「朱艾軍」の版間の差分

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[[2003年]]、[[SARS]]が蔓延していた頃、1stアルバムをレコーディングする。同年半ばから、[[痩人楽隊]]に加入し、ギターを務めた。
 
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[[2004年]]前半、[[痩人楽隊]]を脱退した。7月、1stアルバム『[[天彩]]』が発売となった。
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[[2006年]]には、[[常寛]]のバンドに加入した。
 
[[2006年]]には、[[常寛]]のバンドに加入した。

2010年6月4日 (金) 02:41時点における版

朱艾軍(ジュ アイジュヌ、Zhu Aijun)は、新疆ウイグル自治区烏魯木斉市出身で、北京市在住のギタリスト

経歴

9歳の時、初めてギターに触れる。12歳からギターの練習を始める。

1987年塞阿西楽隊を結成し、ギターを担当した。1988年、上京する。

1989年烏魯木斉市で野孩子楽隊を結成し、ギターを担当した。

1991年から1993年にかけて、灰狼楽隊に参加した。

その他、紅色風楽隊北斗星楽隊兵馬俑楽隊蛍火蟲楽隊でギターを務めた。

1995年、新疆ウイグル自治区でバンド活動をしていた時には、羅林(のちの刀郎)がキーボーディストして参加していた。一緒に活動していた時期は半年にも満たなかった。

楽器屋やバーを開いたことがあるが、どうしてもギター演奏が忘れられず、店を閉めてギターを再度手に取った。バーを渡り歩き、ギター演奏もしたが、2年ほどで辞めた。バーでの演奏は、多くの収入を得ることができるが、自分の追いかけている夢とは異なるためであった。普段はギター教育を中心に活動しており、2001年から郭智音楽教室でギター講師を務めるようになった。その後、中国吉它学会専家委員会委員、中国吉它専業等級認証考評委員会評委、中国吉它専業等級認証専業訓練教師を務めている。

2002年首都体育館で行なわれた「十年精曲回顧コンサート」や「十大金曲」表彰式、上海で行われたユニセフ主催の演唱会にも参加した。また、アルバム『新疆篇』や『校園歌曲』等などを発表したことがある。同年頃、鄭鈞楽隊でギターを務め、西寧体育館、世紀音楽会などのコンサートに参加した。

2003年SARSが蔓延していた頃、1stアルバムをレコーディングする。同年半ばから、痩人楽隊に加入し、ギターを務めた。

2004年初、痩人楽隊を脱退した。7月、1stアルバム『天彩』が発売となった。

2006年には、常寛のバンドに加入した。

2008年icharm騷楽隊を結成した。同年、子曰秋野楽隊に加入した。

2009年8月9日、星光現場音楽庁でライブを行なった。

ディスコグラフィー

アルバム

  • 1stアルバム 天彩1999年8月)Sailing音楽工作室 / 中国音楽家音像出版社

外部リンク

  1. 中国語
    中国ギター協会のサイト。かつて教師を務めたことがあるようで、プロフィールが掲載されている。
    吉他中国より。インタビュー記事などが掲載されている。