「豈珩」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
 
(2人の利用者による、間の9版が非表示)
24行目: 24行目:
 
}}
 
}}
  
'''豈珩'''(チィ ハン、Qi Hang、1971年 -)は、[[北京市]]で活動していた[[ボーカリスト]]。主に裏方での活動が中心である。[[満州族]]。
+
'''豈珩'''(チィ ハン、Qi Hang、1971年 -)は、[[北京市]]で活動していた[[ボーカリスト]]。主に裏方での活動が中心で、近年は[[読書家]]として名前が知られている。[[満州族]]。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
2歳の時、両親は山から田舎に移り住んだが、豈珩は[[北京市]]で生活していた。1976年、[[河北省]][[青龍満族自治県]]で両親と共に生活するようになる。16歳の時、[[河北省]][[秦皇島市]]に移り住んだ。1987年、高校生の時に[[ギター]]と[[ハーモニカ]]を独学で勉強した。1989年、[[ドラム]]と[[ベース]]を勉強した。また、音楽創作をするようになる。
+
2歳の時、両親は山から田舎に移り住んだが、豈珩は[[北京市]]で生活していた。1976年、[[河北省]][[青竜満族自治県]]で両親と共に生活するようになる。16歳の時、[[河北省]][[秦皇島市]]に移り住んだ。1987年、高校生の時に[[ギター]]と[[ハーモニカ]]を独学で勉強した。1989年、[[ドラム]]と[[ベース]]を勉強した。また、音楽創作をするようになる。
  
 
1990年、[[北京市]]に再度移り住んだが、今回は1人であった。ただ、なかなか慣れず、建築現場労働者や荷物運び、事務所職員、バーのホールスタッフ、教師など、何回も仕事を変えた。また、同年からいくつかのバンドを結成し、レストランやディスコで専属バンドとして活動したが、それほど長くは活動せず、解散となった。
 
1990年、[[北京市]]に再度移り住んだが、今回は1人であった。ただ、なかなか慣れず、建築現場労働者や荷物運び、事務所職員、バーのホールスタッフ、教師など、何回も仕事を変えた。また、同年からいくつかのバンドを結成し、レストランやディスコで専属バンドとして活動したが、それほど長くは活動せず、解散となった。
  
1993年夏から1995年初にかけて、[[北京市文化局文芸人才交流中心]]歌手班の教師となった。また、「明日之星流行楽壇歌手大奨賽」のイベントスタッフとなった。
+
1993年夏から1995年初にかけて、[[北京市文化局文芸人才交流中心]]歌手班の講師となった。また、「明日之星流行楽壇歌手大奨賽」のイベントスタッフとなった。
  
 
1995年夏から1998年4月にかけて、[[陳哲]]と知り合ったことで、[[香港CZ音楽制作公司北京工作室]]で、行政管理やプロデュース・企画宣伝の仕事に就いた。そして、いくつかの[[アルバム]]のプロデュースや販売に関する担当となった。
 
1995年夏から1998年4月にかけて、[[陳哲]]と知り合ったことで、[[香港CZ音楽制作公司北京工作室]]で、行政管理やプロデュース・企画宣伝の仕事に就いた。そして、いくつかの[[アルバム]]のプロデュースや販売に関する担当となった。
  
1996年末から、[[テレビ]]・[[中央電視台]]の番組「东方时空」でドキュメンタリー映像を撮影し、1997年に放送された。
+
1996年末から、テレビ・[[中央電視台]]の番組『東方時空』でドキュメンタリー映像を撮影し、1997年に放送された。
  
 
1998年11月、[[北方兄弟文化発展公司]]で[[アートディレクター]]を担当した。12月、[[中央人民広播電台]]のCM曲を担当した。
 
1998年11月、[[北方兄弟文化発展公司]]で[[アートディレクター]]を担当した。12月、[[中央人民広播電台]]のCM曲を担当した。
44行目: 44行目:
 
2002年2月、2ndアルバム『[[未来的光明(豈珩)|未来的光明]]』が発売となった。
 
2002年2月、2ndアルバム『[[未来的光明(豈珩)|未来的光明]]』が発売となった。
  
やがて、音楽活動を辞め、啓航と名乗り、音楽サイト運営や映像撮影、映像監督などを務めた。2010年には、[[中国書店出版社]]の副社長となったほか、雑誌の書評欄の選考者、[[ラジオ]]・[[北京人民広播電台]]の「読者倶楽部」で司会者を務めたほか、新聞「中国新聞出版報」の販売書籍ランキングの評論家、サイト・[[SOHU読書頻道]](読書チャンネル)の番組「無間書书道」のプランナー、[[テレビ]]・[[広西電視台]]の「読書時分」で司会を務めた。
+
やがて、音楽活動を辞め、啓航と名乗り、音楽サイト運営や映像撮影、映像監督などを務めた。2010年には、[[中国書店出版社]]の副社長となったほか、雑誌の書評欄の選考者、ラジオ・[[北京人民広播電台]]の『読者倶楽部』で司会者を務めたほか、新聞『中国新聞出版報』の販売書籍ランキングの評論家、サイト・[[SOHU読書頻道]](読書チャンネル)の番組『無間書道』のプランナー、テレビ・[[広西電視台]]の『読書時分』で司会を務めた。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
62行目: 62行目:
  
 
| songname02    = 魔域
 
| songname02    = 魔域
| album02        = 夢☆峡谷
+
| album02        = 夢峡谷
 
| date02        = 1998
 
| date02        = 1998
 
| description02  =  
 
| description02  =  
77行目: 77行目:
 
| artist01        = 金得哲
 
| artist01        = 金得哲
 
| songname01      =  
 
| songname01      =  
| album01          = 夢幻田園
+
| album01          = 半夢
 
| date01          = 1996
 
| date01          = 1996
| participation01  = プロジェクト別、作詞(范波と)、作曲、男性バックボーカル(木人と)、映像([[陳哲]]・張粛と)、レコーディング日誌(范波と)、プロモーション・ライナーノーツ(范波・梁静と)
+
| participation01  = プロジェクト別(張粛・梁静と)、作詞・レコーディング日誌(範波と)、作曲、男性バックボーカル(木人と)、映像([[陳哲]]・張粛と)、プロモーション・ライナーノーツ(範波・梁静と)
| description01    = 全曲参加
+
| description01    = 全曲参加▽『夢幻田園』も
  
| artist02        =  
+
| artist02        = [[龔鳴]]
| songname02      =  
+
| songname02      = 云中的小鹰
| album02          =  
+
| album02          = 夢峡谷
| date02          =  
+
| date02          = 1998
| participation02  =  
+
| participation02  = ボーカル(複数で)
 
| description02    =  
 
| description02    =  
  

2024年4月27日 (土) 06:05時点における最新版

豈珩
Qihang 11.jpg
1stアルバムの歌詞カードより。
基本情報
中国語名(簡体字) 岂珩
中国語名(繁体字) 豈珩
拼音 Qi Hang
発音転記 チィ ハン
出生名 豈航
別名 啓航
出生日 1971年 -
出身地 北京市
担当楽器 ボーカルギターベースドラム
ジャンル フォーク
職業 ライブバー専属ミュージシャンライブバー専属歌手音楽学校講師ディレクタープランナー読書家出版社経営者
活動期間 1990年 -

豈珩(チィ ハン、Qi Hang、1971年 -)は、北京市で活動していたボーカリスト。主に裏方での活動が中心で、近年は読書家として名前が知られている。満州族

経歴

2歳の時、両親は山から田舎に移り住んだが、豈珩は北京市で生活していた。1976年、河北省青竜満族自治県で両親と共に生活するようになる。16歳の時、河北省秦皇島市に移り住んだ。1987年、高校生の時にギターハーモニカを独学で勉強した。1989年、ドラムベースを勉強した。また、音楽創作をするようになる。

1990年、北京市に再度移り住んだが、今回は1人であった。ただ、なかなか慣れず、建築現場労働者や荷物運び、事務所職員、バーのホールスタッフ、教師など、何回も仕事を変えた。また、同年からいくつかのバンドを結成し、レストランやディスコで専属バンドとして活動したが、それほど長くは活動せず、解散となった。

1993年夏から1995年初にかけて、北京市文化局文芸人才交流中心歌手班の講師となった。また、「明日之星流行楽壇歌手大奨賽」のイベントスタッフとなった。

1995年夏から1998年4月にかけて、陳哲と知り合ったことで、香港CZ音楽制作公司北京工作室で、行政管理やプロデュース・企画宣伝の仕事に就いた。そして、いくつかのアルバムのプロデュースや販売に関する担当となった。

1996年末から、テレビ・中央電視台の番組『東方時空』でドキュメンタリー映像を撮影し、1997年に放送された。

1998年11月、北方兄弟文化発展公司アートディレクターを担当した。12月、中央人民広播電台のCM曲を担当した。

2000年11月、1stアルバム『家郷』が発売となった。

2002年2月、2ndアルバム『未来的光明』が発売となった。

やがて、音楽活動を辞め、啓航と名乗り、音楽サイト運営や映像撮影、映像監督などを務めた。2010年には、中国書店出版社の副社長となったほか、雑誌の書評欄の選考者、ラジオ・北京人民広播電台の『読者倶楽部』で司会者を務めたほか、新聞『中国新聞出版報』の販売書籍ランキングの評論家、サイト・SOHU読書頻道(読書チャンネル)の番組『無間書道』のプランナー、テレビ・広西電視台の『読書時分』で司会を務めた。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
桥上走过谁家女第一直覚1998
魔域夢峡谷1998

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
金得哲半夢1996プロジェクト別(張粛・梁静と)、作詞・レコーディング日誌(範波と)、作曲、男性バックボーカル(木人と)、映像(陳哲・張粛と)、プロモーション・ライナーノーツ(範波・梁静と)全曲参加▽『夢幻田園』も
龔鳴云中的小鹰夢峡谷1998ボーカル(複数で)

外部リンク