「王昕波」の版間の差分

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1989年に[[崔健]]のアルバムをレコーディングして以来、初期の有名な[[ロックアルバム]]はすべて彼が手がけるようになる。同年は、仕事を休んでいたが、1990年、[[百花録音棚]]で働くようになる。
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1989年に[[崔健]]のアルバムをレコーディングして以来、初期の有名な[[ロックアルバム]]はすべて彼が手がけるようになる。同年は、仕事を休んでいたが、1990年、百花録音棚で働くようになる。
  
 
1997年に友達と音楽制作プロダクションを起こそうとしたが、計画は頓挫する。
 
1997年に友達と音楽制作プロダクションを起こそうとしたが、計画は頓挫する。

2017年12月10日 (日) 18:12時点における版

王昕波
Wangxinbo 12.jpg
2004年の様子。(撮影:劉立新、写真:『通俗歌曲』2004年8月号)
基本情報
中国語名(簡体字) 王昕波
中国語名(繁体字) 王昕波
拼音 Wang Xinbo
発音転記 ワン シヌボ
別名 老哥
出生日 1954年4月28日
出身地 北京市
担当楽器 ギター
職業 レコーディングエンジニアプロデューサースタジオ経営者
影響 The Beatles
1990年代前半の写真。

王昕波(ワン シヌボ、Wang Xinbo、1954年4月28日 -)は、北京市で活動しているレコーディングエンジニアプロデューサー中国ロックの誕生とともに活動を開始した人物のひとり。

経歴

10歳頃からラジオで音楽を聴くようになる。

1970年、フラメンコギターを購入し、それからギターを始める。

1971年、17歳の時に初めてThe Beatlesを聴いてから衝撃を受け、ロックを好んで聴くようになる。その後、欧米の音楽を真似しようとMIDIエフェクターエレクトーンの音などを研究したが、楽器が手に入らなかったため、自分で似たような楽器を手作りで製作した。

1979年、中国で最初のバンド、万李馬王楽隊を結成する。

1985年、万李馬王楽隊解散後は、蜉蝣楽隊を結成した。同年からは、谷建芬学校で音響を担当する。

1986年末にレコーディングエンジニアとしての活動を開始し、レコーディングスタジオ・旅遊棚で働き始める。

1989年に崔健のアルバムをレコーディングして以来、初期の有名なロックアルバムはすべて彼が手がけるようになる。同年は、仕事を休んでいたが、1990年、百花録音棚で働くようになる。

1997年に友達と音楽制作プロダクションを起こそうとしたが、計画は頓挫する。

北京市の四環路の外に自分自身のスタジオ(LHS)を持っており、現在でも彼を頼って多くのロックバンドが彼の元にやってくる。また2002年には、華偉音楽学校音楽学校講師として、学生達にレコーディングを教えている。

ディスコグラフィー

参加アルバム

テンプレート:Participation List 100