「王昕波」の版間の差分
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2019年9月8日 (日) 08:48時点における版
王昕波 | |
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基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 王昕波 |
中国語名(繁体字) | 王昕波 |
拼音 | Wang Xinbo |
発音転記 | ワン シヌボ |
別名 | 老哥 |
出生日 | 1954年4月28日 |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | ギター |
職業 | レコーディングエンジニア・プロデューサー・スタジオ経営者・音楽学校講師 |
影響 | The Beatles |
王昕波(ワン シヌボ、Wang Xinbo、1954年4月28日 -)は、北京市で活動しているレコーディングエンジニア・プロデューサー。中国ロックの誕生とともに活動を開始した人物のひとり。老哥と呼ばれる。
経歴
10歳頃からラジオで音楽を聴くようになる。
1970年、フラメンコギターを購入し、それからギターを始める。
1971年、17歳の時に初めてThe Beatlesを聴いてから衝撃を受け、ロックを好んで聴くようになる。その後、欧米の音楽を真似しようとMIDIやエフェクター、エレクトーンの音などを研究したが、楽器が手に入らなかったため、自分で似たような楽器を手作りで製作した。
1985年、万李馬王楽隊解散後は、蜉蝣楽隊を結成した。同年からは、谷建芬学校で音響を担当する。
1986年末にレコーディングエンジニアとしての活動を開始し、レコーディングスタジオ・旅遊棚で働き始める。
1989年に崔健のアルバムをレコーディングして以来、初期の有名なロックアルバムはすべて彼が手がけるようになる。同年は、仕事を休んでいたが、1990年、百花録音棚で働くようになる。
1997年に友達と音楽制作プロダクションを起こそうとしたが、計画は頓挫する。
北京市の四環路の外に自分自身のスタジオ(LHS)を持っており、現在でも彼を頼って多くのロックバンドが彼の元にやってくる。また2002年には、華偉音楽学校で音楽学校講師として、学生達にレコーディングを教えている。
ディスコグラフィー
参加アルバム
外部リンク
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