戴秦

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2009年1月17日、上海のLOGOで行なわれた痩人楽隊のライブより。(撮影:YIREN

戴秦(ダイチヌ、Daiqin)は、内蒙古自治区赤峰市出身で、北京市在住のボーカリスト。たまにギターを弾いているほか、かつてはベーシストであった。蒙古族痩人楽隊のリーダーである。

経歴

上京した直後は、蒙古族5人によるバンド・五角星楽隊に所属し、ベースを担当していた。

1993年10月、痩人楽隊を結成し、ベースを担当する。同時期に、夢幻楽隊大頭鞋楽隊にも参加し、ベースを弾いた。

1994年5月、痩人楽隊は解散した。9月、暖気楽隊を結成して、ボーカルベーシストとなる。暖気楽隊が解散となった後は、磨合楽隊ギタリストであった符寧と共に「黒宝貝」、「又是一個下雨天」を発表する。アルバムクレジット名は、戴秦與楽隊であった。2曲ともアコースティック調の軽快なリズムの曲で、「黒宝貝」は1996年にラジオ・北京音楽台のヒットチャートにランクインし、評判となる。

1997年6月、痩人楽隊を再結成する。彼以外は全て新メンバーとなる。そして戴秦はボーカルに専念する。

1998年、オムニバス・アルバム非常揺滾貳』に再び戴秦與楽隊名義で「緊緊擁抱」を発表した。

1999年には痩人楽隊の1stアルバムを発売する。活動は順調であったが、2000年2月の河北省廊坊でのコンサートの際、コンサート中に足を複雑骨折をさせてしまい、活動の制限を余儀なくされる。数ヶ月後には回復し、8月には日本でもライブを行ない、多くの日本人を魅了させた。

外交的な性格で、民族問わず、誰に対しても分別なく温かく接してくれるため、彼の擒になってしまう人は大多数に及び、交友範囲はとても広い。また、中国動物保護協会にも参加するなど、動物好きの一面を持つ。

2003年前半にはイギリスへ行った。2ヶ月だが、そこで生活することによって様々な音楽的アイデアを手に入れ、音楽スタイルが少し変化してきた。痩人楽隊のメンバー変更もあり、戴秦も、ボーカルだけではなく、ギターも演奏するようになった。

2005年1月16日、新豪運酒吧で行なわれた「スマトラ島沖地震チャリティーライブ」に参加した。同年、Takamineギターのエンドーサーとなった。

影響を受けた音楽

若い頃はThe Beatlesの影響を受け、腕に「Beatles」の文字のタトゥーを入れるほどであった。やがてJane's AddictionやRed Hot Chili Peppersなどのオルタナティブロックを好んで聴くようになる。1990年代後半は、Rage Against the Machineの強い影響を受け、ハードコア色が強くなり、それが痩人楽隊の1stアルバムにも色濃く反映された。中国人の中では、比較的早い時期にハードコアスタイルを取り入れた音楽を始めた1人であった。2003年にイギリスへ行ってからは、ブリティッシュロックの影響を受けたのか、ハードコア色が薄れ、原点回帰になりつつある。