神経中枢楽隊

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神経中枢楽隊
Shenjingzhongshu 13.jpg
(写真:神経中枢楽隊
基本情報
中国語名(簡体字) 神经中枢
中国語名(繁体字) 神經中樞
拼音 Shenjing Zhongshu
発音転記 シェヌジン ジョォンシュ
出身地 河北省唐山市
ジャンル グランジ
活動期間 1995年 - 2005年前半
2005年末 - ?
メンバー



(写真:神経中枢楽隊
2004年の写真。
1999年3月29日のライブ。写真は佟志勇。(写真:『通俗歌曲』2000年第4期)

神経中枢楽隊(シェヌジン ジョォンシュ、Shenjing Zhongshu)は、1990年代後半から2000年代後半にかけて、河北省唐山市北京市で活動していたバンド。

メンバー

(Vo)・

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

河北省唐山市で結成となった。

2000年4月には、大連金沙灘の海水浴場で行われた“為我們的孩子祭祀”環境保全音楽フェスティバルに参加するなど、唐山市だけでなく、他の地域でも注目されているバンドである。10月には、インディーズ1stアルバム『你的生活』を発売した。

2001年初、佟志勇北京市樹村打口帯を売りながら生活をしていたが、同年8月、唐山市に戻ってきて、ライブを行なった。以後も北京市樹村で活動している。生活を最優先していたためか、2001年から2002年にかけて、ライブの数は少なかった。

2002年末、佟志勇唐山市へ戻ってくる。

2003年初、インディーズ2ndアルバム『神経中枢』を制作した。同年末から、再度上京した。

2005年前半、バンドは解散した。同年末、バンドは活動を再結成した。

 2006年7月21日、13CLUBでライブを行った。7月22日、唐山の青年倶楽部でライブを行った。8月13日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。9月29日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。この時のメンバーは、[イ冬]志勇(Vo&G)・金梁(B)・老[羽/隹](Dr)。



(写真:神經中樞楽隊)



 同年後半、バンドは神楽隊と改名した。

 2007年、バンド名を神楽隊から戻した。4月8日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“涅磐重現”ライブに参加した。4月20日、秦皇島の大城小愛酒[ロ巴]でライブを行った。7月21日、北京市房山区の[金3]滾石迪庁で行われた“房山区首届揺滾音楽節”に参加した。7月28日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。その後活動休止中であったが、同年末には活動を再開した。再開後のメンバーは、金梁(Vo)・[イ冬]志勇(G)・姚遠(B)。

 2008年2月2日、非常酒[ロ巴]でライブを行った。4月20日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月10日、13CLUBで行われた“上帝只活在電視里 - Marilyn Manson致敬”ライブに参加した。5月22日、唐山の後海音楽倶楽部でライブを行った。6月11日、北京のMAOでライブを行った。6月21日、WHAT酒[ロ巴]元大都店でライブを行った。6月22日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月1日、WHAT酒[ロ巴]元大都店でライブを行った。8月30日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。9月21日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。

 メンバーの熊天亮は2005年、左拳楽隊に加入した。喬遠征は2002年、北京で迷宮楽隊を結成した。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考
无所谓民間噪音12000
时代活在唐山12000
青春岁月鳳凰涅磐2003/3
青春岁月我愛揺滾楽192003/5
青春岁月So Ballads! ≪So Rock!≫精選集(一)2004
少数派报告碑有声音楽読物2004/5

主要なライブ・コンサート

 河北省唐山のパンクバンド。1995年結成。音楽スタイルはグランジ。結成当初のメンバーは[イ冬]志勇(Vo)・喬永征(Dr)など。1996年、蘇志勇(B)が加入した。1997年、趙永生(B)が加入する。同年5月、初ライブを行った。1999年頃、金梁(B)が加入した。いつの頃か分からないが、王超(Dr)が加入したこともある。  1999年3月29日、唐山の西山口倶楽部で行われた“春天来了!!!-1999年中国新音楽発表会”に唐山代表として参加した。2000年4月には、大連金沙灘の海水浴場で行われた“為我們的孩子祭祀”環境保全音楽フェスティバルに参加するなど、唐山だけでなく、他の地域でも注目されているバンドである。9月1日、唐山市文化宮北門内大衆舞庁で盤古楽隊と共にライブを行った。10月には、DEMO『[イ尓]的生活』を製作して発売した。

 2001年初、[イ冬]志勇は北京の樹村で打口帯を売りながら生活をしていたが、同年8月、唐山に戻ってきて、ライブを行った。以後も北京の樹村で活動している。生活を最優先していたためか、2001年から2002年にかけて、ライブの数は少なかった。



2004年の写真



 2002年12月21日、聚点酒吧を行った。同年末、[イ冬]志勇が唐山へ戻ってくる。

 2002年、メンバーの小強は背後的手楽隊に加入した。

 2003年初、2ndDEMO『神経中枢』を製作した。この時のメンバーは[イ冬]志勇(Vo&G)・秦濤(B)・喬永征(Dr)。3月、オムニバス『鳳凰涅磐』に曲が収録された。4月6日、聖世情縁酒吧行われた“英雄賛歌--向Kurt致敬”ライブに参加した。5月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽19』に曲が収録された。9月20日、北京の豪運酒吧行われた痛苦的信仰楽隊の結成4周年記念ライブでゲストを務めた。11月22日、中国人民大学八百人大教室で行われた“吶喊公益揺滾歌会”に参加した。この後、ベースとドラムが脱退した。同年末から、再度上京した。


“春天来了!!!-1999年中国新音楽発表会”のライブより 写真は[イ冬]志勇

(『通俗歌曲』2000年第4期より)

 2004年、かつてCD付雑誌『我愛揺滾楽』に発表した曲がオムニバス『So Ballads! ≪So Rock!≫精選集(一)』に再度収録された。5月、CD付き雑誌『碑有声音楽読物』に曲が収録された。9月3日、北京のWHAT酒吧。9月10日、北京の無名高地酒吧。9月18日、北京の地震DISCO広場でライブを行った。11月27日、北京の酷玩酒吧。12月4日、唐山のPLAYER倶楽部で単独ライブを行った。  2005年1月1日、大連の挪亜方舟酒吧。

 同年前半、バンドは解散した。同年末、バンドは活動を再結成した。

 2006年7月21日、13CLUBでライブを行った。7月22日、唐山の青年倶楽部でライブを行った。8月13日、豪運酒吧。9月29日、無名高地酒吧た。10月1日、豪運酒吧]でライブを行った。この時のメンバーは、[イ冬]志勇(Vo&G)・金梁(B)・老[羽/隹](Dr)。



(写真:神經中樞楽隊)



 同年後半、バンドは神楽隊と改名した。

 2007年、バンド名を神楽隊から戻した。4月8日、無名高地酒吧で行われた“涅磐重現”ライブに参加した。4月20日、秦皇島の大城小愛酒吧。7月21日、北京市房山区の鑫滾石迪庁で行われた“房山区首届揺滾音楽節”に参加した。7月28日、豪運酒吧。その後活動休止中であったが、同年末には活動を再開した。再開後のメンバーは、金梁(Vo)・[イ冬]志勇(G)・姚遠(B)。

 2008年2月2日、非常酒吧。4月20日、豪運酒吧。5月10日、13CLUBで行われた“上帝只活在電視里 - Marilyn Manson致敬”ライブに参加した。5月22日、唐山の後海音楽倶楽部でライブを行った。6月11日、北京のMAOでライブを行った。6月21日、WHAT酒吧元大都店でライブを行った。6月22日、豪運酒吧。8月1日、WHAT酒吧元大都店でライブを行った。8月30日、長春の金樽酒吧。9月21日、豪運酒吧。

 メンバーの熊天亮は2005年、左拳楽隊に加入した。喬遠征は2002年、北京で迷宮楽隊を結成した。


外部リンク

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