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1994年、[[佐佑楽隊]]を結成して[[キーボード]]を担当した。 | 1994年、[[佐佑楽隊]]を結成して[[キーボード]]を担当した。 | ||
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1990年代後半、[[自由人楽隊(南昌市)|自由人楽隊]]にも加入していた。 | 1990年代後半、[[自由人楽隊(南昌市)|自由人楽隊]]にも加入していた。 |
2017年4月25日 (火) 12:30時点における版
段信軍 | |
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2013年の写真。(写真:豆瓣音乐人) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 段信军 |
中国語名(繁体字) | 段信軍 |
拼音 | Duan Xinjun |
発音転記 | ドアヌ シヌジュヌ |
別名 | 凌凌 |
出身地 | 江西省南昌市 |
担当楽器 | MIDI・キーボード・ベース・ボーカル・ギター |
ジャンル | パンク・ハードコア・エレクトロニカ・フォーク |
職業 | プロデューサー・作詞家・作曲家 |
段信軍(ドアヌ シヌジュヌ、Duan Xinjun)は、江西省南昌市で活動しているシンガーソングライター。元・盤古楽隊のメンバーであった。
経歴
電大でニュースを専攻していた。卒業後は、話劇団の裏方として数年間働く。その後、音楽活動をするようになり、劇団を辞める。のち、MIDIで音楽制作するようになる。21歳の時からは、福建省莆田市や泉州市のバーやディスコなどをドサ回りにしながら生活した。この頃の収入は1ヶ月1万元を超えることもあった。
1995年、Korg13シンセサイザーを購入し、MIDIによる音楽アレンジを勉強するようになる。
1990年代後半、自由人楽隊にも加入していた。
2001年には、広西チワン族自治区桂林市で盤古楽隊の3rdアルバムレコーディングに参加した。
南昌市では、影響力のあるミュージシャンのひとりであると言われていた。
2004年2月からは、盤古楽隊のメンバーとして台湾へ行った。3月、台湾を離れ、タイへ行った。2005年、スウェーデンで永久難民居留権の認定を受け、1月31日には、パスポートが発行された。盤古楽隊に所属していたと一般的に言われているが、段信軍の考えでは、盤古楽隊は敖博の1人のバンドであり、それ以外のメンバーはサポートメンバーであって、自分もその1人に過ぎない。音楽・人生における敖博の友達であったが、盤古楽隊と共に2004年に海外出国してから、盤古楽隊のメンバーにさせられてしまい、仕方がなく、難民として海外生活を行なわざる羽目になった。
その後暫くの間は、スウェーデンで生活していたが、2010年、盤古楽隊を脱退し、スウェーデンを離れた。
その後、久々に中国に戻り、中国での音楽活動を始めた。中国に戻っても外国人国籍であるため、気軽にライブなどは行なうことはできない。
2013年12月27日、1stアルバム『台北叙事詩』を台湾で発表した。
2016年7月2日、江西省南昌市の九天音楽倶楽部で、中国に戻ってから初のソロライブを開いた。12月15日、2ndアルバム『寂寞欧羅巴』が台湾で発売となった。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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佐佑楽隊 | 我 | 碑参 | 2002/9 | プロデューサー・MIDI(複数で)、詞曲、編曲 | |
梅卡徳尓楽隊 | 梅卡徳尓 | 2015 | MIDIドラム、プログラミング、サンプリング | 全曲参加 |
主要なライブ・コンサート
外部リンク
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