「周鳳嶺」の版間の差分

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1990年から1991年は、[[面孔楽隊]]でギターを務める。
 
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1993年には、[[紅桃5楽隊]]を結成し、インディーズシーンで話題を呼ぶ。
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1993年には、[[紅桃5楽隊]]を結成した。
  
 
1994年には、[[竇唯]]のバンドでギターを務め、6月には、[[竇唯]]のバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び[[竇唯]]のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]」コンサートに参加した。
 
1994年には、[[竇唯]]のバンドでギターを務め、6月には、[[竇唯]]のバンドの一員として、[[香港]]に赴き、[[イギリス]]のRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び[[竇唯]]のバックバンドの一員として香港に赴き、[[張楚]]・[[何勇]]・[[唐朝楽隊]]とともに、「[[中国揺滾楽勢力]]」コンサートに参加した。
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バンド活動以外には、[[王菲]](フェイ・ウォン)や[[羅琦]]、李慧珍などに楽曲を提供する。
 
バンド活動以外には、[[王菲]](フェイ・ウォン)や[[羅琦]]、李慧珍などに楽曲を提供する。
 
   
 
   
1998年12月20日、[[北京戯曲学校]]で行なわれた「[[X2000EXIT跨世紀新音楽出口発表会]]」に参加し、久しぶりにメディアの前に露出した。この時のバンドメンバーは、周鳳嶺(Vo)・[[李冰]](G)・[[陳小虎]](B)・[[王超]](Key)・[[余偉民]](Dr)だった。
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1998年12月20日、[[北京戯曲学校]]で行なわれた「[[X2000EXIT跨世紀新音楽出口発表会]]」に参加し、久しぶりにメディアの前に露出した。この時のバンドメンバーは、周鳳嶺(Vo)・李冰(G)・[[陳小虎]](B)・[[王超]](Key)・[[余偉民]](Dr)だった。
  
 
2000年には、[[紅与石楽隊]]のメンバーとして、[[オムニバス・アルバム]]『[[階段音楽特輯壹]]』に曲を発表した。
 
2000年には、[[紅与石楽隊]]のメンバーとして、[[オムニバス・アルバム]]『[[階段音楽特輯壹]]』に曲を発表した。

2010年7月12日 (月) 10:47時点における版

周鳳嶺
1998年12月20日に行なわれたX2000EXIT跨世紀新音楽出口発表会より。(撮影:YIREN
基本情報
中国語名(簡体字) 周凤岭
中国語名(繁体字) 周鳳嶺
拼音 Zhou Fengling
出生日 1971年
出身地 北京
担当楽器 ボーカルギタリスト
活動期間 1990年 -

周鳳嶺(、Zhou Fengling、1971年 -)は、北京市で活動するボーカリストギタリスト

経歴

1989年からギターを勉強し始める。

1990年から1991年は、面孔楽隊でギターを務める。

1993年には、紅桃5楽隊を結成した。

1994年には、竇唯のバンドでギターを務め、6月には、竇唯のバンドの一員として、香港に赴き、イギリスのRadio Headと同じ舞台に立つ。同年末に再び竇唯のバックバンドの一員として香港に赴き、張楚何勇唐朝楽隊とともに、「中国揺滾楽勢力」コンサートに参加した。

その後、親友・竇唯の協力で、1stアルバムを制作したが、発売には到らなかった。

バンド活動以外には、王菲(フェイ・ウォン)や羅琦、李慧珍などに楽曲を提供する。

1998年12月20日、北京戯曲学校で行なわれた「X2000EXIT跨世紀新音楽出口発表会」に参加し、久しぶりにメディアの前に露出した。この時のバンドメンバーは、周鳳嶺(Vo)・李冰(G)・陳小虎(B)・王超(Key)・余偉民(Dr)だった。

2000年には、紅与石楽隊のメンバーとして、オムニバス・アルバム階段音楽特輯壹』に曲を発表した。

2001年、紅与石楽隊周先生楽隊と改名した。

2002年5月23日には、CD CAFEでライブを行なった。


ディスコグラフィー

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

主要なライブ・コンサート

外部リンク

  • 中国語
    新聞『生活時報』のサイトにある、「X2000音楽会」参加アーティストのプロフィール。1998年12月19日の記事。