「伊丹谷良介」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
10行目: 10行目:
 
| birth_name          =  
 
| birth_name          =  
 
| alias                =  
 
| alias                =  
| born                =  
+
| born                = 1973年11月18日
 
| blood                =  
 
| blood                =  
 
| school_background    = [[宝塚造形芸術大学]]大学院修士課
 
| school_background    = [[宝塚造形芸術大学]]大学院修士課
18行目: 18行目:
 
| genre                = [[ハードロック]]・[[ポップロック]]
 
| genre                = [[ハードロック]]・[[ポップロック]]
 
| occupation          = [[歌手]]
 
| occupation          = [[歌手]]
| years_active        =  
+
| years_active        = 1987年 -
 
| influences          =  
 
| influences          =  
 
| current_members      = 伊丹谷良介
 
| current_members      = 伊丹谷良介
  
 
}}
 
}}
 
 
[[Image:Itamiya_12.jpg|thumb|2003年8月30日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でのライブ。左から:[[韓鴻賓]](G)・伊丹谷良介(Vo&G)・[[張勇]](B)。(撮影:[[YIREN]])]]
 
[[Image:Itamiya_12.jpg|thumb|2003年8月30日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でのライブ。左から:[[韓鴻賓]](G)・伊丹谷良介(Vo&G)・[[張勇]](B)。(撮影:[[YIREN]])]]
 
[[Image:Itamiya_13.jpg|thumb|2005年2月19日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]で行なわれたシークレットライブより。(撮影:[[YIREN]])]]
 
[[Image:Itamiya_13.jpg|thumb|2005年2月19日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]で行なわれたシークレットライブより。(撮影:[[YIREN]])]]
  
'''伊丹谷良介'''(いたみや りょうすけ、1973年11月18日 -、)は、2000年代、[[北京市]]や[[広東省]][[深圳市]]で活動していた[[日本人]][[歌手]]。
+
'''伊丹谷良介'''(いたみや りょうすけ、1973年11月18日 -)は、[[北京市]]や[[広東省]][[深圳市]]で活動していた[[日本人]][[歌手]]。
  
 
== メンバー ==
 
== メンバー ==
41行目: 40行目:
 
*'''[[小偉(サックス奏者)|小偉]]''' [[サックス]] & [[パーカッション]](2003年)
 
*'''[[小偉(サックス奏者)|小偉]]''' [[サックス]] & [[パーカッション]](2003年)
 
*'''[[雷鳴]]''' [[キーボード]](2003年)
 
*'''[[雷鳴]]''' [[キーボード]](2003年)
*'''''' [[ドラム]]
 
*'''''' [[ギター]]
 
*'''''' [[ギター]]
 
 
 
  
 
=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
61行目: 55行目:
 
1998年、[[宝塚造形芸術大学]]大学院修士課を終了する。その後、ソロ活動を開始する。
 
1998年、[[宝塚造形芸術大学]]大学院修士課を終了する。その後、ソロ活動を開始する。
  
1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国の各都市(7か所)でコンサートを行ない、約4万人を動員する。
+
1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて[[中国]]の各都市(7か所)でコンサートを行ない、約4万人を動員する。
  
2000年4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国各都市(10ヶ所)でコンサートを行ない、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。
+
2000年4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて[[中国]]各都市(10ヶ所)でコンサートを行ない、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。
  
2002年5月31日から[[北京市]]へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは[[広東省]][[深圳市]]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。
+
2002年5月31日から[[北京市]]へ移住し、[[中国]]での本格的な活動を開始した。9月30日からは[[広東省]][[深圳市]]での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。
  
2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で中国での活動が紹介された。12月31日、上海の新天地広場特設ステージで行われたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。
+
2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で、[[中国]]での活動が紹介された。12月31日、[[上海市]]で行なわれたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が[[中国]]全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。
  
ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、[[崔健]]の「[[一无所有]]」や「NEW LONG MARCH(新长征路上的摇滚)」、[[蔵天朔]]の「朋友」などをレパートリーに入れ、[[日本人]]だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行なうなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。
+
ロック歌手として、[[中国]]での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、[[崔健]]の「[[一无所有]]」や「NEW LONG MARCH(新长征路上的摇滚)」、[[蔵天朔]]の「朋友」などをレパートリーに入れ、[[日本人]]だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、[[中国]]に移住し活動を行なうなど、[[中国]]での活動に対する意気込みは半端ではない。
  
200410月28日、[[日本]]と[[香港]]でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバムが同時発売となった。
+
2004年10月28日、[[日本]]と[[香港]]でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバム『[[Hello Mr.Asian(伊丹谷良介)|Hello Mr.Asian]]』が同時発売となった。
  
 
2005年頃から、[[香港]]・[[日本]]・[[中国]]を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠爱大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、[[香港]]を中心に話題となる。
 
2005年頃から、[[香港]]・[[日本]]・[[中国]]を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠爱大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、[[香港]]を中心に話題となる。
  
2009年、ボーカル教則本 『バンドボーカル読本』が発売となった。
+
2009年、[[ボーカル]]教則本 『バンドボーカル読本』が発売となった。
  
 
2011年、HATAKE BANDに加入し、[[ボーカル]]を担当する。
 
2011年、HATAKE BANDに加入し、[[ボーカル]]を担当する。
  
現在は[[東京都]]で活動しているが、たまに[[中国]]でもライブやドラマ出演などに参加しており、今後の活動がとても楽しみである。(参考:[http://www.itamiya.net/ itamiya.net])
+
現在は[[東京都]]で活動しているが、たまに[[中国]]や[[香港]]でのライブを行なったり、ドラマなどに出演しており、今後も[[中華圏]]での活動がとても楽しみである。(参考:[http://www.itamiya.net/ itamiya.net])
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
161行目: 155行目:
 
*[[天津市/2001年3月6日|2001年3月6日 天津市 DISCO]]
 
*[[天津市/2001年3月6日|2001年3月6日 天津市 DISCO]]
 
*2001年3月7日 [[天津市]] [[天津電視台]] ラジオ出演
 
*2001年3月7日 [[天津市]] [[天津電視台]] ラジオ出演
*2001年3月31日 [[東京都]] CLUBクアトロ メンバーは、Hiro(G)・Hokuto(B)・Yuuko(Per)・Takei(Sax)。
 
 
*[[根拠地酒吧(上歩店)/2002年8月1日|2002年8月1日 広東省深圳市 根拠地酒吧(上歩店) 第三届深圳揺滾音楽周]]
 
*[[根拠地酒吧(上歩店)/2002年8月1日|2002年8月1日 広東省深圳市 根拠地酒吧(上歩店) 第三届深圳揺滾音楽周]]
*[[新天地ARK/2003年8月28日|2003年8月28日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会 ”を開いた。この時、コーラスはonlyが務めた。
+
*[[新天地ARK/2003年8月28日|2003年8月28日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会
 
*[[新天地ARK/2003年8月29日|2003年8月29日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会
 
*[[新天地ARK/2003年8月29日|2003年8月29日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会
 
*[[新天地ARK/2003年8月30日|2003年8月30日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会
 
*[[新天地ARK/2003年8月30日|2003年8月30日 上海市 新天地ARK]] 中国第300場記念演唱会

2018年11月27日 (火) 15:25時点における版

伊丹谷良介
Itamiya 11.jpg
2003年8月30日、上海市新天地ARKでのライブ。(撮影:YIREN
基本情報
中国語名(簡体字) 伊丹谷良介
中国語名(繁体字) 伊丹谷良介
拼音 Idangu Liangjie
発音転記 イダヌグゥ リアンジエ
英語名・外国語名 Itamiya Ryosuke
出生日 1973年11月18日
学歴 宝塚造形芸術大学大学院修士課
出身地 日本大阪府
担当楽器 ボーカルギター
ジャンル ハードロックポップロック
職業 歌手
活動期間 1987年 -
メンバー 伊丹谷良介
2003年8月30日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:韓鴻賓(G)・伊丹谷良介(Vo&G)・張勇(B)。(撮影:YIREN
2005年2月19日、上海市新天地ARKで行なわれたシークレットライブより。(撮影:YIREN

伊丹谷良介(いたみや りょうすけ、1973年11月18日 -)は、北京市広東省深圳市で活動していた日本人歌手

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

  • only バックボーカル(2003年8月28・29・30日) -- 女性。2003年8月28・29・30日のライブに参加。

経歴

1987年からライブ活動をスタートする。1992年、宝塚造形芸術大学ビジュアルデザイン科に入学する。19歳の時に、アメリカ・ニューヨークに滞在する。帰国後、FRIED EGG JAMを結成し、各地でライブを行なう。

1996年、オムニバス・アルバム『BRASS NIGHT MASTERS』を発表した。

1997年、FRIED EGG JAMのアルバム『FRIED EGG JAM』を発表した。同年、数々のコンテストで優勝・準優勝・オーディエンス賞などを獲得する。

1998年、宝塚造形芸術大学大学院修士課を終了する。その後、ソロ活動を開始する。

1999年、黒龍現代音楽団を結成する。同年11月15日から12月4日まで、黒龍現代音楽団(black dragon elechestra)を率いて中国の各都市(7か所)でコンサートを行ない、約4万人を動員する。

2000年4月15日から、再び黒龍現代音楽団を率いて中国各都市(10ヶ所)でコンサートを行ない、約5万人を動員した。同年、『ジャングルライフ』誌で「愛的銃弾」の連載をスタートする。

2002年5月31日から北京市へ移住し、中国での本格的な活動を開始した。9月30日からは広東省深圳市での音楽活動を始めた。当初はソロでの活動が中心であった。

2003年半ばからはメンバーを招集し、バンドと共に活動を始めた。6月29日、読売新聞2面記事の「顔」で、中国での活動が紹介された。12月31日、上海市で行なわれたカウントダウンライブに出演し、劉徳華(アンディ・ラウ)や王蓉などといった有名歌手と一緒の舞台に立った。そして、この様子が中国全土に放映され、約4億人がこの放送を見る事となった。

ロック歌手として、中国での300回を越える外国人によるライブは異例な事である。中国語のオリジナル曲があるほか、崔健の「一无所有」や「NEW LONG MARCH(新长征路上的摇滚)」、蔵天朔の「朋友」などをレパートリーに入れ、日本人だけでなく、中国人にも楽しめるようなライブ構成にしている。何より、中国に移住し活動を行なうなど、中国での活動に対する意気込みは半端ではない。

2004年10月28日、日本香港でそれぞれ日本語盤と中国語盤アルバム『Hello Mr.Asian』が同時発売となった。

2005年頃から、香港日本中国を頻繁に往復する生活となる。同年半ば、「老鼠爱大米」日本語カバー曲「NEZUMI」を発表し、香港を中心に話題となる。

2009年、ボーカル教則本 『バンドボーカル読本』が発売となった。

2011年、HATAKE BANDに加入し、ボーカルを担当する。

現在は東京都で活動しているが、たまに中国香港でのライブを行なったり、ドラマなどに出演しており、今後も中華圏での活動がとても楽しみである。(参考:itamiya.net

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考
YES愛你不放手2014中国ドラマの主題歌

参加アルバム

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
紀敏佳我爱你佳信・佳音2006/4作詞(紀敏佳と)、作曲
紀敏佳我爱你全新.紀敏佳2006/6作詞(紀敏佳と)、作曲、バックボーカル(複数で)専輯版(アルバムバージョン)
風雲組合TOP STAR風雲2009楽曲提供オリジナル曲名は「ROCK STAR」
平安未知的幸福2017/8/16バックボーカル

*アルバムも含め、中国関係のみ記載。

主要なライブ・コンサート

外部リンク