「山人楽隊」の版間の差分

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*'''[[瞿子寒]]''' [[ボーカル]] & [[ギター]] & [[タンブル]](1999年 -)
 
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*'''[[欧剣雲]]''' [[ドラム]](1999年 - )
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*'''[[艾勇]]''' [[ベース]] & [[タンブル]] & [[パーカッション]](2002年 - 2003年,2004年) -- 2007年からは[[ベース]] & [[タンブル]]の割合が増えたが、[[パーカッション]]も担当している。
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*'''[[艾勇]]''' [[ベース]] & [[タンブル]] & [[パーカッション]](2002年 - 2003年,2004年 --- 2003年10月1日の[[迷笛音楽節]]には不参加。2007年からは[[ベース]] & [[タンブル]]の割合が増えたが、[[パーカッション]]も担当している。
*'''[[小不点]]''' [[民族楽器]](2008年 - )
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[[雲南省]][[昆明市]]で結成となり、2000年後半、[[北京市]]に移住した。
 
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2002年5月1日、[[北京市]]で行なわれた[[迷笛音楽節]]に参加した。8月18日、[[雲南省]][[麗江市]]で行なわれた[[麗江雪山音楽節]]に出演した。
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2003年、SARSのために[[北京市]]での活動ができなくなってしまい、仕方がなく活動拠点を[[雲南省]][[昆明市]]に戻した。そして、[[昆明市]]を拠点として、全国でライブを行なった。10月1日、[[北京市]]で行なわれた[[迷笛音楽節]]に参加した。この時のメンバーは[[瞿子寒]]・聶暢・[[欧剣雲]]・涂紹宇・[[Sam Debell|Sam]]。
 
  
2005年のメンバーは[[瞿子寒]]・聶暢・[[欧剣雲]]・涂紹宇・[[艾勇]]。3月、[[雲南省]][[玉渓市]]人民政府のために公益歌曲「九唱北城」を創作した。3月から暫く、貴陽のバーの常駐バンドとして活動した後、[[昆明市]]へ戻る。10月から11月にかけて、[[雲南省]][[玉渓市]]で活動していた。
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2005年のメンバーは[[瞿子寒]]・聶暢・[[欧剣雲]]・涂紹宇・[[艾勇]]。3月、[[雲南省]][[玉渓市]]人民政府のために公益歌曲「九唱北城」を創作した。3月から暫く、[[貴州省]][[貴陽市]]のバーの常駐バンドとして活動した後、[[昆明市]]へ戻る。10月から11月にかけて、[[雲南省]][[玉渓市]]で活動していた。
  
2006年5月4日、[[北京市]]で行なわれた[[迷笛音楽節]]に参加した。6月17日、[[遼寧省]][[瀋陽市]]で行なわれた[[記念中国揺滾20年/2006年6月17日|《如果再来20年》記念中国流行(揺滾)楽20周年大型室内音楽節]]に参加した。この後から、再度[[北京市]]へ進出した。
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2006年半ば頃から、再度[[北京市]]へ進出した。
  
2007年5月2日、[[北京市]]で行なわれた[[迷笛音楽節]]に参加した。7月、[[網絡秀]][[十三月独立音楽廠牌]]と契約した。10月5日、[[雲南省]][[麗江市]]で行なわれた[[麗江雪山音楽節]]に参加した。
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2007年7月、[[網絡秀]][[十三月独立音楽廠牌]]と契約した。
  
2008年10月4日、[[雲南省]][[麗江市]]で行なわれた[[麗江雪山音楽節|第三届麗江雪山音楽節]]に参加した。
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2009年2月、1stアルバム『[[山人楽隊(山人楽隊)|山人楽隊]]』が発売となった。7月9日から、[[テレビ]]・[[湖南衛視]]の音楽番組「節節高声」に出演した。10月、[[韓国]]へ行き、「中華風韵 - 中国新民楽民族作品音楽会」に参加した。
 
 
2009年2月27日、[[北京市]]の[[星光現場音楽庁]]で、[[馬条]]と共に[[山人楽隊(山人楽隊)|1stアルバム発表会]]を開いた。7月9日から、[[テレビ]]・[[湖南衛視]]の音楽番組「節節高声」に出演した。10月、[[韓国]]へ行き、「中華風韵 - 中国新民楽民族作品音楽会」に参加した。
 
  
 
アルバムを発売した前後から人気が急上昇し、近年は大型コンサート参加の常連バンドとなったり、テレビに出演したりと、[[雲南省]]のバンドとしては名実ともに最も成功したバンドとなった。
 
アルバムを発売した前後から人気が急上昇し、近年は大型コンサート参加の常連バンドとなったり、テレビに出演したりと、[[雲南省]]のバンドとしては名実ともに最も成功したバンドとなった。
 
2010年10月3日、[[雲南省]][[麗江市]]で行なわれた[[麗江雪山音楽節|第四届麗江雪山音楽節]]に参加した。
 
  
 
2012年3月、[[アメリカ]]や[[カナダ]]、[[インドネシア]]でライブを行なった。
 
2012年3月、[[アメリカ]]や[[カナダ]]、[[インドネシア]]でライブを行なった。

2013年7月5日 (金) 17:35時点における版

山人楽隊
Shanren 13.jpg
2006年の写真。(写真:山人楽隊騰訊娯楽
基本情報
中国語名(簡体字) 山人
中国語名(繁体字) 山人
拼音 Shanren
発音転記 シャヌルェヌ
英語名・外国語名 MOUNTAIN MEN
出身地 雲南省昆明市
ジャンル 民族音楽プログレッシブロックフォークロックアグリカルチュラルメタル
活動期間 1999年末 -
メンバー 瞿子寒
欧剣雲
艾勇
小不点
2003年10月1日、迷笛音楽節での写真。(撮影:YIREN
2003年の写真。(山人楽隊より)
2009年の写真。(写真:百度百科
2008年の写真。(写真:山人
2000年4月、虫子酒吧でのライブ。(写真:搜索者和鱼网

山人楽隊(シャヌルェヌ、Shanren)は、雲南省昆明市出身で、北京市で活動しているバンド。雲南省のバンドの中で、最も知名度が高いバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

経歴

雲南省昆明市で結成となり、2000年後半、北京市に移住した。

2003年、SARSのために北京市での活動ができなくなってしまい、仕方がなく活動拠点を雲南省昆明市に戻した。そして、昆明市を拠点として、全国でライブを行なった。

2005年のメンバーは瞿子寒・聶暢・欧剣雲・涂紹宇・艾勇。3月、雲南省玉渓市人民政府のために公益歌曲「九唱北城」を創作した。3月から暫く、貴州省貴陽市のバーの常駐バンドとして活動した後、昆明市へ戻る。10月から11月にかけて、雲南省玉渓市で活動していた。

2006年半ば頃から、再度北京市へ進出した。

2007年7月、網絡秀十三月独立音楽廠牌と契約した。

2009年2月、1stアルバム『山人楽隊』が発売となった。7月9日から、テレビ湖南衛視の音楽番組「節節高声」に出演した。10月、韓国へ行き、「中華風韵 - 中国新民楽民族作品音楽会」に参加した。

アルバムを発売した前後から人気が急上昇し、近年は大型コンサート参加の常連バンドとなったり、テレビに出演したりと、雲南省のバンドとしては名実ともに最も成功したバンドとなった。

2012年3月、アメリカカナダインドネシアでライブを行なった。

2013年5月18日、2ndアルバム『聴山』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
(曲名不明)2002 迷笛現代音楽節 Live2002/7▼VCD
(曲名不明)2007迷笛音楽節2008/9▼DVD
三十年通俗歌曲VOL.3752008/10
三十年那一夜 我們搞音楽2009
山人我愛揺滾楽852009/4
酒歌那一夜 我們搞音楽2009
螃蟹2009長沙橘洲音楽節2009/92009年9月26日の長沙橘洲音楽節より▼DVD
蚂蚱2009長沙橘洲音楽節2009/92009年9月26日の長沙橘洲音楽節より▼DVD
(曲名不明)青年中国 西安曲江国際音楽節20092010▼DVD
香格里拉榕樹下 民謡在路上2010/4
香格里拉民謡在路上 第二輯2011/11/25
自由覚20112011/3

主要なライブ・コンサート

外部リンク