「鐘敏傑」の版間の差分

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=== コラボレーション・アルバム ===
 
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*[[鐘敏傑]]・林志英 '''[[懸浮景観(鐘敏傑・林志英)|懸浮景観]]'''(2006年)
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=== スプリット・アルバム ===
 
=== スプリット・アルバム ===

2017年11月5日 (日) 10:02時点における版

鐘敏傑
基本情報
出身地 [[]][[]]
ファイル:11.jpg
(写真:)

鐘敏傑(、、)は、で活動していたアーティスト。

経歴

1975年、広州で生まれる。高校生の時、ロックを聴き始める。この時聴いた曲は、NIRVANAやヘビーメタルであった。1993年、珠江経済台(ラジオ)の番組「非常三人組」で、ブリットポップやプログレッシブロック、インダストリアルノイズなどを聴いてから、音楽に対する考えが変化し、特にStereolabとTest Dept.などは現在まで深い印象を受けた。1995年、コピーバンドを結成する。1996年、バンドを脱退し、ソロ活動を始める。1997年から1999年にかけて、実験音楽の創作活動を開始する。最も強く影響を受けたミュージシャンはスペインのFrancisco Lopezであった。  2000年から2001年、日常の音の採集を始める。そして、DEMO『A Thousand to a Zero』(未発表)を手がけた。2002年には、ネット上に作品『Broken-Structure Comositions/A Thousand to a Zero/Guitar Works』を発表した。

 2003年5月、アメリカのPost-Concreteが手がけた『CHINA-the sonic avant-garde』に作品が収録された。11月2日には、北京の蔵酷で行われた“北京国際電子音楽節”に参加した。


2004年2月27日のライブ (LiveHome3より)


 2004年2月27日、SOLO[ロ巴]でライブを行った。5月29日、広東実験現代舞団小劇場で行われた“広州声納:国際電子芸術交流研討会”に参加した。10月2日、フランスのパリで行われた“NUIT BLANCHE”イベントに、姚大鈞・李劍鴻・王長存と共にChina Sonicのメンバーとして参加した。

 2005年3月11・12日、PARK19芸術空間でライブを行った。4月、テクノオムニバス『THE SOUND OF SILENCE PROJECT』に曲が収録された。4月30日、深[土川]OCT現代芸術中心で行われた“大声展”深[土川]站に参加した。5月、インディーズアルバム『Probe Works』と『For those times without sound』を発売した。7月16日、PARK19芸術空間でライブを行った。8月、オムニバス『四季』に参加し、四分の一を担当した。9月10日、上海の比翼芸術中心で行われた“Four Seasons”ライブに参加した。9月、21樓を結成した。

 2006年、アルバム『眠白』と『被禁止的幻景』が発売となった。同年、林志英とのSPLITアルバム『懸浮景観』が発売となった。11月25日、杭州のLoft49凡人楽墅で行われた“第四届二皮声音芸術節”に参加した。

 2007年5月1日、北京の北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
SXF003CHINA-the sonic avant-garde2003/5/7
SYS003CHINA-the sonic avant-garde2003/5/7
(Still) Walking And Time PassingTHE SOUND OF SILENCE PROJECT2005/4

主要なライブ・コンサート

1975年、広州で生まれる。高校生の時、ロックを聴き始める。この時聴いた曲は、NIRVANAやヘビーメタルであった。1993年、珠江経済台(ラジオ)の番組「非常三人組」で、ブリットポップやプログレッシブロック、インダストリアルノイズなどを聴いてから、音楽に対する考えが変化し、特にStereolabとTest Dept.などは現在まで深い印象を受けた。1995年、コピーバンドを結成する。1996年、バンドを脱退し、ソロ活動を始める。1997年から1999年にかけて、実験音楽の創作活動を開始する。最も強く影響を受けたミュージシャンはスペインのFrancisco Lopezであった。  2000年から2001年、日常の音の採集を始める。そして、DEMO『A Thousand to a Zero』(未発表)を手がけた。2002年には、ネット上に作品『Broken-Structure Comositions/A Thousand to a Zero/Guitar Works』を発表した。

 2003年5月、アメリカのPost-Concreteが手がけた『CHINA-the sonic avant-garde』に作品が収録された。11月2日には、北京の蔵酷で行われた“北京国際電子音楽節”に参加した。


2004年2月27日のライブ (LiveHome3より)


 2004年2月27日、SOLO[ロ巴]でライブを行った。5月29日、広東実験現代舞団小劇場で行われた“広州声納:国際電子芸術交流研討会”に参加した。10月2日、フランスのパリで行われた“NUIT BLANCHE”イベントに、姚大鈞・李劍鴻・王長存と共にChina Sonicのメンバーとして参加した。

 2005年3月11・12日、PARK19芸術空間でライブを行った。4月、テクノオムニバス『THE SOUND OF SILENCE PROJECT』に曲が収録された。4月30日、深[土川]OCT現代芸術中心で行われた“大声展”深[土川]站に参加した。5月、インディーズアルバム『Probe Works』と『For those times without sound』を発売した。7月16日、PARK19芸術空間でライブを行った。8月、オムニバス『四季』に参加し、四分の一を担当した。9月10日、上海の比翼芸術中心で行われた“Four Seasons”ライブに参加した。9月、21樓を結成した。

 2006年、アルバム『眠白』と『被禁止的幻景』が発売となった。同年、林志英とのSPLITアルバム『懸浮景観』が発売となった。11月25日、杭州のLoft49凡人楽墅で行われた“第四届二皮声音芸術節”に参加した。

 2007年5月1日、北京の北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。


外部リンク

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