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[[2008年]]、[[痩人楽隊]]のサポートギターを務める。以後、ライブには必ず参加するようになる。 | [[2008年]]、[[痩人楽隊]]のサポートギターを務める。以後、ライブには必ず参加するようになる。 |
2010年6月1日 (火) 17:38時点における版
(ジョウクウヌ、Zhou Kun、1981年4月3日-)は、湖南省出身で、北京在住のギターリスト。
経歴
1998年の時、偶然海外のバンドのライブをテレビで見てからギターの存在を知る。その後、自分に必要なものが何かが分かり、勉強をやめてギターリストになることを決心した。ただ、家族の同意を得られず、なかなか実現に至らなかった。1999年4月3日の誕生日、母親から1500元のエレキギターを買ってもらった。その後、学校を中途退学して実家に戻った後、ギターの勉強をスタートさせた。
やがて家族の支持を得て、2000年8月には上京し、北京現代音楽学院に入学した。北京現代音楽学院では、戰斧楽隊の郭智勇や航天楽隊の張雲豐、アメリカ華僑の顧中山やジャズドラマー・古賀泉の指導の下で、基礎から勉強した。その間、アメリカのトランペット奏者のLance Goernerからバンド演奏に関して教わったほか、一緒にセッションを行なった。やがて、炎楽隊を結成した。
2003年、北京現代音楽学院より、ギター五級証書をもらった。
そのあと、漂亮親戚楽隊や酷巴士楽隊に加入し、ギターを担当した。
2005年からは、1人で音楽制作やレコーディングなどに関して勉強し、ギターリストとしてでなく、マルチなミュージシャンを目指すための勉強を始めた。同年半ば、耳光楽隊や左右楽隊に加入した。同年後半、Warwickの飛魔士ギターのエンドーサーとなった。
2007年、耳光楽隊を脱退した。7月13日、豪運酒吧で行われた液氧罐頭楽隊のアンプラグドライブにゲスト出演した。