趙牧陽

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趙牧陽
Zhaomuyang 11.jpg
基本情報
中国語名(簡体字) 赵牧阳
中国語名(繁体字) 趙牧陽
拼音 Zhao Muyang
発音転記 ジャオ ムゥヤン
出生名 趙海鷹
別名 牧羊
出生日 1967年12月20日
出身地 寧夏回族自治区
担当楽器 ドラムボーカルギター
ジャンル ヘビーメタルポップロックフォーク
職業 バックバンドメンバースタジオミュージシャン
(写真:)
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趙牧陽(ジャオ ムゥヤン、Zhao Muyang、1967年12月20日 -)は、北京市で活動しているドラマーボーカリストギタリスト趙已然の弟である。ドラムテクニックには定評があり、1990年代前半を代表するドラマーである。

経歴

北京で活動するドラマー。1967年12月20日生まれ、寧夏出身。本名は。かつて秦腔を学ぶ。西安にいたころは、DISCO等でドラムを叩いていた。許巍と2人で音楽活動をしていた事もあった。それが大評判となり、‘西北鼓王(ドラムキング)’と呼ばれるようになる。やがて、西安に来た常寛に見出され、北京へ行く。そして、常寛と共に音楽活動をし、寶貝兄弟楽隊に加入した。また、東方歌舞団に入ったのちは、大地電聲楽隊のドラマーとなった。  かつて所属していたバンドは、難兄難弟楽隊、紅色部隊楽隊、做夢楽隊、呼吸楽隊、超載楽隊、許巍、蒼狼楽隊、北極星楽隊、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊ほか、無名バンドを含めると、20前後にも及ぶ。

 1991年には彼がボーカルを務め、ソロアルバムを製作した。1993年、全勝と共にアルバム『那一刻、那一夜』を発表した。

 2000年は、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊、常寛のバンドでドラムを叩いていたが、灰狼楽隊に関しては3rdアルバムのDEMOレコーディング終了と共に脱退してしまう。また、春には鮑家街43號楽隊も脱退した。常寛との活動も2000年で終了し、2001年以降は、どのバンドにも所属していないようだ。



2006年頃の写真

(写真:getluckybar、豪運酒[ロ巴])


 このように、数多くのバンドでドラムを叩いていたのは、20世紀中の中国にはなかなかドラムを叩ける人材がいなかった。そのため、技術があった牧羊を必要とした人は数多くいたのだ。ロックバンドが乱立するようになった現在でも、彼は多くのバンドを渡り歩いている。しかし、最近では彼のドラムテクニックについてあまり高い評判が得られない。それは、ドラッグのやりすぎでかつての力が出せなくなったためだといわれている。彼の兄・趙已然もドラマーであるが、ドラッグのために一時期活動ができなかった。

 ちなみに、彼の名前はクレジットされるとき、いつも異なるため要注意。クレジット例として、牧陽、牧羊、趙牧陽、趙牧羊、趙暮陽など。ちなみにこれらの漢字のピンインはすべて‘(Zhao) Muyang’。中国では発音が分かっていても、漢字を記憶しないことが多々ある。そのため、このような混乱が生じたのだ。

 2001年、かつて発表した「流浪」が、陳星(作詞)・呂飛(作曲)らによって「流浪兄弟」として発表されたが、これは牧陽が知らないところで、珍星と呂飛が曲を盗作して発表したためである。


『中国揺滾精華版(第一集)』の歌詞カードより


  2002年には、華偉音楽学校で教師として、学生達にドラムを教えている。最近、自ら創作する曲は、西北民謡を取り入れた素朴で簡単な曲が多くなってきている。  2003年11月14日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。

 その後、根拠地酒[ロ巴]の専属バンド・根拠地楽隊のメンバーとして活動しているほか、ソロでも活動している。

 2004年10月23日、上歩南路根拠地酒[ロ巴]で行われた“第四届深[土川]根拠地揺滾音楽節”に参加した。

 2005年7月9日、深[土川]の世界之窓で行われた羅[王奇]のライブのバックバンドメンバーを務めた。10月31日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第五届深[土川]揺滾音楽周”に参加した。

 2006年、北京に戻ってきた。3月4日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月13日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月9日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月5日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月12日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。



1998年、BUSY BEEで行われた鮑家街43號楽隊のライブより (撮影:YIREN)


   2007年5月、インディーズ1stアルバムを発表した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。5月16日、汽車電影院内人工湖畔西南角草地で行われた“両個好朋友民謡芸術節”に参加した。5月30日、北京大学百周年記念講堂多功能庁でライブを行った。8月11日、済南の婦女児童活動中心前広場で行われた“2007第三届中国(国際)吉它文化節”に参加した。10月5日、雲南省麗江の束河四方聴音広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月30日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友 - 小索”ライブに参加した。12月16日、昆明の説[ロ巴]でライブを行った。  2008年、icharm騷楽隊を結成した。4月20日、昆明の半山珈琲でライブを行った。4月25日、豪運酒[ロ巴]で王磊と共にライブを行った。6月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。同年、インディーズ2ndアルバムを発表した。9月6日、西安の外蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。11月1日、青海省西寧の物質生活酒[ロ巴]でライブを行った。11月22日、成都の家JAH BARでライブを行った。12月20日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。

 2009年3月6日、青海省西寧の城楼LOFTでライブを行った。3月14日、西安の蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。3月20日、成都の家JAH BARでライブを行った。3月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。4月4日、昆明の喜[ロ巴]でライブを行った。4月18日、貴陽のLUCK酒[ロ巴]でライブを行った。4月25日、成都の馬丘比丘珈琲館でライブを行った。4月30日、山東省[シ維]坊でライブを行った。5月2日、地壇公園で行われた“2009地壇公園民謡音楽節”に参加した。5月9日、重慶の堅果倶楽部でライブを行った。5月23日、成都の熊猫倶楽部でライブを行った。8月2日、甘粛省天水の初酒[ロ巴]でライブを行った。8月7日、銀川の街口酒[ロ巴]でライブを行った。8月23・24日、西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。9月18日、西安の在路上酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、成都の大象酒[ロ巴]でライブを行った。10月、2ndアルバム『東方紅』が発売となった。

 

 


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
真誠的心 揺滾衝撃波① 1994
夢想与追求 揺滾衝撃波② 1994
流浪 揺滾衝撃波② 1994
流浪流行・揺滾 王曉京制作歌曲精選'90~'97① 1997
愛人的心 中国揺滾精華版(第一集) 1994?
愛人的心東方二重唱『用我的長髪做[イ尓]的窗窖』 1996
不願再説 中国揺滾精華版(第二集) 1994?
思念的家 星die金曲 No.1 1994
思念的家星die金曲 1994
忍着 揺滾極限 1997 歌手名のクレジットは、牧陽與楽隊
我想成家 星之die① 1998

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
曹鈞   (タイトル無し) 1990 ドラム(馬禾と) 全曲参加▽アルバム未発売
常寛   重新計画現在 1991/7 ドラム 9曲参加
常寛今天的一切 1992/8 編曲(複数で) 全曲参加
張楚 姐姐 中国火壹 1992/12 ドラム
張楚我的睫毛都快被吹掉了 再見 張炬 1997 ドラム
紅色部隊楽隊 累 中国火壹 1992/12 編曲(複数で)、ドラム
紅色部隊楽隊 累揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 2001/4 編曲(複数で)、ドラム
陳勁   紅・頭・縄 1993 ドラム(張永光と) 全曲参加
超載楽隊 低下頭是人間 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 1993/1/8 ドラム 超載楽隊の初音源▽2日でデモを仕上げた
超載楽隊祖先的陰影揺滾北京1993詞曲(複数で)、ドラム
超載楽隊祖先的陰影中国揺滾経典1995詞曲(複数で)、ドラム揺滾北京』と同じ
超載楽隊祖先的阴影祖先的陰影2011/2ドラム
騰格爾   騰格爾與蒼狼楽隊 1994 ドラム 全曲参加▽歌手名のクレジットは、騰格爾與蒼狼楽隊
騰格爾出走 1997 ドラム等 全曲参加
夢幻楽隊 独木橋 揺滾先鋒 1994 ドラム
夢幻楽隊在[イ尓]眼泪流出之際 中国原創揺滾壹 1995 ドラム
好兄弟楽隊 好好兄弟 揺滾先鋒 1994 ドラム
好兄弟楽隊 好好兄弟揺滾之旅壹 1996 ドラム 『揺滾先鋒』と同じ
勝人楽隊 那一夜 那一刻 揺滾先鋒 1994 ドラム
王磊   出門人 1994 ドラム 全曲参加
王磊WangLei 2002 バッテリー(複数で) 全曲参加▽クレジットはZhao Muyang
竇唯   黒夢 1994/5 編曲(複数で)、ドラム(竇唯と) 全曲参加
竇唯夢 2001/1 編曲(複数で)、ドラム(竇唯と) 5曲参加
竇唯高級動物揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 2001/4 ドラム(竇唯と)
做夢楽隊 中国大揺滾 - 献給国際減災十年 1993/1/8 ドラム希望之光
做夢楽隊希望之光揺滾北京 1993 詞曲(複数で)、ドラム
做夢楽隊希望之光中国揺滾経典 1995 ドラム 『揺滾北京』と同じ
呼吸楽隊   呼吸 1990/8 ドラム 全曲参加
呼吸楽隊愛的光芒 中国揺滾経典 1995 ドラム
呼吸楽隊只想請[イ尓]看着我 中国揺滾経典 1995 ドラム
許巍 紅星壹号 1995/9 編曲(複数で)、ドラム両天
許巍両天那一年 2005/2 編曲(複数で)、ドラム リマスタリング版のみ
許巍両天珍蔵許巍作品全集1995-2000 2005/3 編曲(複数で)、ドラム
許巍我思念的城市紅星Ⅱ号 1996 パーカッション、ドラム
許巍青鳥紅星3号 1996 編曲(複数で)、ドラム
許巍青鳥那一年 2005/2 編曲(複数で)、ドラム リマスタリング版のみ▽曲名は「青鳥Ⅰ」
許巍青鳥珍蔵許巍作品全集1995-2000 2005/3 編曲(複数で)、ドラム 曲名は「青鳥Ⅰ」
在別処 1997/4 編曲(複数で)、ドラム、パーカッション 全曲参加▽『珍蔵許巍作品全集1995-2000』同名アルバム部分も
水妖紅星五号1998編曲(複数で)、ドラム
在別処 20世紀中国揺滾大系② 1999 ドラム 1stアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波4』も
在別処band1.軟硬適中 2002 編曲(複数で)、ドラム
在別処通俗歌曲VOL.329 2006/11 ドラム
我只有両天2001 編曲(複数で)、ドラム 4曲参加
紅星音楽十周年紀念特輯 2005/2 編曲(複数で)、ドラム 2曲参加
回到未来楽隊 動物世界 非常揺滾壹 1996 ドラム
回到未来楽隊不知所措 揺滾工廠 1996 ドラム
張淺潜 非常揺滾壹 1996 ドラム クレジットは張淺潜與楽隊罐頭
張淺潜罐頭霊魂出竅 2001/5 ドラム
[馬華]梓 揺滾犯的錯誤 紅星3号 1996 ドラム
[馬華]梓春風五月 band1.軟硬適中 2002 ドラム
田震   田震 1996/3 ドラム、パーカッション 6曲参加▽『乾杯,田震』同名アルバム部分も
田震陽光下的田震 真的田震 1999 ドラム、パーカッション
田震自由自在 真的田震 1999 ドラム、パーカッション
田震雨中的鳥依然在飛 2001/12 ドラム、パーカッション 3曲参加
希莉娜依 遠去 紅星Ⅱ号 1996 ドラム、パーカッション
希莉娜依希莉娜依 1996 ドラム、パーカッション、中国大鼓 8曲参加
劉歓 好風長吟 青春無悔 1996 ドラム
葉[艸/倍] 白衣飄飄的年代 青春無悔 1996 ドラム
李映峰 閉着眼走 紅星4号 1997 ドラム
李映峰月光 紅星4号 1997 ドラム
陰影楽隊 失散的記憶 揺滾時代 1998/4 サポートドラム
北極星楽隊 無人葬礼 揺滾時代 1998/4 ドラム
北極星楽隊北極星楽隊 1998/1 サポートドラム 全曲参加
北極星楽隊自己的天堂 非常揺滾貳 1998/9 ドラム
區秋亭與楽隊 明天 揺滾極限 1997 ドラム
呑咽楽隊 猿人 揺滾極限 1997 サポートドラム
李都與楽隊 紅土老爺 揺滾極限 1997 ドラム
鮑家街43號楽隊   風暴来臨 1998/12 編曲(複数で)、ドラム 全曲参加
尹吾繁殖吧 生命短促啊2003/7ドラム全曲参加
冬子   十方 2008/6 中国鼓、拍子木、鈴、木魚、秦腔、板鼓、牙子、銅鑼、大[金労]抜 7曲参加
icharm騷楽隊   騒不可[才当]① 2008/10/13 詞曲、編曲、ボーカル、ギター、ドラム 2曲参加
羅偉力與徴羽楽隊   夢于麗江 2010/2 ドラム 6曲参加
オムニバス2006/9/26ドラム2曲参加

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

北京で活動するドラマー。生まれ、寧夏出身。本名は趙海鷹。趙已然の弟。かつて秦腔を学ぶ。西安にいたころは、DISCO等でドラムを叩いていた。許巍と2人で音楽活動をしていた事もあった。それが大評判となり、‘西北鼓王(ドラムキング)’と呼ばれるようになる。やがて、西安に来た常寛に見出され、北京へ行く。そして、常寛と共に音楽活動をし、寶貝兄弟楽隊に加入した。また、東方歌舞団に入ったのちは、大地電聲楽隊のドラマーとなった。  かつて所属していたバンドは、難兄難弟楽隊、紅色部隊楽隊、做夢楽隊、呼吸楽隊、超載楽隊、許巍、蒼狼楽隊、北極星楽隊、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊ほか、無名バンドを含めると、20前後にも及ぶ。

 1991年には彼がボーカルを務め、ソロアルバムを製作した。1993年、全勝と共にアルバム『那一刻、那一夜』を発表した。

 2000年は、鮑家街43號楽隊、灰狼楽隊、常寛のバンドでドラムを叩いていたが、灰狼楽隊に関しては3rdアルバムのDEMOレコーディング終了と共に脱退してしまう。また、春には鮑家街43號楽隊も脱退した。常寛との活動も2000年で終了し、2001年以降は、どのバンドにも所属していないようだ。



2006年頃の写真

(写真:getluckybar、豪運酒[ロ巴])


 このように、数多くのバンドでドラムを叩いていたのは、20世紀中の中国にはなかなかドラムを叩ける人材がいなかった。そのため、技術があった牧羊を必要とした人は数多くいたのだ。ロックバンドが乱立するようになった現在でも、彼は多くのバンドを渡り歩いている。しかし、最近では彼のドラムテクニックについてあまり高い評判が得られない。それは、ドラッグのやりすぎでかつての力が出せなくなったためだといわれている。彼の兄・趙已然もドラマーであるが、ドラッグのために一時期活動ができなかった。

 ちなみに、彼の名前はクレジットされるとき、いつも異なるため要注意。クレジット例として、牧陽、牧羊、趙牧陽、趙牧羊、趙暮陽など。ちなみにこれらの漢字のピンインはすべて‘(Zhao) Muyang’。中国では発音が分かっていても、漢字を記憶しないことが多々ある。そのため、このような混乱が生じたのだ。

 2001年、かつて発表した「流浪」が、陳星(作詞)・呂飛(作曲)らによって「流浪兄弟」として発表されたが、これは牧陽が知らないところで、珍星と呂飛が曲を盗作して発表したためである。


『中国揺滾精華版(第一集)』の歌詞カードより


  2002年には、華偉音楽学校で教師として、学生達にドラムを教えている。最近、自ら創作する曲は、西北民謡を取り入れた素朴で簡単な曲が多くなってきている。  2003年11月14日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。

 その後、根拠地酒[ロ巴]の専属バンド・根拠地楽隊のメンバーとして活動しているほか、ソロでも活動している。

 2004年10月23日、上歩南路根拠地酒[ロ巴]で行われた“第四届深[土川]根拠地揺滾音楽節”に参加した。

 2005年7月9日、深[土川]の世界之窓で行われた羅[王奇]のライブのバックバンドメンバーを務めた。10月31日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第五届深[土川]揺滾音楽周”に参加した。

 2006年、北京に戻ってきた。3月4日、新豪運酒[ロ巴]でライブを行った。5月2日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。5月13日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。6月9日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。8月5日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。8月12日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。



1998年、BUSY BEEで行われた鮑家街43號楽隊のライブより (撮影:YIREN)


   2007年5月、インディーズ1stアルバムを発表した。5月4日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節MINI MIDI舞台に参加した。5月16日、汽車電影院内人工湖畔西南角草地で行われた“両個好朋友民謡芸術節”に参加した。5月30日、北京大学百周年記念講堂多功能庁でライブを行った。8月11日、済南の婦女児童活動中心前広場で行われた“2007第三届中国(国際)吉它文化節”に参加した。10月5日、雲南省麗江の束河四方聴音広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月30日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友 - 小索”ライブに参加した。12月16日、昆明の説[ロ巴]でライブを行った。  2008年、icharm騷楽隊を結成した。4月20日、昆明の半山珈琲でライブを行った。4月25日、豪運酒[ロ巴]で王磊と共にライブを行った。6月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。同年、インディーズ2ndアルバムを発表した。9月6日、西安の外蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。11月1日、青海省西寧の物質生活酒[ロ巴]でライブを行った。11月22日、成都の家JAH BARでライブを行った。12月20日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。

 2009年3月6日、青海省西寧の城楼LOFTでライブを行った。3月14日、西安の蛋殻酒[ロ巴]でライブを行った。3月20日、成都の家JAH BARでライブを行った。3月28日、成都の麻糖酒[ロ巴]でライブを行った。4月4日、昆明の喜[ロ巴]でライブを行った。4月18日、貴陽のLUCK酒[ロ巴]でライブを行った。4月25日、成都の馬丘比丘珈琲館でライブを行った。4月30日、山東省[シ維]坊でライブを行った。5月2日、地壇公園で行われた“2009地壇公園民謡音楽節”に参加した。5月9日、重慶の堅果倶楽部でライブを行った。5月23日、成都の熊猫倶楽部でライブを行った。8月2日、甘粛省天水の初酒[ロ巴]でライブを行った。8月7日、銀川の街口酒[ロ巴]でライブを行った。8月23・24日、西寧の簡単日子酒[ロ巴]でライブを行った。9月18日、西安の在路上酒[ロ巴]でライブを行った。10月1日、成都の大象酒[ロ巴]でライブを行った。10月、2ndアルバム『東方紅』が発売となった。

 

 


外部リンク

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