撈仔
撈仔 | |
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『撈仔吉它教学』より。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 捞仔 |
中国語名(繁体字) | 撈仔 |
拼音 | Laozai |
発音転記 | ラオザイ |
英語名・外国語名 | Loudboy |
出生名 | 呉立群 |
出生日 | 1967年3月 |
出身地 | 浙江省義烏市 |
担当楽器 | ギター |
ジャンル | ポップ・ポップロック |
職業 | バックバンドミュージシャン・スタジオミュージシャン・作曲家 |
撈仔(ラオザイ、Laozai、1967年3月 -)は、広東省広州市や北京市で活動しているギタリスト。
経歴
16歳の時にクラシックギターを勉強し、1984年に杭州市歌舞団に入る。同年後半、広東省中山市のディスコで活動していた時、新空気音楽組合のメンバーに誘われ、新空気楽隊に加入し、ギターを担当する。
1986年、首届浙江省青歌賽に出場し、ギター引き語りを行ない、1位となった。同年、広東省広州市で太陽神楽隊に参加する。
1987年、広州太平洋影映公司芸術団に入団する。そして、広州太平洋影音公司や中国唱片広州公司でギターを担当した。
1988年夏、芸術団と共に北京市へ行き、第二届百名歌星演唱会のレコーディングに参加した。この時、中国の流行音楽界を担う人物達と知り合いになり、ギター以外に音楽プロデューサーとしての考えが生まれ始める。同年、広州市に撈仔録音室を設立し、音楽プロデューサーやアレンジャーとしての活動をスタートさせた。
1990年、新空気楽隊とアルバム『想念你』をレコーディングし、発表した。のち新空気楽隊は卜通100楽隊となった。
その後、北京市でも活動を始め、羅琦等のアルバム制作に関わった。
1993年、北京市で24K楽隊を結成したほか、王迪のコンサートにバックバンドメンバーとして参加した。
やがて、広州市戻り、撈仔音楽工作室を設立し、所属アーティストを本格的にプロデュースするようになったため、ライブで演奏することは少なくなった。
1999年には、VCD入りギター教本『撈仔吉它教学』を発売した。
やがて、木乃伊楽隊にも参加した。
2001年12月からは再度北京市での活動を始めた。
2005年、映画『可可西里』の音楽を手がけ、「2005年金鶏奨」最優秀映画音楽の部にノミネートされた。
2008年、映画『集結号』の音楽を手がけた。
評価
数多くの歌手のレコーディングやライブに参加、豊富な経験や卓越したギターテクニックから、「北に老五あり、南に撈仔あり」と中国一のギタリスト・老五(劉義君)と比べられるくらいの存在となった。1990年代の多くの南方ポップスのアルバムレコーディングに参加、彼が関わっていない歌手のアルバムを探すのが困難なほどである。広州一のロックアーティスト・張萌萌と協力し、バンド活動をおこなった時期もある。
南方ポップスの栄枯盛衰の鍵を握る人物は彼に違いない。
ディスコグラフィー
コラボレーション・アルバム
音楽教材
- 撈仔吉它教学(1999年)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
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変化的年代 | 南方大揺滾 太平洋一号風暴1994’ | 1994/5/15 | クレジットは張萌萌+撈仔揺滾組合 |
水晶之恋 | 水晶之恋 | 1998 | クレジットは撈仔・陳妃平▽CM「喜之郎」の歌 |
水晶之恋 | 那就好好過吧 | 1999 | クレジットは撈仔・陳妃平▽CM「喜之郎」の歌 |
撈仔・陳妃平 | 野百合也有春天 | 1998 | クレジットは撈仔・陳妃平 |
秋蝉 | 水晶之恋 | 1998 | クレジットは撈仔・楊鈺瑩 |
参加アルバム
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出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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主要なライブ・コンサート
- 1986年 浙江省 首届浙江省青歌賽 1位 「双十年华」を演奏
- 2003年3月22日 上海市 上海大舞台 第十届東方風雲榜頒奨盛典 最優秀編曲
- 2006年3月11日 広東省広州市 天河体育中心体育館 9+2音楽先鋒榜2005年度頒奨典礼 広東楽壇二十年記念栄誉大賞
- 2009年12月21日 北京市 愚公移山
外部リンク
- 中国語