曹平
曹平 | |
---|---|
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 曹平 |
中国語名(繁体字) | 曹平 |
拼音 | Cao Ping |
発音転記 | ツァオ ピン |
出生日 | 1961年3月22日 |
出身地 | 北京市 |
担当楽器 | ギター・ベース・ドラム |
職業 | 音楽学校講師 |
メンバー |
|
''曹平(ツァオ ピン、Cao Ping、1961年3月22日 -)は、北京市で活動しているギタリスト。「ロック伝教士」の異名を持つ、中国で本当のロックを初めて演奏したギタリストである。
メンバー
過去に在籍したメンバー
サポートメンバー
経歴
北京市で生まれたが、3歳の時に広東省広州市に移る。1974年からギターを勉強し、1975年には、広州市で有名なギタリスト・容氏兄弟にギターを教えてもらう。のち、弟の曹鈞までがギターを好きになったので、曹平は彼にギターを教えるようになる。
1980年には、陳志の教材でギターを勉強し、技術が格段にアップした。やがて曹鈞が香港の六線譜を入手した。以後、カセットを聴きながら英語の曲を練習し始める。当時先生の家で、The Beatlesの曲を聴いていた。またファンクを好んで聴くようになる。
1982年、北京市に戻る。1983年、イギリスの友達が持ってきたアーティストやロックに関する本を翻訳した。
1985年には、奥琪吉它大奨賽に兄弟で出場する。そこで、高旗と知り合いになる。同年末には、七合板楽隊と交流を結ぶようになる。
1985年から1986年にかけて、高旗と音楽の行動を共にする。1986年には、曹平・高旗・曹鈞・蔡深文のメンバーでバンドを結成したが、バンド名は無かった。
1987年、曹鈞が脱退した後は張炬が加入した。5月には、北京化工学院で行なわれたPARTYに参加した。このライブ以後、高旗とともに本格的なバンド結成を考え、夏から美院に行って練習を開始した。メンバーには張炬・朱佳・周松などがいた。しかし年末には解散となった。また同年秋には、Da Da Da楽隊を結成したが、1年あまりで解散となった。
1988年には、時効楽隊を結成したが、翌年解散となった。当時、彼の住んでいた西三旗賓館では、多くのロッカー達が練習や、情報交換のためにやってきていて、ここに同居したことのあるロッカーは20人以上もいた。
1993年、迷笛音楽学校の創立時の講師となり、多くの海外教材を翻訳した。1996年、北京現代音楽学院を設立する。
国内外のロックに詳しく、またギターも得意であったため、多くのロッカーが彼の周りに集まってきた。中国ロック界で第一世代と呼ばれる人物から現在に到るまで、多くの人物が彼から音楽について教わっていた。バンド活動は決して成功したとはいえないが、中国ロックの発展に大きく貢献した人物である。
1998年には赤龍楽隊を結成し、同年10月11日、北京首都体育館で行われた中美武林高手(武術大会)のゲストとしてライブを行ったが、その後、赤龍楽隊の名前は聞かなくなった。
1999年、曹平音楽教室を設立する。
2003年10月2日、北京迷笛音楽学校で行われた吉他中国琴友会に曹鈞と楊樂が参加したが、彼らの演奏で、ゲストとしてドラムを叩いた。
現在でも音楽学校の教師を続けている。
ディスコグラフィー
その他
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 呼吸 | 1990/7 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国大揺滾--献給国際減災十年 | 1993/1/8 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 揺滾衝撃波1 | 1994 | 作曲(高旗と) | |
呼吸楽隊 | 爱的光芒 | 中国揺滾経典 | 1995 | 作曲(高旗と) |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
VCD | 曹平教你弹弗拉门戈吉他(上) | G2 吉他平方2004第10期 | 2004/10 | フラメンコギター教学 |
主要なライブ・コンサート
- 1985年 北京市 奥琪吉它大奨賽 兄弟で出場
- 1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY メンバー:曹平・高旗・曹鈞など
外部リンク
- UTF-8