戴秦

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蒙古族。内蒙古自治区赤峰市出身。上京した直後は、蒙古族5人によるバンド・五角星楽隊に所属し、ベースを担当していた。  1993年10月には、痩人楽隊を結成し、ベースを担当する。同時期に、夢幻楽隊や大頭鞋楽隊にも参加し、ベースを弾いた。1994年5月、痩人楽隊は解散した。

 同年9月、暖気楽隊を結成して、ボーカル兼ベーシストとなる。

 暖気楽隊が解散となった後は、磨合楽隊のギターリストであった符寧と共に「黒宝貝」、「又是一個下雨天」を発表する。アルバムクレジット名は、戴秦與楽隊であった。2曲ともアコースティック調の軽快なリズムの曲で、「黒宝貝」は1996年に北京音楽台(ラジオ)のヒットチャートにランクインし、評判となる。

 1997年6月には痩人楽隊を再結成する。彼以外は全て新メンバーとなる。そして戴秦はボーカルに専念する。

 1998年、オムニバス『非常揺滾貳』に再び戴秦與楽隊名義で「緊緊擁抱」を発表した。 1999年には痩人楽隊の1stアルバムを発売する。活動は順調であったが、2000年2月の廊坊コンサートの際、コンサート中に足を複雑骨折をさせてしまい、活動の制限を余儀なくされる。数ヶ月後には回復し、8月には日本でもライブを行い、多くの日本人を魅了させた。  外交的な性格で、民族問わず、誰に対しても分別なく温かく接してくれるため、彼の擒になってしまう人は大多数に及び、交友範囲はとても広い。また、中国動物保護協会にも参加するなど、動物好きの一面を持つ。

 2003年前半にはイギリスへ行った。2ヶ月だが、そこで生活することによって様々な音楽的アイデアを手にいれた。同年半ばから、痩人楽隊の2人のメンバーが変更となったほか、音楽スタイルが少し変化してきた。戴秦も、ボーカルだけではなく、ギターも演奏するようになった。

 2005年1月16日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“スマトラ島沖地震”チャリティーライブに参加した。同年、Takamineギターのイメージキャラクターとなった。