「房博宇」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
36行目: 36行目:
 
1997年、[[痴人楽隊]]を結成し、[[ベース]]を担当した。
 
1997年、[[痴人楽隊]]を結成し、[[ベース]]を担当した。
  
1999年には、[[陳磊・房子和朱子楽隊]]を結成した。
+
1999年には、[[陳磊・房子和朱子楽隊]]を結成した。同年、[[陳磊・房子和朱子楽隊]]のメンバーとして[[楽壇驚雷国際音楽大賽/北京 1999年|第二届楽壇驚雷国際音楽大賽北京賽区]]に参加し、最優秀[[ベーシスト]]となった。
  
 
2000年11月28日、[[痴人楽隊]]のメンバーとして、[[楽壇驚雷国際音楽大賽‎|第三届楽壇驚雷国際音楽大賽‎]]に出場し、2年連続最優秀[[ベーシスト賞]]を獲得した。
 
2000年11月28日、[[痴人楽隊]]のメンバーとして、[[楽壇驚雷国際音楽大賽‎|第三届楽壇驚雷国際音楽大賽‎]]に出場し、2年連続最優秀[[ベーシスト賞]]を獲得した。

2013年6月13日 (木) 12:28時点における版

房博宇
Fangboyu 11.jpg
2004年9月の写真。(写真:貝斯律動般的帰去来兮-房博宇専訪
基本情報
中国語名(簡体字) 房博宇
中国語名(繁体字) 房博宇
拼音 Fang Boyu
発音転記 ファン ボユィ
学歴 中央音楽学院
出身地 北京市
担当楽器 ベース
職業 音楽学校講師

房博宇(ファン ボユィ、Fang Boyu)は、北京市で活動しているベーシスト

経歴

3歳の時から両親の影響で音楽を聴くようになる。やがて中央音楽学院に入学し、ピアノホルンを勉強した。

1994年からベースを独学で勉強した。学生の時には、中国の代表として、香港台湾ロシアタイなどで公演を行なった事がある。

1996年、新蜜蜂楽隊を結成し、ベースを担当した。

1997年、痴人楽隊を結成し、ベースを担当した。

1999年には、陳磊・房子和朱子楽隊を結成した。同年、陳磊・房子和朱子楽隊のメンバーとして第二届楽壇驚雷国際音楽大賽北京賽区に参加し、最優秀ベーシストとなった。

2000年11月28日、痴人楽隊のメンバーとして、第三届楽壇驚雷国際音楽大賽‎に出場し、2年連続最優秀ベーシスト賞を獲得した。

2001年から2004年までマレーシアへ行き、そこで多国籍バンド・The 5th Roomを結成し、アルバムを発売したほか、アジアの著名ベーシスト・Andy Petersonとプロデューサー・Mohammed Hassanの下で音楽を勉強する。また、音楽学校の特別講師を務めたこともあった。

2004年初、中国へ戻った。

ディスコグラフィー

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
痴人楽隊第一章2009/4/15プロデュース統一按配、ベース全曲参加

主要なライブ・コンサート

外部リンク