異端楽隊

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異端楽隊
Yiduan 11.jpg
(写真:『我愛揺滾楽5』)
基本情報
中国語名(簡体字) 異端
中国語名(繁体字) 異端
拼音 Yiduan
発音転記 イドアヌ
英語名・外国語名 Heresy
出身地 江西省南昌市
ジャンル スラッシュメタルブラックメタル
活動期間 1998年1月 - 2001年
2002年 - 2004年?
メンバー



Yiduan 11.jpg

異端楽隊(イドアヌ、Yiduan)は、1990年代後半から2000年代前半にかけて、江西省南昌市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

 南昌のメタルバンド。1997年5月、腐屍(G)と羅輝(元・玉米棒楽隊)(Vo&B)らによって、三歩倒楽隊を結成する。同月、建國(Dr)が加入する。8月になり、萬欣(G)が加入する。10月には、老游(Vo)が加入し、羅輝はベースに専念する。12月には、江西師範大で初のライブを行った。南昌で初めてのスラッシュメタルバンドであったため、注目を浴びたが、思い通りに演奏できず、不満足な結果に終わる。スラッシュメタルバンドであるが、ブラックメタルの影響も受けている。  1998年1月、バンド名を異端楽隊とした。7月には、羅輝が学校を卒業し、就職のために実家へ帰ってしまう。10月には、楊立(B)が加入した。同年、1stDEMOをレコーディングする。1999年2月には、原子彈楽隊の要請で景徳鎮でライブを行う。



『我愛揺滾楽5』より



 2000年1月には、老游が脱退、2月には、楊立がボーカルを兼任するようになる。7月には、北京でアルバム『賛美詩』をレコーディングする。9月頃には、音楽スタイルがスラッシュメタルから、シンフォニックブラックメタルへと変わっていった。また、同月にはCD付き雑誌『我愛揺滾楽5』に「復活」を発表した。10月21日、南昌江西師大礼堂で行われた南昌地下揺滾原創音楽会に参加した。12月には、So Rock! Recordsから1stアルバム『賛美詩』が発売となった。

 南昌では、アルバムを発売したバンドとして人気・実力とともにトップを誇る。かつてDEMOを制作した頃は、『通俗歌曲』の編集長である彭洪武から「METALLICAの中国公演の際に前座が務まるバンド」と称された。


異端楽隊のロゴマーク


 2001年、キーボードが加入した。同年、楊立は更なるレベルアップを目指し、北京でピアノを勉強し始めた。そのため、バンド活動は休止となる。  2002年、活動を再開し、8月には2ndアルバム『濃霧鎮』をレコーディングしたが、この時のメンバーは楊立(Vo&Key)・失血(リードG)・攝魂(G)・惡毒(邱劍化)(手術臺楽隊)(B)・胡建國(Dr)で、惡毒はレコーディングのために加入した。

 2003年1月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽16』に「毀滅中拯救」が収録された。5月、2ndアルバム『濃霧鎮』が発売となった。同月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽19』に「濃霧鎮」が収録された。

 2004年、かつてCD付き雑誌『我愛揺滾楽』に発表した2曲がオムニバス『So Metal! ≪So Rock!≫精選集(二)』に再度収録された。10月、AreaDeath Productionsと契約した。同年のメンバーは、楊立(Vo&Key)・邱劍化(B&G&Cho)・萬欣(G)・Dai Wei(G)・鐘然(Dr)。その後、譚冲(B)が加入した。

 2000年、腐屍と楊立は手術臺楽隊にサポートとして参加した。邱劍化は2005年10月、爆漿楽隊を結成し、ギターを担当した。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考

主要なライブ・コンサート

 南昌のメタルバンド。1997年5月、腐屍(G)と羅輝(元・玉米棒楽隊)(Vo&B)らによって、三歩倒楽隊を結成する。同月、建國(Dr)が加入する。8月になり、萬欣(G)が加入する。10月には、老游(Vo)が加入し、羅輝はベースに専念する。12月には、江西師範大で初のライブを行った。南昌で初めてのスラッシュメタルバンドであったため、注目を浴びたが、思い通りに演奏できず、不満足な結果に終わる。スラッシュメタルバンドであるが、ブラックメタルの影響も受けている。  1998年1月、バンド名を異端楽隊とした。7月には、羅輝が学校を卒業し、就職のために実家へ帰ってしまう。10月には、楊立(B)が加入した。同年、1stDEMOをレコーディングする。1999年2月には、原子彈楽隊の要請で景徳鎮でライブを行う。



『我愛揺滾楽5』より



 2000年1月には、老游が脱退、2月には、楊立がボーカルを兼任するようになる。7月には、北京でアルバム『賛美詩』をレコーディングする。9月頃には、音楽スタイルがスラッシュメタルから、シンフォニックブラックメタルへと変わっていった。また、同月にはCD付き雑誌『我愛揺滾楽5』に「復活」を発表した。10月21日、南昌江西師大礼堂で行われた南昌地下揺滾原創音楽会に参加した。12月には、So Rock! Recordsから1stアルバム『賛美詩』が発売となった。

 南昌では、アルバムを発売したバンドとして人気・実力とともにトップを誇る。かつてDEMOを制作した頃は、『通俗歌曲』の編集長である彭洪武から「METALLICAの中国公演の際に前座が務まるバンド」と称された。


異端楽隊のロゴマーク


 2001年、キーボードが加入した。同年、楊立は更なるレベルアップを目指し、北京でピアノを勉強し始めた。そのため、バンド活動は休止となる。  2002年、活動を再開し、8月には2ndアルバム『濃霧鎮』をレコーディングしたが、この時のメンバーは楊立(Vo&Key)・失血(リードG)・攝魂(G)・惡毒(邱劍化)(手術臺楽隊)(B)・胡建國(Dr)で、惡毒はレコーディングのために加入した。

 2003年1月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽16』に「毀滅中拯救」が収録された。5月、2ndアルバム『濃霧鎮』が発売となった。同月、CD付き雑誌『我愛揺滾楽19』に「濃霧鎮」が収録された。

 2004年、かつてCD付き雑誌『我愛揺滾楽』に発表した2曲がオムニバス『So Metal! ≪So Rock!≫精選集(二)』に再度収録された。10月、AreaDeath Productionsと契約した。同年のメンバーは、楊立(Vo&Key)・邱劍化(B&G&Cho)・萬欣(G)・Dai Wei(G)・鐘然(Dr)。その後、譚冲(B)が加入した。

 2000年、腐屍と楊立は手術臺楽隊にサポートとして参加した。邱劍化は2005年10月、爆漿楽隊を結成し、ギターを担当した。


外部リンク

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