「張全勝」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
1行目: 1行目:
 
{{Infobox Musician
 
{{Infobox Musician
 
| name                = 張全勝
 
| name                = 張全勝
| image                = [[Image:(dalianshi)_11.jpg|center|220px]]
+
| image                = [[Image:Zhangquansheng_12.jpg|center|220px]]
 
| iamge_caption        = 2007年、[[哈雅楽団]]での写真。(写真:[http://www.mgwhw.com/music/haya/index.asp 哈雅楽団])
 
| iamge_caption        = 2007年、[[哈雅楽団]]での写真。(写真:[http://www.mgwhw.com/music/haya/index.asp 哈雅楽団])
 
| chinesename_jiantizi = 张全胜
 
| chinesename_jiantizi = 张全胜
30行目: 30行目:
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
 モンゴル族。本名は布仁特古斯、漢名を張全勝。1969年生まれ。6歳の時から音楽を勉強し始め、1984年、内蒙古芸術学院に入学、馬頭琴を専攻する。1987年、三北地区文芸コンクールで優秀演奏賞に選ばれる。1988年、中央民族学院音楽系に入学、作曲理論を専攻する。同年10月には、ソロコンサートを開く。1989年には、中国馬頭琴学会の会員となる。1991年、中央民族学院を卒業し、そのまま中央民族学院の教師となる。1992年には、中国音楽家教会管弦楽分会の会員となる。
+
6歳の時から音楽を勉強し始め、1984年、[[内蒙古芸術学院]]に入学、[[馬頭琴]]を専攻する。1988年、[[中央民族学院]]音楽系に入学、作曲理論を専攻する。10月には、ソロコンサートを開く。1989年には、中国馬頭琴学会の会員となる。1991年、[[中央民族学院]]を卒業し、そのまま[[中央民族学院]]の講師となる。1992年には、中国音楽家教会管弦楽分会の会員となる。
 1993年、“澳門国際音楽節”に参加した。
 
 1994年、日本でソロコンサートを開いた。
 
 馬頭琴奏者として名を馳せ、晩間新聞楽隊で活動したほか、騎士楽隊や寶羅のレコーディングに参加。1993年3月結成の蒼狼楽隊では、馬頭琴と特色楽器を担当し、騰格爾のツアー等に参加した。同年、牧陽と共にアルバム『[[那一刻、那一夜(張全勝・趙牧陽)|那一刻、那一夜]]』を発表した。
 
 その後は、中央民族大学で教師を務めたほか、北京の一代天驕楽団の芸術顧問、JAZZバンドの高山流水楽隊のメンバーとなった。また、アメリカのダラス、サンタナの名誉市民でもある。いつの頃か分からないが、ドイツでは、TALNUTEG楽団を結成した。
 
  
2007年、哈雅楽隊での写真
+
1994年、[[日本]]でソロコンサートを開いた。
(写真:哈雅楽団)
 
  
 1998年には、圖圖とともに会社・八音文化制作中心を設立し、2000年には、圖圖と協同で製作した馬頭琴とピアノのVCD『尋』を完成させた。2001年には蒼狼楽隊のメンバーとして、騰格爾のコンサートに参加した。同年、北京談話に参加した。
+
[[馬頭琴奏者]]として名を馳せ、[[晩間新聞楽隊]]で活動したほか、[[騎士楽隊(北京市)|騎士楽隊]]や[[宝羅]]のレコーディングに参加した。
 2004年、オーストリア・ウィーンの金色大庁で行われた新春音楽会に参加した。6月、哈雅楽隊を結成し、リーダーとなった。
+
 
 +
1993年3月結成の[[蒼狼楽隊]]では、[[馬頭琴]]と[[特色楽器]]を担当し、[[騰格尓]]のツアー等に参加した。同年、[[趙牧陽]]と共にアルバム『[[那一刻、那一夜(張全勝・趙牧陽)|那一刻、那一夜]]』を発表した。
 +
 
 +
その後は、[[中央民族大学]]で講師を務めたほか、[[北京市]]の一代天驕楽団の芸術顧問、[[ジャズ]]バンドの[[高山流水楽隊]]のメンバーとなった。また、[[アメリカ]]のダラス、サンタナの名誉市民でもある。いつの頃か分からないが、[[ドイツ]]では、TALNUTEG楽団を結成した。
 +
 
 +
1998年、[[図図]]とともに会社・[[八音文化制作中心]]を設立した。
 +
 
 +
2000年、[[図図]]と協同で制作した[[馬頭琴]]と[[ピアノ]]のVCD『[[尋(張全勝・図図)|尋]]』を完成させた。
 +
 
 +
2001年、[[北京談話]]に参加した。
 +
 
 +
2004年6月、[[哈雅楽団]]を結成し、リーダーとなった。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==

2018年12月28日 (金) 18:56時点における版

張全勝
Zhangquansheng 12.jpg
2007年、哈雅楽団での写真。(写真:哈雅楽団
基本情報
中国語名(簡体字) 张全胜
中国語名(繁体字) 張全勝
拼音 Zhang Quansheng
発音転記 ジャン チュアヌション
出生名 モンゴル語:布仁特古斯
中国語:張全勝
出生日 1969年
学歴 中央民族学院
出身地 遼寧省大連市
担当楽器 馬頭琴
ジャンル 民族音楽ワールドミュージックジャズ
職業 音楽学校講師スタジオミュージシャンプロダクション経営者
(写真:『夢峡谷』の歌詞カード)

張全勝(ジャン チュアヌション、Zhang Quansheng、1969年 -)は、北京市で活動している馬頭琴奏者モンゴル族

経歴

6歳の時から音楽を勉強し始め、1984年、内蒙古芸術学院に入学、馬頭琴を専攻する。1988年、中央民族学院音楽系に入学、作曲理論を専攻する。10月には、ソロコンサートを開く。1989年には、中国馬頭琴学会の会員となる。1991年、中央民族学院を卒業し、そのまま中央民族学院の講師となる。1992年には、中国音楽家教会管弦楽分会の会員となる。

1994年、日本でソロコンサートを開いた。

馬頭琴奏者として名を馳せ、晩間新聞楽隊で活動したほか、騎士楽隊宝羅のレコーディングに参加した。

1993年3月結成の蒼狼楽隊では、馬頭琴特色楽器を担当し、騰格尓のツアー等に参加した。同年、趙牧陽と共にアルバム『那一刻、那一夜』を発表した。

その後は、中央民族大学で講師を務めたほか、北京市の一代天驕楽団の芸術顧問、ジャズバンドの高山流水楽隊のメンバーとなった。また、アメリカのダラス、サンタナの名誉市民でもある。いつの頃か分からないが、ドイツでは、TALNUTEG楽団を結成した。

1998年、図図とともに会社・八音文化制作中心を設立した。

2000年、図図と協同で制作した馬頭琴ピアノのVCD『』を完成させた。

2001年、北京談話に参加した。

2004年6月、哈雅楽団を結成し、リーダーとなった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

映像作品

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考
遥远的马头琴夢峡谷1998インストゥルメンタル

参加アルバム

テンプレート:Participation List 100

主要なライブ・コンサート

  • 1987年 三北地区文芸コンクール 優秀演奏賞
  • 1993年 澳門 澳門国際音楽節
  • 1994年 日本 ソロコンサート
  • 2004年 オーストリア・ウィーン 金色大庁 新春音楽会

外部リンク