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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
1980年に北京広播学院英語系に入学し、1984年に卒業した後は、中国国際広播電台(ラジオ)と中央電視台(テレビ)(1986~92年)で英語のニュース番組のキャスターをし、アメリカのエイミー賞・名誉司会者賞を受賞したこともあるほど、人気と実力を兼ね備えたキャスターであった。この頃、電影出版社製作の洋楽のカバーアルバムにボーカルとして参加した。
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1980年に[[北京広播学院]]英語系に入学し、1984年に卒業した後は、[[ラジオ]]・[[中国国際広播電台]]と[[テレビ]]・[[中央電視台]](1986~92年)で英語のニュース番組のキャスターをし、アメリカのエイミー賞・名誉司会者賞を受賞したこともあるほど、人気と実力を兼ね備えたキャスターであった。この頃、電影出版社制作の洋楽のカバーアルバムにボーカルとして参加した。
 1987年5月、化工学院地下礼堂で行われたPARTYを取材した時、高旗や曹鈞等と知り合いになり、その後彼らと一緒に遊ぶようになる。同じ頃、祝小民が手がけた7・8つのDISCOアルバムに、ボーカルとして参加した。
 
  
 1989年には、白天使楽隊のアルバム製作にサポート参加、2曲ほど歌った。
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 また同年初には、高旗・曹鈞らが結成していたバンドにボーカルとして参加した。バンド名は彼女が呼吸楽隊と名付けた。英語が得意なため、英語の歌詞は彼女が作詞した。
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1989年には、[[白天使楽隊]]のアルバム制作にゲスト参加し、2曲ほど歌った。同年初には、[[高旗]]・[[曹鈞]]らが結成していたバンドに[[ボーカル]]として参加した。バンド名は彼女が[[呼吸楽隊]]と名付けた。英語が得意なため、英語の歌詞は彼女が作詞した。
  
 マスメディアはアジア最初の女性ロックボーカリストとして報道し、国内外で高い評判となったが、1994年前後には呼吸楽隊を脱退し、ソロ活動を始めた。
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1990年8月、[[呼吸楽隊]]のボーカルとしてレコーディングしたアルバムが衛華名義で、『[[呼吸(呼吸楽隊)|太陽昇]]』というタイトルで[[台湾]]・[[香港]]で発売となった。マスメディアはアジア最初の女性ロック[[ボーカリスト]]として報道し、国内外で高い評判となったが、1994年前後には[[呼吸楽隊]]を脱退し、ソロ活動を始めた。
 1995年、ソロアルバム『現代化』を発売し、各メディアから賞賛の嵐を受ける。その後、アメリカと中国を行き来する生活が始まり、1999年夏には2ndアルバム『酸雨』を発売した。7月21日には、北京京文音像公司主催により、アルバムプロモーションライブを行った。男勝りのギターとハスキーボイスで多くの観客を魅了した。
 
  
 表立った音楽活動はしていないので、商業的なマーケットにはあまり興味が無いように思われる。今後も自分の路線を突き進んでアルバム制作をしてもらいたいものだ。
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1995年、ソロアルバム『[[現代化(蔚華)|現代化]]』を発売し、各メディアから賞賛の嵐を受ける。その後、[[アメリカ]]と[[中国]]を行き来する生活が始まり、音楽活動の割合が減っていった。
 
 
 2000年10月28日になり、山東省済南市体育中心で行われた大型ロックコンサートに出演した。
 
 
  
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1999年7月には2ndアルバム『[[酸雨(蔚華)|酸雨]]』が発売となった。7月21日には、[[北京京文音像公司]]主催により、アルバムプロモーションライブを行なった。男勝りのギターとハスキーボイスで多くの観客を魅了した。
  
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表立った音楽活動はあまりしていないので、商業的なマーケットにはほとんど興味が無いように思われる。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
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*'''[[呼吸(呼吸楽隊)|太陽昇]]'''(1990年8月)
 
*'''[[呼吸(呼吸楽隊)|太陽昇]]'''(1990年8月)
 
*'''[[現代化(蔚華)|現代化]]'''(1995年)
 
*'''[[現代化(蔚華)|現代化]]'''(1995年)
*'''[[酸雨(蔚華)|酸雨]]'''(1999年)
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=== ソロ発表曲 ===
 
=== ソロ発表曲 ===
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== 主要なライブ・コンサート ==
 
== 主要なライブ・コンサート ==
  
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*[[済南市体育中心/2000年10月28日|2000年10月28日 山東省済南市 済南市体育中心 大型ロックコンサート]]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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[[Category:北京市のアーティスト]]
 
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2010年10月12日 (火) 17:16時点における版

蔚華
Weihua 11.jpg
2ndアルバムの頃。
基本情報
中国語名(簡体字) 蔚华
中国語名(繁体字) 蔚華
拼音 Wei Hua
発音転記 ウエイ ホア
英語名・外国語名 WAY HWA
別名 衛華、王衛華
学歴 北京広播学院
出身地 北京市
担当楽器 ボーカルギタープログラミング
ジャンル ハードロックブルースポップロックジャズフュージョンシティーフォーク
職業 アナウンサー
1999年7月21日、2ndアルバム発売プロモーションライブより。サポートメンバーは節奏之犬楽隊。(撮影:YIREN

蔚華(ウエイ ホア、Wei Hua)は、北京市出身のボーカリスト。元・呼吸楽隊のメンバーで、中国初の女性ロックボーカリストと呼ばれている。

経歴

1980年に北京広播学院英語系に入学し、1984年に卒業した後は、ラジオ中国国際広播電台テレビ中央電視台(1986~92年)で英語のニュース番組のキャスターをし、アメリカのエイミー賞・名誉司会者賞を受賞したこともあるほど、人気と実力を兼ね備えたキャスターであった。この頃、電影出版社制作の洋楽のカバーアルバムにボーカルとして参加した。

1987年5月、北京市北京化工学院地下礼堂で行なわれたPARTYを取材した時、高旗曹鈞等と知り合いになり、その後彼らと一緒に遊ぶようになる。同じ頃、祝小民が手がけた7・8つのDISCOアルバムに、ボーカルとして参加した。

1989年には、白天使楽隊のアルバム制作にゲスト参加し、2曲ほど歌った。同年初には、高旗曹鈞らが結成していたバンドにボーカルとして参加した。バンド名は彼女が呼吸楽隊と名付けた。英語が得意なため、英語の歌詞は彼女が作詞した。

1990年8月、呼吸楽隊のボーカルとしてレコーディングしたアルバムが衛華名義で、『太陽昇』というタイトルで台湾香港で発売となった。マスメディアはアジア最初の女性ロックボーカリストとして報道し、国内外で高い評判となったが、1994年前後には呼吸楽隊を脱退し、ソロ活動を始めた。

1995年、ソロアルバム『現代化』を発売し、各メディアから賞賛の嵐を受ける。その後、アメリカ中国を行き来する生活が始まり、音楽活動の割合が減っていった。

1999年7月には2ndアルバム『酸雨』が発売となった。7月21日には、北京京文音像公司主催により、アルバムプロモーションライブを行なった。男勝りのギターとハスキーボイスで多くの観客を魅了した。

表立った音楽活動はあまりしていないので、商業的なマーケットにはほとんど興味が無いように思われる。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

●ソロ発表曲

曲名 アルバム名 発行年 備考 明天会更好(英文版) nin喜愛的全有 1989 クレジットは衛華▽高奇とデュエット▽英語曲 洛杉磯奥運会歌曲 巴塞羅那奥運金曲 1992 クレジットは衛華▽ロサンゼルスオリンピックの歌 Call My Name 手拉手 1992 クレジットはWang Weihua▽英語曲 呼喚我的名字 手拉手 1992 クレジットは王衛華 一生祈求 一顆不肯媚俗的心 1993   泪痕 中国巨星首唱原版4 1996 英語曲 留下油灯光 紅色揺滾 1992 この曲が収録されたアルバム全ての詞曲のクレジットが異なる 女人的故事 1997 この曲が収録されたアルバム全ての詞曲のクレジットが異なる 京文時態零号 1999/9 この曲が収録されたアルバム全ての詞曲のクレジットが異なる 星期天 実力再現 1997 ▼MV 京文TV零号 1999/9 ▼MV 京文時態零号 1999/9 1stアルバムと同じ 中暑 京文TV零号 1999/9 ▼MV

曲名アルバム名発表年備考

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

主要なライブ・コンサート

外部リンク