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1995年、張放らと共に[[液体楽隊(大慶市)|液体楽隊]]を結成した。同年、音楽スタイルが[[ノイズ]]となるが、この頃は明確に[[ノイズ]]を目指したわけではなく、音楽を創作してもメンバーの技術が低すぎてまともな演奏にならなかった。そのため、ひどく気分を害していたが、やがてそのような[[ノイズ]]でも感情移入することができるということに気がついた。しかも、流行曲より簡単であり、直接的に体で感じることができた。[[液体楽隊(大慶市)|液体楽隊]]は同年、東北地区で[[インディーズ1stアルバム(液体楽隊(大慶市))|インディーズ1stアルバム]]を発売した。
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1995年、張放らと共に[[液体楽隊(大慶市)|液体楽隊]]を結成した。同年、音楽スタイルが[[ノイズ]]となるが、この頃は明確に[[ノイズ]]を目指したわけではなく、音楽を創作しても[[液体楽隊(大慶市)|液体楽隊]]のメンバーの技術が低すぎてまともな演奏にならなかった。そのため、ひどく気分を害していたが、やがてそのような[[ノイズ]]でも感情移入することができるということに気がついた。しかも、流行曲より簡単であり、直接的に体で感じることができた。
  
 
1996年、アンダーグラウンド芸術雑誌『接触』を創刊した。
 
1996年、アンダーグラウンド芸術雑誌『接触』を創刊した。
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=== スタジオ・アルバム ===
 
=== スタジオ・アルバム ===
  
*'''[[インディーズ1stアルバム(液体楽隊(大慶市))|インディーズ1stアルバム(正式タイトル不明)]]'''(1995年)
 
 
*'''[[21世紀第2楽章(王群)|21世紀第2楽章]]'''(1999年?) -- [[日本]]のEGC RECORDから販売。
 
*'''[[21世紀第2楽章(王群)|21世紀第2楽章]]'''(1999年?) -- [[日本]]のEGC RECORDから販売。
  

2017年9月23日 (土) 06:43時点における版

王群
基本情報
中国語名(簡体字) 王群
中国語名(繁体字) 王群
拼音 Wang Qun
発音転記 ワン チュヌ
出生日 1979年11月29日
学歴 北京電影学院
出身地 黒竜江省大慶市
ジャンル ノイズ(1995年以降)
職業 プランナープロダクション経営者

王群(ワン チュヌ、Wang Qun、1979年11月29日 -)は、黒竜江省大慶市出身で、北京市で活動しているアーティスト。

経歴

音楽好きの父親の影響を受け、幼い頃からおんぼろのテープレコーダーでポップから民族音楽まで幅広く音楽を聴いていた。のちに音楽を創作するようになる。

1995年、張放らと共に液体楽隊を結成した。同年、音楽スタイルがノイズとなるが、この頃は明確にノイズを目指したわけではなく、音楽を創作しても液体楽隊のメンバーの技術が低すぎてまともな演奏にならなかった。そのため、ひどく気分を害していたが、やがてそのようなノイズでも感情移入することができるということに気がついた。しかも、流行曲より簡単であり、直接的に体で感じることができた。

1996年、アンダーグラウンド芸術雑誌『接触』を創刊した。

1998年、「黒竜江省大慶市第一届新音楽文化芸術節」を企画した。同年、北京市での生活を始める。

1999年、「黒竜江省大慶市“第二届新音楽文化芸術節」を企画したほか、大慶市最後的電台現場音楽倶楽部を開いた。また、董博や王力波などの舞踏家の舞台戯劇の企画を行なった。

やがて友達のLimeが日本へ行くことになり、彼にデモテープを渡した。2000年、そのデモテープ日本のインディーズレーベルであるEGC RECORDから『21世紀第2楽章』として発売された。

2001年、北京電影学院録音芸術系に入学し、その間にテレビ番組の音楽録音や番組製作の現場での録音に携わった。大学休暇期間には、大慶市大慶電視台技術部で高級録音師助理を務めた。

2002年、CD-R RECORDS声音記録)を設立した。そして、前衛芸術家のデモテープを発売したり、芸術家の展覧会や交流会などを開いた。

2004年、「2004忙蜂唐山音楽季」コンサートの企画やコンサートアートディレクターを務めた。同年、「KAMIKAZE SHOW」ネットアーティスト交流会を企画した。また、ADPA(ASIAN DESIGN PROFESSION ASSOCIATION)を組織した。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム