「木馬楽隊」の版間の差分

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2014年2月2日 (日) 13:37時点における版

木馬楽隊
Muma 31.jpg
2005年、雑誌『時尚健康男士版』の写真。左から:木瑪曹操馮雷。(写真:muma
基本情報
中国語名(簡体字) 木马
中国語名(繁体字) 木馬
拼音 Muma
発音転記 ムゥマ
英語名・外国語名 WOODEN HORSE
出身地 湖南省長沙市
ジャンル オルタナティブ
活動期間 1998年3月 - 2005年後半
メンバー 木瑪
曹操
李元
馮雷
2003年10月1日、迷笛音楽節での写真。左から:曹操木瑪。(撮影:YIREN
yellow star』のプロモーション用写真。左から:胡湖曹操馮雷木瑪。(写真:摩登天空

木馬楽隊(ムゥマ、Muma)は、1990年代後半から2000年代前半にかけて、北京市で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

  • ドラム(2004年10月3日) -- 2004年10月3日のライブに参加。

経歴

当初は湖南省長沙市で結成となった。この頃、4曲入りデモテープを制作したようだ。4ヶ月後の7月からは北京市で活動を始める。

1998年末には、摩登天空BADHEADと契約し、半年後には1stアルバムが完成する。1999年6月、オムニバス・アルバム摩登天空3』に曲が収録され、注目を浴びた。

2000年2月、1stアルバム『木馬』が発売となり、好評を博した。間もなくして、摩登天空BADHEADから摩登天空へ移籍した。

2001年1月11日、香港テレビ鳳凰衛視の番組『非常中国』で「2000年度最も憂鬱なバンド」に選ばれた。その理由は「彼らは20歳なのにも関わらず、とても難しい40歳の感覚の憂鬱な音楽を作ったから」。

2002年12月、2ndアルバムのレコーディングが終了となる。

2003年4月、2ndアルバム『yellow star』が発売となった。7月から9月にかけて、全国ツアーを行なった。

2004年9月、3rdアルバム『果凍帝国』が発売となった。

2005年4月、雑誌『時尚健康男士版』の表紙を飾った。10月15日、オランダで行なわれた「AMSTERDAM CHINA FESTIVAL」に参加した。

同年後半、活動が休止となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

プロモーション・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
没有声音的时间摩登天空1999非売品
没有声音的时间摩登天空31999/6
舞步摩登天空有声音楽雑誌41999/101stアルバムと同じ
舞步中国語ジャーナル 2001年1月号2000/121stアルバムと同じ
舞步2004迷笛音楽節2005/3▼DVD
没有错过的时间天空之城+22001/111stアルバムと同じ
没有错过时间LIVE 小酒館1997-20022002/6
方南的丽美通俗歌曲VOL.2432003/4
低处生活Chill Out Chill Bands Out2003/51stアルバムと同じ
美丽的南方2003/5ホームページ上からダウンロードできた
我失去了她極度揺滾NO.22003/62ndアルバムと同じ
我们走在大路上通俗歌曲VOL.2752004/8
(曲名不明)音楽王国0012004/8▼VCD▽2004年4月23日、北京市豪運酒吧でのライブ
Fei Fei RunIntroduction of Modern Sky2005
庆祝生活的方法 - 献给胡湖通俗歌曲VOL.2872005/2
果冻帝国第6届迷笛音楽節2006/5▼DVDの曲名は不明
把你的嘴摘除掉BEIJING BUBBLES A SOUNDTRACK AND A TRIP TO CHINA'S UNDER GROUND2007

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD摩登天空有声音楽雑誌 CALENDAR1999インタビュー
VCD花儿等乐队 表演花絮唯音楽 2000>42000演奏ライブ
VCD音楽王国0022004/10インタビュー
地下映画自由的辺縁2001演奏、インタビュー▼VCDあり

主要なライブ・コンサート

1998年3月、湖南省長沙で結成した。メンバーは木瑪(Vo&G)・曹操(B)・胡湖(Dr)。この頃、4曲入りDEMOを製作したようだ。長沙で活動していた時、何珊(B)も参加したことがある。4ヶ月後の7月からは北京で活動を始める。北京進出後、木頭(G)が短期間加入したこともあった。  1998年末には、摩登天空BADHEADと契約し、半年後には[馬華]梓プロデュースによるアルバムが完成する。1999年6月、オムニバス『摩登天空3』に「没有声音的時間」が収録された。10月には、CD付雑誌『摩登天空有声音楽雑誌4』に「舞歩」が収録された。

 2000年初には1stアルバム『木馬』が発売となり、好評を博した。間もなくして、摩登天空BADHEADから摩登天空へ移籍する。同年、deng力源(G)が加入した。4月2日、瀋陽の瀋陽大学文体館で行われた“哥哥,我的春天也来了”ロックコンサートに出演した。4月30日・5月1日には、迷笛音楽節に参加した。7月1日、長沙の哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。7月、西単文化広場で行われた第五伝媒迷笛音楽周に参加した。10月1日には、チベットのラサでコンサートを行った。12月24日、銀川でライブを行った。12月30日、山東体育館でライブを行った。その後、deng力源が脱退してしまった。



2005年、雑誌『時尚健康男士版』の写真

左から:木瑪・曹操・馮雷
(mumaより)


 2001年1月11日、香港鳳凰衛視(テレビ)の「非常中国」で“2000年度最も憂鬱なバンド”に選ばれた。その理由は「彼らは20歳なのにも関わらず、とても難しい40歳の感覚の憂鬱な音楽を作ったから」。同年、曹操は脱退した。6月、馮雷(Key)が加入した。

 その後、バンド活動が停滞していたが、やがて曹操がバンドに復帰する。

 2002年5月には河酒[ロ巴]でライブを行った。7月26日、河酒[ロ巴]でライブを行った。9月14日、南京の紅色気球音楽坊でライブを行った。12月、EPのレコーディングを終了する。12月15日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。12月25日、西安の八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。12月28日、成都の小酒館でライブを行った。

 2003年1月4日、重慶の芸念酒[ロ巴]でライブを行った。1月11日、南京の菜鳥酒[ロ巴]でライブを行った。4月5日、河酒[ロ巴]でライブを行った。同月、2ndアルバム『yellow star』が発売となった。4月25日、CD CAFEでライブを行った。


2003年10月1日、迷笛音楽節での写真

左から:曹操・木瑪
(撮影:YIREN)

 6月、CD付雑誌『極度揺滾NO.2』に曲が収録された。7月、『木馬』が別の出版会社から再販された。7月12日、金起点酒[ロ巴]でライブを行った。7月19日の豪運酒[ロ巴]でのライブを皮切りに、全国ツアーを開始した。7月24日、杭州の音域酒[ロ巴]でライブを行った。7月25日、蘇州の西街酒廊でライブを行った。7月26日・27日、上海の新天地ARKでライブを行った。7月28日、南京の莱鳥酒[ロ巴]でライブを行った。8月1日・2日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月3日には、広州のLivehome3のオープニングライブを務めた。8月7日、南昌の紅館酒[ロ巴]でライブを行った。8月16日、石家庄の新東方球迷酒[ロ巴]でライブを行った。8月17日、青島の音楽厨房酒[ロ巴]でライブを行った。9月5日、長沙の西部生活酒[ロ巴]でライブを行った。9月7日、武漢の7&7酒[ロ巴]でライブを行った。9月14日、蘭州の金[木巨]倶楽部でライブを行った。9月16日、西安の八又二分之一酒[ロ巴]でライブを行った。9月18日、成都の音楽房子でライブを行った。9月19日、成都の玉林生活広場でライブを行った。9月20日、重慶の木船[ロ巴]でライブを行った。10月1日、迷笛音楽節に参加した。12月12日、CD CAFEでライブを行った。12月20日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。  2004年1月1日、深[土川]の新茗堂摩登倉でライブを行った。1月3日、広州のSOLO[ロ巴]でライブを行った。



『yellow star』のプロモーション用写真

左から:胡湖・曹操・馮雷・木瑪
(写真:摩登天空)

   3月28日、第四届“百事音楽風雲榜”で“年度最佳揺滾楽隊”に輝き、中国を代表するバンドとして認められた。5月4日、朝陽公園で行われた“朝陽流行音楽周”に出演した。やがて、3rdアルバム『果凍帝国』のレコーディング終了後、胡湖が脱退した。7月10日、広州の橋房[ロ巴]でライブを行った。8月、CD付き雑誌『通俗歌曲VOL.275』に曲が収録された。9月28日、3rdアルバム『果凍帝国』が発売となった。アルバム収録曲の「慶祝生活的方法」は、バンド脱退を決定した時の胡湖に捧げた歌詞である。10月3日、北京国際雕塑公園で行われた迷笛音楽節に参加した。この時は、サポートドラマーが参加した。10月30日、愚公移山で行われたハロウィンライブに参加した。11月4日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブに参加した。同月、李元(Dr)と王[金玉]棋(G)が加入した。  2005年1月7日、愚公移山で行われたスウェーデンのバンド・The International Noise Conspiracyのライブの前座を務めた。この時、王[金玉]棋(G)が加入してから初めてのライブであった。1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。1月15日、13CLUBで行われた“口袋音楽創刊一周年記念”ライブに参加した。2月、CD付き雑誌『通俗歌曲VOL.287』に曲が収録された。3月26日、13CLUBで行われた“2004迷笛音楽節DVD首発式”に参加した。4月、雑誌『時尚健康男士版』の表紙を飾った。4月30日、迪魔DISCO倶楽部でライブを行った。5月21日、広州のSOLO[ロ巴]でライブを行った。5月23日、深[土川]の本色酒[ロ巴]でライブを行った。5月24日、武漢のVOX酒[ロ巴]でライブを行った。6月10日、杭州の31号酒[ロ巴]でライブを行った。6月11日、上海の新天地ARKでライブを行った。6月12日、上海の哈雷酒[ロ巴]でライブを行った。7月9日、厦門のMOST BARでライブを行った。7月30日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。8月2日、愚公移山でライブを行った。8月26日、広州のPARK19芸術空間で行われた“現代音楽-広州2005 MODERN MUSIC FESTIVAL”に出演した。9月17日、北京朝陽公園で行われた“北京流行音楽節”に出演した。9月30日、新豪運酒[ロ巴]で行われたアメリカのロサンジェルスのバンド・something to burnのライブの前座を務めた。10月3日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節に参加した。10月15日、オランダのアムステルダムのMelkwegで行われた“AMSTERDAM CHINA FESTIVAL”に参加した。同月、王[金玉]棋が脱退した。

 同年後半、バンド活動は休止となった。

 李元は2005年10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。


外部リンク