「趙牧陽」の版間の差分

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2014年8月9日 (土) 17:23時点における版

趙牧陽
Zhaomuyang 13.jpg
2006年頃の写真。(写真:getluckybar、豪運酒吧
基本情報
中国語名(簡体字) 赵牧阳
中国語名(繁体字) 趙牧陽
拼音 Zhao Muyang
発音転記 ジャオ ムゥヤン
出生名 趙海鷹
別名 牧羊
出生日 1967年12月20日
出身地 寧夏回族自治区
担当楽器 ドラムボーカルギター
ジャンル ヘビーメタルポップロックフォーク
職業 バックバンドミュージシャンスタジオミュージシャン
中国揺滾精華版(第一集)』の歌詞カードより。
1998年、忙蜂酒吧で行なわれた鮑家街43号楽隊のライブより。(撮影:YIREN

趙牧陽(ジャオ ムゥヤン、Zhao Muyang、1967年12月20日 -)は、北京市で活動しているドラマーボーカリストギタリスト趙已然の弟である。ドラムテクニックには定評があり、1990年代前半を代表するドラマーである。

経歴

かつて秦腔を学ぶ。西安にいたころは、DISCO等でドラムを叩いていた。許巍と2人で音楽活動をしていた事もあった。それが大評判となり、‘西北鼓王(ドラムキング)’と呼ばれるようになる。やがて、西安に来た常寛に見出され、北京へ行く。そして、常寛と共に音楽活動をし、寶貝兄弟楽隊に加入した。また、東方歌舞団に入ったのちは、大地電聲楽隊のドラマーとなった。  かつて所属していたバンドは、難兄難弟楽隊、紅色部隊楽隊、做夢楽隊、呼吸楽隊、超載楽隊、許巍、蒼狼楽隊、北極星楽隊、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊ほか、無名バンドを含めると、20前後にも及ぶ。

 1991年には彼がボーカルを務め、ソロアルバムを製作した。1993年、全勝と共にアルバム『那一刻、那一夜』を発表した。

 2000年は、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊、常寛のバンドでドラムを叩いていたが、灰狼楽隊に関しては3rdアルバムのDEMOレコーディング終了と共に脱退してしまう。また、春には鮑家街43號楽隊も脱退した。常寛との活動も2000年で終了し、2001年以降は、どのバンドにも所属していないようだ。



2006年頃の写真

(写真:getluckybar、豪運酒[ロ巴])


 このように、数多くのバンドでドラムを叩いていたのは、20世紀中の中国にはなかなかドラムを叩ける人材がいなかった。そのため、技術があった牧羊を必要とした人は数多くいたのだ。ロックバンドが乱立するようになった現在でも、彼は多くのバンドを渡り歩いている。しかし、最近では彼のドラムテクニックについてあまり高い評判が得られない。それは、ドラッグのやりすぎでかつての力が出せなくなったためだといわれている。彼の兄・趙已然もドラマーであるが、ドラッグのために一時期活動ができなかった。

 ちなみに、彼の名前はクレジットされるとき、いつも異なるため要注意。クレジット例として、牧陽、牧羊、趙牧陽、趙牧羊、趙暮陽など。ちなみにこれらの漢字のピンインはすべて‘(Zhao) Muyang’。中国では発音が分かっていても、漢字を記憶しないことが多々ある。そのため、このような混乱が生じたのだ。

 2001年、かつて発表した「流浪」が、陳星(作詞)・呂飛(作曲)らによって「流浪兄弟」として発表されたが、これは牧陽が知らないところで、珍星と呂飛が曲を盗作して発表したためである。


『中国揺滾精華版(第一集)』の歌詞カードより


  2002年には、華偉音楽学校で教師として、学生達にドラムを教えている。最近、自ら創作する曲は、西北民謡を取り入れた素朴で簡単な曲が多くなってきている。  2003年11月14日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。

 その後、根拠地酒[ロ巴]の専属バンド・根拠地楽隊のメンバーとして活動しているほか、ソロでも活動している。

 2004年10月23日、上歩南路根拠地酒[ロ巴]で行われた“第四届深[土川]根拠地揺滾音楽節”に参加した。

 2005年7月9日、深[土川]の世界之窓で行われた羅[王奇]のライブのバックバンドメンバーを務めた。10月31日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第五届深[土川]揺滾音楽周”に参加した。

 2006年、北京に戻ってきた。3月4日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月13日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月9日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月5日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月12日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。



1998年、BUSY BEEで行われた鮑家街43號楽隊のライブより (撮影:YIREN)


   2007年5月、インディーズ1stアルバムを発表した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。5月16日、汽車電影院内人工湖畔西南角草地で行われた“両個好朋友民謡芸術節”に参加した。5月30日、北京大学百周年記念講堂多功能庁でライブを行った。8月11日、済南の婦女児童活動中心前広場で行われた“2007第三届中国(国際)吉它文化節”に参加した。10月5日、雲南省麗江の束河四方聴音広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月30日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友 - 小索”ライブに参加した。12月16日、昆明の説[ロ巴]でライブを行った。  2008年、icharm騷楽隊を結成した。4月20日、昆明の半山珈琲でライブを行った。4月25日、豪運酒[ロ巴]で王磊と共にライブを行った。6月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。同年、インディーズ2ndアルバムを発表した。9月6日、西安の外蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。11月1日、青海省西寧の物質生活酒[ロ巴]でライブを行った。11月22日、成都の家JAH BARでライブを行った。12月20日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。

 2009年3月6日、青海省西寧の城楼LOFTでライブを行った。3月14日、西安の蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。3月20日、成都の家JAH BARでライブを行った。3月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。4月4日、昆明の喜[ロ巴]でライブを行った。4月18日、貴陽のLUCK酒[ロ巴]でライブを行った。4月25日、成都の馬丘比丘珈琲館でライブを行った。4月30日、山東省[シ維]坊でライブを行った。5月2日、地壇公園で行われた“2009地壇公園民謡音楽節”に参加した。5月9日、重慶の堅果倶楽部でライブを行った。5月23日、成都の熊猫倶楽部でライブを行った。8月2日、甘粛省天水の初酒[ロ巴]でライブを行った。8月7日、銀川の街口酒[ロ巴]でライブを行った。8月23・24日、西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。9月18日、西安の在路上酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、成都の大象酒[ロ巴]でライブを行った。10月、2ndアルバム『東方紅』が発売となった。

 

 


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
真誠的心揺滾衝撃波11994
夢想与追求揺滾衝撃波21994
流浪揺滾衝撃波21994
流浪流行・揺滾 王暁京制作歌曲精選'90~'97 11997
愛人的心中国揺滾精華版(第一集)1994?
愛人的心用我的長髪做[イ尓]的窗窖1996東方二重唱のアルバム
不願再説中国揺滾精華版(第二集)1994?
思念的家星die金曲 No.11994
思念的家星die金曲1994
忍着揺滾極限1997歌手名のクレジットは、牧陽与楽隊
我想成家星之die11998

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

北京で活動するドラマー。生まれ、寧夏出身。本名は趙海鷹。趙已然の弟。かつて秦腔を学ぶ。西安にいたころは、DISCO等でドラムを叩いていた。許巍と2人で音楽活動をしていた事もあった。それが大評判となり、‘西北鼓王(ドラムキング)’と呼ばれるようになる。やがて、西安に来た常寛に見出され、北京へ行く。そして、常寛と共に音楽活動をし、寶貝兄弟楽隊に加入した。また、東方歌舞団に入ったのちは、大地電聲楽隊のドラマーとなった。  かつて所属していたバンドは、難兄難弟楽隊、紅色部隊楽隊、做夢楽隊、呼吸楽隊、超載楽隊、許巍、蒼狼楽隊、北極星楽隊、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊ほか、無名バンドを含めると、20前後にも及ぶ。

 1991年には彼がボーカルを務め、ソロアルバムを製作した。1993年、全勝と共にアルバム『那一刻、那一夜』を発表した。

 2000年は、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊、常寛のバンドでドラムを叩いていたが、灰狼楽隊に関しては3rdアルバムのDEMOレコーディング終了と共に脱退してしまう。また、春には鮑家街43號楽隊も脱退した。常寛との活動も2000年で終了し、2001年以降は、どのバンドにも所属していないようだ。



2006年頃の写真

(写真:getluckybar、豪運酒[ロ巴])


 このように、数多くのバンドでドラムを叩いていたのは、20世紀中の中国にはなかなかドラムを叩ける人材がいなかった。そのため、技術があった牧羊を必要とした人は数多くいたのだ。ロックバンドが乱立するようになった現在でも、彼は多くのバンドを渡り歩いている。しかし、最近では彼のドラムテクニックについてあまり高い評判が得られない。それは、ドラッグのやりすぎでかつての力が出せなくなったためだといわれている。彼の兄・趙已然もドラマーであるが、ドラッグのために一時期活動ができなかった。

 ちなみに、彼の名前はクレジットされるとき、いつも異なるため要注意。クレジット例として、牧陽、牧羊、趙牧陽、趙牧羊、趙暮陽など。ちなみにこれらの漢字のピンインはすべて‘(Zhao) Muyang’。中国では発音が分かっていても、漢字を記憶しないことが多々ある。そのため、このような混乱が生じたのだ。

 2001年、かつて発表した「流浪」が、陳星(作詞)・呂飛(作曲)らによって「流浪兄弟」として発表されたが、これは牧陽が知らないところで、珍星と呂飛が曲を盗作して発表したためである。


『中国揺滾精華版(第一集)』の歌詞カードより


  2002年には、華偉音楽学校で教師として、学生達にドラムを教えている。最近、自ら創作する曲は、西北民謡を取り入れた素朴で簡単な曲が多くなってきている。  2003年11月14日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。

 その後、根拠地酒[ロ巴]の専属バンド・根拠地楽隊のメンバーとして活動しているほか、ソロでも活動している。

 2004年10月23日、上歩南路根拠地酒[ロ巴]で行われた“第四届深[土川]根拠地揺滾音楽節”に参加した。

 2005年7月9日、深[土川]の世界之窓で行われた羅[王奇]のライブのバックバンドメンバーを務めた。10月31日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第五届深[土川]揺滾音楽周”に参加した。

 2006年、北京に戻ってきた。3月4日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月13日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月9日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月5日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月12日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。



1998年、BUSY BEEで行われた鮑家街43號楽隊のライブより (撮影:YIREN)


   2007年5月、インディーズ1stアルバムを発表した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。5月16日、汽車電影院内人工湖畔西南角草地で行われた“両個好朋友民謡芸術節”に参加した。5月30日、北京大学百周年記念講堂多功能庁でライブを行った。8月11日、済南の婦女児童活動中心前広場で行われた“2007第三届中国(国際)吉它文化節”に参加した。10月5日、雲南省麗江の束河四方聴音広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月30日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友 - 小索”ライブに参加した。12月16日、昆明の説[ロ巴]でライブを行った。  2008年、icharm騷楽隊を結成した。4月20日、昆明の半山珈琲でライブを行った。4月25日、豪運酒[ロ巴]で王磊と共にライブを行った。6月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。同年、インディーズ2ndアルバムを発表した。9月6日、西安の外蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。11月1日、青海省西寧の物質生活酒[ロ巴]でライブを行った。11月22日、成都の家JAH BARでライブを行った。12月20日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。

 2009年3月6日、青海省西寧の城楼LOFTでライブを行った。3月14日、西安の蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。3月20日、成都の家JAH BARでライブを行った。3月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。4月4日、昆明の喜[ロ巴]でライブを行った。4月18日、貴陽のLUCK酒[ロ巴]でライブを行った。4月25日、成都の馬丘比丘珈琲館でライブを行った。4月30日、山東省[シ維]坊でライブを行った。5月2日、地壇公園で行われた“2009地壇公園民謡音楽節”に参加した。5月9日、重慶の堅果倶楽部でライブを行った。5月23日、成都の熊猫倶楽部でライブを行った。8月2日、甘粛省天水の初酒[ロ巴]でライブを行った。8月7日、銀川の街口酒[ロ巴]でライブを行った。8月23・24日、西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。9月18日、西安の在路上酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、成都の大象酒[ロ巴]でライブを行った。10月、2ndアルバム『東方紅』が発売となった。

 

 


外部リンク

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