「曹草」の版間の差分

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*[[旅馬客桟/2013年4月17日|2013年4月17日 雲南省麗江市 旅馬客桟]]
 
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*[[潜水艇/2013年4月26日|2013年4月26日 四川省成都市 潜水艇]]
 
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*[[江湖酒吧/2013年11月7日|2013年11月7日 北京市 江湖酒吧]]
 
*[[海岸線酒吧/2014年9月19日|2014年9月19日 湖北省武漢市 海岸線酒吧]]
 
*[[海岸線酒吧/2014年9月19日|2014年9月19日 湖北省武漢市 海岸線酒吧]]
  

2024年4月8日 (月) 11:34時点における版

曹草
Caocao(caowusheng) 11.jpg
(写真:豆瓣音乐人
基本情報
中国語名(簡体字) 曹草
中国語名(繁体字) 曹草
拼音 Cao Cao
発音転記 ツァオツァオ
出生名 曹無声
別名 査無此狼
出生日 1972年11月7日
学歴 北京迷笛音楽学校
出身地 四川省涼山彝族自治州金陽県
担当楽器 ボーカルギター
ジャンル サイケデリックゴシックフォーク
職業 ライブバー専属ミュージシャン小説家

曹草(ツァオツァオ、Cao Cao、1972年11月7日 -)は、四川省成都市で活動しているイ族ボーカリストギタリスト北京市で活動していたこともある。

経歴

姓は曹、名は草、字は無声。当初は曹草と名乗っていたが、やがて曹無声と名乗るようになっていった。

1991年、四川省南充市四川師範大学中文系に入学したが、1993年には退学する。それからディスコで伴奏をして生活費を稼いでいた。

1995年、北京市北京迷笛音楽学校に入学した。

1999年10月、北京市の東北旺で薬用植物研究所楽隊を結成し、ボーカルを担当した。

2000年後半には、薬用植物研究所楽隊と共に四川省成都市に移住したが、約半年ほどで北京市樹村に戻った。

2001年初、薬用植物研究所楽隊を脱退した。同年2月頃、暗夜公爵楽隊に加入し、ボーカルを担当した。

2003年、四川省楽山市で春節を過ごしたが、兄(三哥)が病気(のちに癌で亡くなった)になり、その看病のために北京市に戻らず、そのまま、暗夜公爵楽隊を脱退した。それと共に暗夜公爵楽隊は解散した。やがて北京市に戻ろうとした時に、曹草自身も肺気胸手術を行うことになり、すぐには戻れなかった。

その後、暗夜公爵楽隊の郭仲偉からは何度もバンドの再結成を促されたが、郭仲偉自身が家庭を養う必要があり、バンド結成に至らなかった。

2004年、四川省成都市へ行き、治療をメインとして暮らしていた。やがて、巫師来了楽隊に加入した。また、2004年から2006年にかけて、査無此狼の名義で掘火網刊にネット小説『琵琶行』を発表した。

2006年から2010年にかけて、治療を継続したほか、小説を書いたり、音楽の創作をしていたほか、たまにソロでライブを行なうようになった。

2009年、ネット・閑閑書話に連続小説『那一年我17歳』を連載した。

2010年からライブ活動を増やしていった。同年、舞台脚本『楽夢旅程』を創作した。

2012年には、蜀都野草民謡社の社長となり、数多くのフォークシンガーによるチャリティーライブに参加した。

2013年前半には西南地方ツアーを行なった。同年後半には、北京市でのライブをメインとして活動した。また、映画の脚本を何冊か手掛けた。

2014年、アルコールが問題で北京市大興精神病医院に入院した。入院したことで、賈宏声の病人友達の病人友達となった。同年秋、成都市での活動を再開した。

2015年、鬱病が酷くなり、一切の活動を辞め、またネットも数年ほど触れない生活を過ごすようになった。

2019年からアルバムの制作を開始したが、病気により、制作が停滞している。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考
极昼69CAFE VOL.12013/7/1
69CAFE VOL.12013/7/1
我是一个瓜娃子中国夢I2014/10/10

主要なライブ・コンサート

外部リンク