「方科」の版間の差分

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1998年夏には、1人で[[デモテープ]]をレコーディングする。しかし、満足のいく出来ではなかったため、どこにも発表することはなかった。[[デモテープ]]レコーディング終了後すぐに、[[子宮楽隊]]を結成する。のち、[[妖楽隊]]と改名した。
  
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2005年には、[[梁偉]]がニューヨークへ移住したため、一緒にバンド活動を始めた。
 
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やがて、芸術学校・方式美術児童教育機構を開き、教師となった。
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2020年12月28日、インディーズ1stアルバム『[[子宮(方科)|子宮]]』が発売となった。
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== ディスコグラフィー ==
 
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=== スタジオ・アルバム ===
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*'''[[子宮(方科)|子宮]]'''(2020年12月28日) -- 2000年にレコーディングしたアルバムであるが、ずっと発売の機会に恵まれなかった。このアルバムは当時のアルバムを[[ドイツ]]で[[マスタリング]]したものである。1000枚限定で、そのうち800枚は通常版で、200枚は特別版である。特別版にはCD・カセット・ポスター・方科直筆サインによる通し番号カードが収録されている。またカセット版はCDより1曲ほど多い。
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*'''[[器官(方科)|器官]]'''(2021年5月25日) -- 1998年に完成したアルバムであるが、未発売の状態であった。今回のために[[ドイツ]]で[[マスタリング]]して発売となった。方科が最も精力的に活動していた時期も作品であり、90年代の[[中国ロック]]を支えた1人の作品を聴けることになったのは、オールド[[中国ロック]]ファンからしたら、とてもうれしい限りである。500枚限定。そのうち300枚は通常版。200枚は特別版で、CDとカセット・ポスター・方科直筆サインによる通し番号カードが収録されている。ちなみにカセットにはCD版より1曲多い。
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*'''[[子宮vs器官(方科)|子宮vs器官]]'''(2022年9月8日) -- かつてCD+カセットとして発売された『[[子宮(方科)|子宮]]』・『[[器官(方科)|器官]]』を1セットで販売したもの。12インチレコードで2枚組である。300セット限定。
  
 
=== ソロ発表曲 ===
 
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== 主要なライブ・コンサート ==
 
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*[[Here and Now酒吧/1997年|1997年 北京市 Here and Now酒吧]]
 
*[[嚎叫倶楽部/1998年11月6日|1998年11月6日 北京市 嚎叫倶楽部]] クレジット:方科与楽隊
 
*[[嚎叫倶楽部/1998年11月6日|1998年11月6日 北京市 嚎叫倶楽部]] クレジット:方科与楽隊
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方科
Fangke 12.jpg
(写真:百度百科
基本情報
中国語名(簡体字) 方科
中国語名(繁体字) 方科
拼音 Fangke
発音転記 ファンコォ
出生日 1967年
学歴 中央工芸美術学院
出身地 北京市
担当楽器 ボーカルギター
ジャンル ヘビーメタルファンク
職業 ホールスタッフDJ画家学校教師
2000年、妖楽隊での写真より。

方科(ファンコォ、Fangke、1967年 -)は、北京市で活動しているボーカリストギタリスト

メンバー

過去に在籍したメンバー

経歴

中央工芸美術学院で勉強していた時は周韌陳底裏と同じ部屋で、一緒にギターを弾いたり、音楽を聴いていた。また、馬軍文醍とはクラスメートだった。その頃、周韌ヘビーメタルのコピーバンド・紅墻楽隊を組んだ。

1991年になり、銹鉄楽隊を結成してギタリストとなるが、1994年にバンドは解散する。この間、Mama Is a Punk楽隊のライブサポートも務めていた。

銹鉄楽隊が解散してすぐ、周韌とともに福建省福州市に行き、ディスコで働くが1ヶ月後に北京市へ戻った。その後は、小翁の指導の元、DJとして数年ほど活動する。DJとして活動を続ける傍ら、1996年には、オムニバス・アルバム中国火II』に「1999年8月10日」を発表した。

1998年夏には、1人でデモテープをレコーディングする。しかし、満足のいく出来ではなかったため、どこにも発表することはなかった。デモテープレコーディング終了後すぐに、子宮楽隊を結成する。のち、妖楽隊と改名した。

2001年、妖楽隊は解散してしまう。その後、宮楽隊を結成したが、やがて脱退し、2002年からアメリカのニューヨークへ移住した。

2005年には、梁偉がニューヨークへ移住したため、一緒にバンド活動を始めた。

2007年、Zen Band禅楽隊)として活動を行なっていたが、同年帰国し、中国で禅楽隊の活動を始めた。

やがて、芸術学校・方式美術児童教育機構を開き、教師となった。

2020年12月28日、インディーズ1stアルバム『子宮』が発売となった。

2021年5月25日、インディーズ1stアルバム『器官』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

  • 子宮(2020年12月28日) -- 2000年にレコーディングしたアルバムであるが、ずっと発売の機会に恵まれなかった。このアルバムは当時のアルバムをドイツマスタリングしたものである。1000枚限定で、そのうち800枚は通常版で、200枚は特別版である。特別版にはCD・カセット・ポスター・方科直筆サインによる通し番号カードが収録されている。またカセット版はCDより1曲ほど多い。
  • 器官(2021年5月25日) -- 1998年に完成したアルバムであるが、未発売の状態であった。今回のためにドイツマスタリングして発売となった。方科が最も精力的に活動していた時期も作品であり、90年代の中国ロックを支えた1人の作品を聴けることになったのは、オールド中国ロックファンからしたら、とてもうれしい限りである。500枚限定。そのうち300枚は通常版。200枚は特別版で、CDとカセット・ポスター・方科直筆サインによる通し番号カードが収録されている。ちなみにカセットにはCD版より1曲多い。
  • 子宮vs器官(2022年9月8日) -- かつてCD+カセットとして発売された『子宮』・『器官』を1セットで販売したもの。12インチレコードで2枚組である。300セット限定。

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
1999年8月10日中国火II1996/8
1999年8月10日揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 2001/4中国火II』と同じ

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
妖楽隊妖楽隊のページへ
沈睡 現代史詩 第三部(実験版) 時空的瓦解与疾束的超越1999/6ドラム(複数で)全曲参加

主要なライブ・コンサート

外部リンク