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| − | + | 父親が音楽好きで、[[二胡]]や[[笛子]]を演奏することができていた。幼い頃、父親がよく[[広州太平洋影音公司]]出版の香港台湾のカバーアルバムを聴いており、それを一緒に聴いていた。幼い頃は、張信哲が好きで、のちに陳綺貞を好んで聴いていた。大学に入学してからは、大学の校門前で[[打口碟]]をたくさん売っており、それらの影響で、Belle&SebatianやAirなど、[[インディーロック]]をよく聴くようになった。母親も、Cottonが幼い頃、Cottonに歌を教えていた。ただ、両親とも音楽の勉強を継続することは反対であった。よく隣の家から、[[ギター]]や[[ピアノ]]の音が聞こえたことから、楽器を買ってほしいと両親に懇願したが、購入してくれなかった。おそらく、家の金銭的余裕がそれほど無かったためだと思われる。やがて、大学を卒業し、仕事を始めてからは、[[ピアノ]]など、欲しいものを買うようになったが、[[アコースティックギター]]は大学生に時に購入しており、学内の吉他社(サークル)にも年会費を支払い、参加したが、1回行っただけで辞めた。 | |
| − | + | 大学を卒業してから、ChinaMP3で半年ほど音楽編集の仕事を任された。のちにアニメ制作会社に行き、Flashを作っていた。2005年には出版社で旅行雑誌の編集をしていた。ただの伝統的な雑誌編集ではなく、時代の変化と共に映像撮影編集、音楽を手掛けた。 | |
| − | + | 2011年、29歳の時、出版社に勤務していたが、仕事を終えた後は結構時間的に余裕があったため、iPadのAppを用いて音楽を創作していた。この頃はバンド(結成)に対して何も考えていなかったほか、家には[[アコースティックギター]]があり、ギター教本を購入して独学で勉強したほか、パソコンの音楽ソフトで曲を作ったこともあったが、とにかく楽器に関してお金をあまりかけていなかった。創作していた曲は弾き語りによる[[フォーク]]スタイルや、iPadのAppに多くのロックメロディ―のループミュージックがあったため、それらを用いて[[ロック]]スタイルの曲も創作していた。ネット上の友達である7JZなどと、音楽創作活動をしていたこともある。そしてそれらの曲を[[豆瓣]]上にアップロードしていた。ある時、その曲を聴いた友人達から、バンドを結成しないかと持ち掛けられた。 | |
| − | + | 出版者での雑誌編集の仕事を辞めた後、映像会社で音楽を担当したこともあり、趣味が仕事になっていた。その後、ドキュメンタリー映像専門の制作会社に行き、監督を務めた。 | |
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2025年8月11日 (月) 09:17時点における最新版
| Cotton | |
|---|---|
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2018年の写真。(写真:696LIVE) | |
| 基本情報 | |
| 中国語名(簡体字) | 棉花 |
| 中国語名(繁体字) | 棉花 |
| 拼音 | Mianhua |
| 発音転記 | ミエヌホア |
| 英語名・外国語名 | Cotton |
| 別名 | 棉花周 |
| 出身地 | 上海市 |
| 担当楽器 | ボーカル・ギター・キーボード |
| ジャンル | エレクトロロック・ジャズ・インディーロック・フォーク |
| 職業 | 雑誌編集者・音楽編集者・映画監督・バー経営者 |
Cottonは、上海市で活動している女性ボーカリスト・ギタリスト・キーボーディスト。
経歴
父親が音楽好きで、二胡や笛子を演奏することができていた。幼い頃、父親がよく広州太平洋影音公司出版の香港台湾のカバーアルバムを聴いており、それを一緒に聴いていた。幼い頃は、張信哲が好きで、のちに陳綺貞を好んで聴いていた。大学に入学してからは、大学の校門前で打口碟をたくさん売っており、それらの影響で、Belle&SebatianやAirなど、インディーロックをよく聴くようになった。母親も、Cottonが幼い頃、Cottonに歌を教えていた。ただ、両親とも音楽の勉強を継続することは反対であった。よく隣の家から、ギターやピアノの音が聞こえたことから、楽器を買ってほしいと両親に懇願したが、購入してくれなかった。おそらく、家の金銭的余裕がそれほど無かったためだと思われる。やがて、大学を卒業し、仕事を始めてからは、ピアノなど、欲しいものを買うようになったが、アコースティックギターは大学生に時に購入しており、学内の吉他社(サークル)にも年会費を支払い、参加したが、1回行っただけで辞めた。
大学を卒業してから、ChinaMP3で半年ほど音楽編集の仕事を任された。のちにアニメ制作会社に行き、Flashを作っていた。2005年には出版社で旅行雑誌の編集をしていた。ただの伝統的な雑誌編集ではなく、時代の変化と共に映像撮影編集、音楽を手掛けた。
2011年、29歳の時、出版社に勤務していたが、仕事を終えた後は結構時間的に余裕があったため、iPadのAppを用いて音楽を創作していた。この頃はバンド(結成)に対して何も考えていなかったほか、家にはアコースティックギターがあり、ギター教本を購入して独学で勉強したほか、パソコンの音楽ソフトで曲を作ったこともあったが、とにかく楽器に関してお金をあまりかけていなかった。創作していた曲は弾き語りによるフォークスタイルや、iPadのAppに多くのロックメロディ―のループミュージックがあったため、それらを用いてロックスタイルの曲も創作していた。ネット上の友達である7JZなどと、音楽創作活動をしていたこともある。そしてそれらの曲を豆瓣上にアップロードしていた。ある時、その曲を聴いた友人達から、バンドを結成しないかと持ち掛けられた。
出版者での雑誌編集の仕事を辞めた後、映像会社で音楽を担当したこともあり、趣味が仕事になっていた。その後、ドキュメンタリー映像専門の制作会社に行き、監督を務めた。
2012年2月25日、紙老虎楽隊を結成した。このバンドが初めてのバンドであった。
2014年、紙老虎楽隊は解散となった。ただ、その後も創作活動を継続していた。
仕事の関係でレコード会社と一緒に仕事をすることになり、その時に知り合ったレコード会社の社長にデモテープを聴いてもらったところ、評判が良かったため、アルバムを制作することになった。この時、所属したレコード会社がからプロデューサーとして選んだのは、のちのバンドメンバーである鶴這豹脾気であった。
音楽活動以外は、ドキュメンタリー映画の監督を務めたことがある。また、結婚相手が696LIVEを開いており、その運営の仕事がメインとなっていった。
2018年12月27日、1stアルバム『対面的宇宙』が発売となった。
2019年6月、Running Whale楽隊を結成した。
2020年12月、Running Whale楽隊を脱退した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- 対面的宇宙(2018年12月27日)
主要なライブ・コンサート
- 2017年12月14日 上海市 MAO クレジット:陸晨&棉花
- 2019年4月7日 上海市 虎珈琲
- 2020年10月5日 上海市 1862時尚芸術中心 クレジット:Cotton&蓬蓬
外部リンク
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