月28日・29日・30日には、上海の新天地ARKで“中国第300場紀念演唱会”を開いた。この時、コーラスはonlyが務めた。
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2003年8月30日、上海のARKでのライブ
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左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B)
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(撮影:YIREN)
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 ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、崔健の「一無所有」や「NEW LONG MARCH(新長征路上的揺滾)」、臧天朔の「朋友」などをレパートリーに入れ、日本人だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行うなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。
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 11月2日、本色酒[ロ巴]で行われた“True Color Japanese Night DJ and ROCK Vol.1”に、ロックアーティストとして参加した。同月下旬から12月初旬にかけて、Seasons Leeと共に台湾ツアーに行き、数ヶ所でライブを行った。12月31日、上海の新天地広場特設ステージで行われたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。
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 2004年10月27日、上海のROJAMで行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。10月28日、日本と香港でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバムが同時発売となった。10月29日、北京の北京民族宮文化大劇院で行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。
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 2005年1月15・16日、蘇州の81号音楽餐庁でライブを行った。同年頃から、香港・日本・中国を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠愛大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、香港を中心に話題となる。
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 2006年4月、香港のpuzzleZでライブを行った際、曲「我愛[イ尓]」をカバーした紀敏佳が東京のスタジオからゲスト出演した。
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2005年2月19日、上海の新天地ARKで行われたシークレットライブより
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(撮影:YIREN)
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 今後、どのように活動していくか、とても楽しみである。(参考:itamiya.net)
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== ディスコグラフィー ==
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=== スタジオ・アルバム ===
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*'''[[Hello Mr.Asian(伊丹谷良介)|Hello Mr.Asian]]'''(2004年10月28日)
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=== 参加アルバム ===
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*アルバムも含め、中国ロック関係のみ記載。
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== 主要なライブ・コンサート ==
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1973年11月18日、大阪で生まれる。1987年からライブ活動をスタートする。1992年、宝塚造形芸術大学ビジュアルデザイン科に入学する。19歳の時に、ニューヨークに滞在する。帰国後、FRIED EGG JAMを結成し、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・関西などでライブを行う。1996年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1996”を公演する。この時、ボーカル兼トータルプロデュースを務める。また、オムニバス『BRASS NIGHT MASTERS』を発表する。1997年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1997”を公演する。同年、FRIED EGG JAMのアルバム『FRIED EGG JAM』を発表した。同年、数々のコンテストで優勝、準優勝、オーディエンス賞などを獲得する。その他、Chuck BrownやP Funkなどの来日公演の前座を務めた。1998年、宝塚造形芸術大学大学院修士課を終了する。1998年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1998”を公演する。その後、ソロ活動を開始する。
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 1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国各地の都市(天津・常州・蘇州・南京など7ヶ所)でコンサートを行い、約4万人を動員する。
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 2000年、昆明で行われた世界音楽祭に中国政府より招待される。4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国でのツアーを開始し、上海・昆明・雲南・広東など10ヶ所でコンサートを行い、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。
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2003年8月30日、上海の新天地ARKでのライブ
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(撮影:YIREN)
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 2001年3月1日から3月11日まで北京と天津へ行き、3月3日には莱茵河声場で行われた痩人楽隊とのライブ終了後、彼らとセッションを行い、北京のロックミュージシャン達から注目を浴びた。3月6日、天津のDISCOでライブを行った。3月7日、天津電視台のラジオに出演した。3月31日、CLUBクアトロでライブを行った。この時のメンバーは、Hiro(G)・Hokuto(B)・Yuuko(Per)・Takei(Sax)。
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 2002年5月31日から北京へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは深[土川]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。
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 2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。メンバーは、伊丹谷良介(Vo)・韓鴻賓(G)・張勇(B)・李寧(Dr)・雷鳴(Key)・小偉(Sax&Per)。本色酒[ロ巴]や根拠地酒[ロ巴]など、深[土川]のいくつかのライブハウスでライブを行った。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で中国での活動が紹介された。8月1日、根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月28日・29日・30日には、上海の新天地ARKで“中国第300場紀念演唱会”を開いた。この時、コーラスはonlyが務めた。
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2003年8月30日、上海のARKでのライブ
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左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B)
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(撮影:YIREN)
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 ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、崔健の「一無所有」や「NEW LONG MARCH(新長征路上的揺滾)」、臧天朔の「朋友」などをレパートリーに入れ、日本人だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行うなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。
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 11月2日、本色酒[ロ巴]で行われた“True Color Japanese Night DJ and ROCK Vol.1”に、ロックアーティストとして参加した。同月下旬から12月初旬にかけて、Seasons Leeと共に台湾ツアーに行き、数ヶ所でライブを行った。12月31日、上海の新天地広場特設ステージで行われたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。
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 2004年10月27日、上海のROJAMで行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。10月28日、日本と香港でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバムが同時発売となった。10月29日、北京の北京民族宮文化大劇院で行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。
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 2005年1月15・16日、蘇州の81号音楽餐庁でライブを行った。同年頃から、香港・日本・中国を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠愛大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、香港を中心に話題となる。
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 2006年4月、香港のpuzzleZでライブを行った際、曲「我愛[イ尓]」をカバーした紀敏佳が東京のスタジオからゲスト出演した。
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2005年2月19日、上海の新天地ARKで行われたシークレットライブより
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(撮影:YIREN)
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 今後、どのように活動していくか、とても楽しみである。(参考:itamiya.net)
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== 外部リンク ==
  
*[[莱茵河声場/2001年3月3日|2001年3月3日 北京市 莱茵河声場]]
+
*UTF-8
*[[深圳歓楽谷/2003年12月25日|2003年12月25日 広東省深圳市 深圳歓楽谷 2003深圳歓楽谷流行音楽節]] クレジット:伊丹谷良介楽隊
 
*[[Arkham/2016年8月21日|2016年8月21日 上海市 Arkham]] FIGHT NIGHT Vol.3 はたけ(日本)・[[伊丹谷良介]]・DJ CAVIA・DJ L-J
 
  
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[[Category:深圳市のアーティスト]]
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[[Category:日本]]
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[[Category:アメリカ]]
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[[Category:ミャンマー]]
 +
[[Category:歌手]]

2018年11月27日 (火) 14:13時点における版

伊丹谷良介
Itamiya 11.jpg
2003年8月30日、上海市新天地ARKでのライブ。(撮影:YIREN
基本情報
中国語名(簡体字) 伊丹谷良介
中国語名(繁体字) 伊丹谷良介
拼音 Idangu Liangjie
発音転記 イダヌグゥ リアンジエ
英語名・外国語名 Itamiya Ryosuke
出身地 日本
担当楽器 ボーカルギター
ジャンル ハードロックポップロック
職業 歌手
メンバー 伊丹谷良介
2003年8月30日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B)。(撮影:YIREN
2005年2月19日、上海市新天地ARKで行なわれたシークレットライブより。(撮影:YIREN

伊丹谷良介(いたみや りょうすけ、1973年11月18日 -、)は、2000年代、北京市広東省深圳市で活動していた日本人歌手

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

1973年11月18日、大阪で生まれる。1987年からライブ活動をスタートする。1992年、宝塚造形芸術大学ビジュアルデザイン科に入学する。19歳の時に、ニューヨークに滞在する。帰国後、FRIED EGG JAMを結成し、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・関西などでライブを行う。1996年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1996”を公演する。この時、ボーカル兼トータルプロデュースを務める。また、オムニバス『BRASS NIGHT MASTERS』を発表する。1997年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1997”を公演する。同年、FRIED EGG JAMのアルバム『FRIED EGG JAM』を発表した。同年、数々のコンテストで優勝、準優勝、オーディエンス賞などを獲得する。その他、Chuck BrownやP Funkなどの来日公演の前座を務めた。1998年、宝塚造形芸術大学大学院修士課を終了する。1998年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1998”を公演する。その後、ソロ活動を開始する。  1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国各地の都市(天津・常州・蘇州・南京など7ヶ所)でコンサートを行い、約4万人を動員する。  2000年、昆明で行われた世界音楽祭に中国政府より招待される。4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国でのツアーを開始し、上海・昆明・雲南・広東など10ヶ所でコンサートを行い、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。

2003年8月30日、上海の新天地ARKでのライブ (撮影:YIREN)

 2001年3月1日から3月11日まで北京と天津へ行き、3月3日には莱茵河声場で行われた痩人楽隊とのライブ終了後、彼らとセッションを行い、北京のロックミュージシャン達から注目を浴びた。3月6日、天津のDISCOでライブを行った。3月7日、天津電視台のラジオに出演した。3月31日、CLUBクアトロでライブを行った。この時のメンバーは、Hiro(G)・Hokuto(B)・Yuuko(Per)・Takei(Sax)。  2002年5月31日から北京へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは深[土川]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。  2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。メンバーは、伊丹谷良介(Vo)・韓鴻賓(G)・張勇(B)・李寧(Dr)・雷鳴(Key)・小偉(Sax&Per)。本色酒[ロ巴]や根拠地酒[ロ巴]など、深[土川]のいくつかのライブハウスでライブを行った。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で中国での活動が紹介された。8月1日、根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月28日・29日・30日には、上海の新天地ARKで“中国第300場紀念演唱会”を開いた。この時、コーラスはonlyが務めた。 2003年8月30日、上海のARKでのライブ 左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B) (撮影:YIREN)  ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、崔健の「一無所有」や「NEW LONG MARCH(新長征路上的揺滾)」、臧天朔の「朋友」などをレパートリーに入れ、日本人だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行うなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。  11月2日、本色酒[ロ巴]で行われた“True Color Japanese Night DJ and ROCK Vol.1”に、ロックアーティストとして参加した。同月下旬から12月初旬にかけて、Seasons Leeと共に台湾ツアーに行き、数ヶ所でライブを行った。12月31日、上海の新天地広場特設ステージで行われたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。  2004年10月27日、上海のROJAMで行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。10月28日、日本と香港でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバムが同時発売となった。10月29日、北京の北京民族宮文化大劇院で行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。  2005年1月15・16日、蘇州の81号音楽餐庁でライブを行った。同年頃から、香港・日本・中国を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠愛大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、香港を中心に話題となる。  2006年4月、香港のpuzzleZでライブを行った際、曲「我愛[イ尓]」をカバーした紀敏佳が東京のスタジオからゲスト出演した。

2005年2月19日、上海の新天地ARKで行われたシークレットライブより (撮影:YIREN)    今後、どのように活動していくか、とても楽しみである。(参考:itamiya.net)

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

参加アルバム

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
紀敏佳我爱你佳信・佳音2006/4作詞(紀敏佳と)、作曲
紀敏佳我爱你全新.紀敏佳2006/6作詞(紀敏佳と)、作曲、バックボーカル(複数で)専輯版(アルバムバージョン)

*アルバムも含め、中国ロック関係のみ記載。

主要なライブ・コンサート

1973年11月18日、大阪で生まれる。1987年からライブ活動をスタートする。1992年、宝塚造形芸術大学ビジュアルデザイン科に入学する。19歳の時に、ニューヨークに滞在する。帰国後、FRIED EGG JAMを結成し、東京・横浜・名古屋・京都・大阪・関西などでライブを行う。1996年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1996”を公演する。この時、ボーカル兼トータルプロデュースを務める。また、オムニバス『BRASS NIGHT MASTERS』を発表する。1997年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1997”を公演する。同年、FRIED EGG JAMのアルバム『FRIED EGG JAM』を発表した。同年、数々のコンテストで優勝、準優勝、オーディエンス賞などを獲得する。その他、Chuck BrownやP Funkなどの来日公演の前座を務めた。1998年、宝塚造形芸術大学大学院修士課を終了する。1998年、“FRIED EGG JAM VISUAL + SOUND = SPACE 1998”を公演する。その後、ソロ活動を開始する。  1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国各地の都市(天津・常州・蘇州・南京など7ヶ所)でコンサートを行い、約4万人を動員する。  2000年、昆明で行われた世界音楽祭に中国政府より招待される。4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国でのツアーを開始し、上海・昆明・雲南・広東など10ヶ所でコンサートを行い、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。

2003年8月30日、上海の新天地ARKでのライブ (撮影:YIREN)

 2001年3月1日から3月11日まで北京と天津へ行き、3月3日には莱茵河声場で行われた痩人楽隊とのライブ終了後、彼らとセッションを行い、北京のロックミュージシャン達から注目を浴びた。3月6日、天津のDISCOでライブを行った。3月7日、天津電視台のラジオに出演した。3月31日、CLUBクアトロでライブを行った。この時のメンバーは、Hiro(G)・Hokuto(B)・Yuuko(Per)・Takei(Sax)。  2002年5月31日から北京へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは深[土川]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。  2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。メンバーは、伊丹谷良介(Vo)・韓鴻賓(G)・張勇(B)・李寧(Dr)・雷鳴(Key)・小偉(Sax&Per)。本色酒[ロ巴]や根拠地酒[ロ巴]など、深[土川]のいくつかのライブハウスでライブを行った。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で中国での活動が紹介された。8月1日、根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月28日・29日・30日には、上海の新天地ARKで“中国第300場紀念演唱会”を開いた。この時、コーラスはonlyが務めた。 2003年8月30日、上海のARKでのライブ 左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B) (撮影:YIREN)  ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、崔健の「一無所有」や「NEW LONG MARCH(新長征路上的揺滾)」、臧天朔の「朋友」などをレパートリーに入れ、日本人だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行うなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。  11月2日、本色酒[ロ巴]で行われた“True Color Japanese Night DJ and ROCK Vol.1”に、ロックアーティストとして参加した。同月下旬から12月初旬にかけて、Seasons Leeと共に台湾ツアーに行き、数ヶ所でライブを行った。12月31日、上海の新天地広場特設ステージで行われたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。  2004年10月27日、上海のROJAMで行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。10月28日、日本と香港でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバムが同時発売となった。10月29日、北京の北京民族宮文化大劇院で行われた“2004日本FANS大聚会”に出演した。  2005年1月15・16日、蘇州の81号音楽餐庁でライブを行った。同年頃から、香港・日本・中国を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠愛大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、香港を中心に話題となる。  2006年4月、香港のpuzzleZでライブを行った際、曲「我愛[イ尓]」をカバーした紀敏佳が東京のスタジオからゲスト出演した。

2005年2月19日、上海の新天地ARKで行われたシークレットライブより (撮影:YIREN)    今後、どのように活動していくか、とても楽しみである。(参考:itamiya.net)

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