「沙棘芸術団」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
35行目: 35行目:
 
*'''[[李彤]]''' [[ギター]](1986年 - 1987年)
 
*'''[[李彤]]''' [[ギター]](1986年 - 1987年)
 
*'''[[王文傑]]''' [[ベース]](1986年 - 1987年)
 
*'''[[王文傑]]''' [[ベース]](1986年 - 1987年)
*'''[[郭伝林]]''' (1986年 - 1987年) -- 副団長。
 
 
*'''[[王文芳]]''' [[ドラム]](1986年? - 1987年)
 
*'''[[王文芳]]''' [[ドラム]](1986年? - 1987年)
 +
 +
=== その他 ===
 +
 +
*'''[[郭伝林]]''' [[マネージャー]](1986年 - 1987年) -- 対外的には北京大興沙棘福利廠文工団団長と名乗った。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
1986年、[[北京市]]の沙棘飲料廠が自社宣伝用の楽団を作る計画を立てていた。そこで[[郭伝林]]が、二十数度も交渉を行ない、設備投資をしてもらうこととなった。そして、[[丁武]]・[[李彤]]・[[王文傑]]らを招聘し、沙棘芸術団を結成した。やがて、[[王文芳]]も参加した。練習の時には、流行曲や海外のヒット曲のコピーを中心に演奏していただけで、オリジナル曲はなかった。
+
1986年、[[北京市]]の北京大興沙棘福利廠は沙棘果飲料を手掛けていたが、工場長は自社宣伝用の楽団を作る計画を立てていた。そこで[[郭伝林]]に連絡があり[[郭伝林]]は、二十数度も交渉を行ない、設備投資と練習場所を提供してもらうこととなった。そして、[[丁武]]・[[李彤]]・[[王文傑]]らを招聘し、沙棘芸術団を結成した。やがて、[[王文芳]]も参加した。練習の時には、流行曲や海外のヒット曲のコピーを中心に演奏していただけで、オリジナル曲はなかった。
  
しかし、会社側はまさか[[ロック]]バンドを結成するとは思ってもいなくて、両者は決裂し、1987年、沙棘芸術団は、[[黒豹楽隊]]と名称を変更した。
+
しかし、会社側はまさかとてもうるさい音楽を演奏する[[ロック]]バンドを結成するとは思ってもいなくて、またメンバーの行動や姿(タバコをずっと吸っていたり、前衛的な服装で、長髪でずっとサングラスをかけていた)が不良グループと思われてしまい、両者は決裂し、1987年、4人は沙棘芸術団での活動を辞め、[[黒豹楽隊]]を結成した。
  
ただ、沙棘飲料廠はその後もメンバーを集めてバンド活動を継続したようで、1992年には、徐東行が加入した。
+
ただ、沙棘飲料廠はその後もメンバーを集めてバンド活動を継続しており、1992年には、徐東行が加入した。
  
 
{{DEFAULTSORT:Shajiyishutuan}}
 
{{DEFAULTSORT:Shajiyishutuan}}

2024年6月14日 (金) 23:54時点における版

沙棘芸術団
Shajiyishutan 11.jpg
沙棘芸術団時代のものか、黒豹楽隊に改名してすぐの写真。左から2番目は李彤、3番目は丁武、4番目は趙明義、5番目は王文傑趙明義がいるが、ゲストとして参加したのか。(雑誌『視覚21』2001.6期より)
基本情報
中国語名(簡体字) 沙棘艺术团
中国語名(繁体字) 沙棘藝術團
拼音 Shajiyishutuan
発音転記 シャジィイシュトアヌ
出身地 北京市
ジャンル ロックポップロック
職業 プロモーションバンド
活動期間 1986年 - ?
メンバー 徐東行

沙棘芸術団(シャジィイシュトアヌ、Shajiyishutuan)は、1980年代後半、北京市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

その他

経歴

1986年、北京市の北京大興沙棘福利廠は沙棘果飲料を手掛けていたが、工場長は自社宣伝用の楽団を作る計画を立てていた。そこで郭伝林に連絡があり郭伝林は、二十数度も交渉を行ない、設備投資と練習場所を提供してもらうこととなった。そして、丁武李彤王文傑らを招聘し、沙棘芸術団を結成した。やがて、王文芳も参加した。練習の時には、流行曲や海外のヒット曲のコピーを中心に演奏していただけで、オリジナル曲はなかった。

しかし、会社側はまさかとてもうるさい音楽を演奏するロックバンドを結成するとは思ってもいなくて、またメンバーの行動や姿(タバコをずっと吸っていたり、前衛的な服装で、長髪でずっとサングラスをかけていた)が不良グループと思われてしまい、両者は決裂し、1987年、4人は沙棘芸術団での活動を辞め、黒豹楽隊を結成した。

ただ、沙棘飲料廠はその後もメンバーを集めてバンド活動を継続しており、1992年には、徐東行が加入した。