「大澤寛」の版間の差分
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2010年12月21日 (火) 15:21時点における版
大沢寛 | |
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2008年1月のライブポスター。(写真:嶺上歳月) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 大泽宽 |
中国語名(繁体字) | 大澤寬 |
拼音 | Daze Kuan |
発音転記 | ダゼォ クアヌ |
出身地 | 日本 |
担当楽器 | ギター |
ジャンル | ブルース |
職業 | 音楽学校講師 |
大沢寛は、かつて北京市や福建省廈門市で活動していた日本人ギタリスト。
経歴
ギターを弾いて20数年になる。やがて、YAMAHAのアジア地区担当となる。
1992年、福建省廈門市で生活しており、同年、廈門大学ギター協会が設立される。そこで、ギターを学生達に教えた。協会のメンバーには、潘立飛がいた。
1995年は北京市で生活しており、郭智勇などにブルースギター演奏を教えていた。
1997年には、北京迷笛音楽学校でギター講師を務めた。また同年初、杭天とイタリア人のCLAUDIOと知り合いになり、5月から彼らとともに胡同藍調楽隊を結成し、ライブを始めた。ブルースバンドで、CD CAFEやBLUES BAR等でライブを行なった。同年末からオリジナル作品を発表し続けるが、日本へ帰国となり、バンドは解散となった。
2008年、久々に廈門市でライブを行なうことになり、1月2日、福建省廈門市の嶺山民謡酒吧で、1月7日、夢旅人書吧でライブを行なった。