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2020年5月7日 (木) 17:45時点における版
蒼蝿楽隊 | |
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基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 苍蝇 |
中国語名(繁体字) | 蒼蠅 |
拼音 | Cangying |
発音転記 | ツァンイン |
英語名・外国語名 | The Fly |
出身地 | 北京市 |
ジャンル | パンク |
活動期間 | 1993年 - 2004年 |
メンバー |
豊江舟 高橋浩二 佐藤あつし 関菲 |
蒼蝿楽隊(ツァンイン、Cangying)は、1990年代から2000年代にかけて、北京市で活動していたパンクバンド。
メンバー
- 豊江舟 ボーカル(1993年 - 2004年)
- 高橋浩二 ギター(1996年 - 1998年後半,2004年) -- 日本人。佐藤あつしに連れられて加入。
- 佐藤あつし ベース(1996年 - 1998年後半,1999年夏,2001年夏,2004年) -- 日本人。
- 関菲 ドラム(1995年 - 1998年,2004年)
過去に在籍したメンバー
- 宋永紅 (1993年10月 - 1994年5月)
- 王勁松 (1993年10月 - 1994年5月)
- 顔磊 (1993年10月 - 1994年5月)
- 高勝春 リードギター(1994年 - 1995年)
- 馬旌 リズムギター(1994年5月 - 1995年)
- 単暁帆 ドラム(1995年)
- 虎子 ギター(1999年春 - 2001年夏) -- 病医生楽隊のメンバー。
- 李剣 ベース(1999年春 - 2000年) -- 病医生楽隊のメンバー。
- 張蔚 ドラム(1999年春 - 2001年) -- 病医生楽隊のメンバー。
- 木頭(武萌科) ギター(2001年9月 - 2001年)
サポートメンバー
- 王磊 ベース(1994年 - 1995年) -- オムニバス・アルバムレコーディングのために参加。
- 王岩 ドラム(1994年 - 1994年?) -- 王磊の兄。後に外地へ行ったため、バンドを離れた。
- 魏東 ドラム(1998年8月1日) -- 1998年8月1日のライブをサポート。
経歴
1993年、豊江舟を中心に、4人の前衛芸術家によって結成となった。ただ、ボーカルを決めるかで、メンバー間で喧嘩となり、結成したのも関わらず、パートが決まらないまま、翌年になってしまった。やがて、高勝春が加入した。やがて、老哥制作のオムニバス・アルバムへの参加の話があった時に、サポートメンバーを加えて、レコーディングを行なった。
1995年前後、「涅盘」・「你真让我发笑」・「是枪还是子弹」・「芒果树」がレコーディングされ、さまざまなオムニバス・アルバムに収録された。これまでの中国音楽になかった、その過激な歌詞が話題となる。ただ、「芒果树」だけは、レコード会社の自主規制により、世間に出ることはなかった(2000年になり、『揺滾北京III』の台湾盤に収録された)。
1996年になり、メンバーが豊江舟・高橋浩二・佐藤あつし・関菲となり、日本人が2人もいるという特殊なバンドになった。アンダーグラウンドシーンで評判となり、一時期は、北京アンダーグラウンド界を代表するバンドと言われるようになる。
しかし、高い評判とは裏腹に、アルバムを発売してくれるレコード会社が大陸では見つからず、まずは1997年6月に台湾で1stアルバム『the fly>i』を発売することとなった。大陸でも彼らの曲が流れることがあったが、歌詞が過激で下品であるため、彼らのミュージック・ビデオを放映したテレビ局の担当者は謹慎処分になったり、香港のテレビ局・Channel [V]ではミュージック・ビデオが放映禁止となった。
次第に蒼蝿楽隊の名前も有名になっていき、1998年10月には、香港に赴き、音楽殖民地100期紀念音楽会に参加した。
しかし、この年の北京市でのライブ活動を最後に、高橋浩二は帰国し、日本でのバンド活動に専念、佐藤あつしも日本へ帰国し、活動を一時的に休止する。
1999年には、摩登天空BADHEADと契約し、4月に中国国内で1stアルバムが発売となった。以前より規制が緩和されたため、発売できることとなったが、それでも、蒼蝿楽隊というバンド名をジャケットに使わず、英語名のみの記載、また歌詞カードを一部変更するという処置がとられた。同年春には病医生楽隊のメンバーを加えて活動を再開した。
2000年7月、1998年にレコーディングされた2ndアルバム『the fly>z』が発売となった。
2004年12月18日、マレーシアで行なわれた「跨楽疆界-当電音遇上揺滾跨国音楽節」に参加した。豊江舟・高橋浩二・佐藤あつし・関菲の4人によるライブは6年振りであった。
その後はライブ活動を行なっていない。
2019年5月19日になり、『the fly>i』がレコードで復刻されたため、久々にマニアから再注目を浴びた。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- the fly>i(1997年6月)
- the fly>z(2000年7月)
- the fly>ii(2000年9月)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
涅盘 | 神揺第二章・・別再躱蔵 | 1995 | 『成長状態001』には収録されていない |
涅槃 | BAD HEAD | 1999 | 非売品▽1stアルバムと同じ |
你真让我发笑 | 揺滾特快 | 1996 | |
是枪还是子弹 | 揺滾中国III | 1995/7 | 『另類拼盤』も▼MVあり |
生活教育了我 | 摩登天空2 | 1998/12 | 1stアルバムと同じ |
城市生活 | 朋克時代 VOL.1 | 1998 | |
唱首情歌给你听 | 摩登天空有声音楽雑誌1 | 1999/6 | 1stアルバムと同じ |
芒果树 | 揺滾北京III | 2000 | 台湾盤のみ |
芒果树 | 【嚎叫唱片】経典単曲白皮書 VOL.1 | 2004/2 | |
革命摇滚 | 中国語ジャーナル 2001年8月号 | 2001/7 | 2ndアルバムと同じ |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
VCD | 摩登天空有声音楽雑誌 CALENDAR | 1999 | インタビュー |
主要なライブ・コンサート
- 1995年8月4日 北京市 星苑娯楽城(大球)
- 1996年秋 北京市 翰林苑
- 1998年8月1日 北京市 嚎叫倶楽部
- 1998年10月3日 香港 音楽殖民地100期紀念音楽会
- 1999年3月29日 河北省唐山市 西山口倶楽部
- 1999年4月 北京市 Kurt Cobain追悼ライブ 派手なメイクをして参加
- 1999年5月11日 北京市 首都経済貿易大学
- 1999年5月22日 北京市 忙蜂酒吧
- 1999年5月28日 北京市 超音波迪斯科広場
- 1999年5月29日 北京市 KEEP IN TOUCH
- 1999年7月9日 北京市 Poachers Inn
- 1999年7月10日 北京市 DD'S
- 1999年7月16日 北京市 嚎叫倶楽部
- 1999年8月8日 北京市 All For One
- 1999年8月 北京市 啓航酒吧
- 1999年8月 天津市
- 1999年10月 遼寧省瀋陽市 光大銀行瀋陽戸外揺滾節
- 1999年10月15日 北京市 LIVE HOUSE 17
- 1999年10月23日 北京市 LIVE HOUSE 17
- 1999年11月20日 北京市 豪運酒吧
- 2000年4月8日 北京市 莱茵河声場
- 2000年7月20日 北京市 蔵酷酒吧
- 2000年10月31日 北京市 開心楽園
- 2000年11月9日 北京市 CD CAFE
- 2000年11月11日 北京市 豪運酒吧
- 2000年11月26日 河南省洛陽市 014倶楽部
- 2001年10月27日 北京市 莱茵河声場
- 2004年12月18日 マレーシア・クアラルンプール 跨楽疆界-当電音遇上揺滾跨国音楽節(Trans-Regional Sounds Music Festival)