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2019年7月11日 (木) 00:18時点における版
曹均 | |
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2003年頃の写真。(写真:吉他中国) | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 曹均 |
中国語名(繁体字) | 曹均 |
拼音 | Cao Jun |
発音転記 | ツァオ ジュヌ |
別名 | 曹軍、曹鈞 |
出生日 | 1964年 |
学歴 | 曁南大学 |
出身地 | 広東省広州市 |
担当楽器 | ギター・ベース |
ジャンル | ハードロック・ブルース |
職業 | 会計士・スタジオミュージシャン・音楽学校講師・レコーディングエンジニア・プロダクション経営者 |
曹均(ツァオ ジュヌ、Cao Jun)は、広東省広州市出身で、北京市在住のギタリスト。曹平の弟。元・呼吸楽隊のメンバーとして知られている。曹鈞と記載されることが非常に多い。
経歴
1964年、広東省広州市で生まれる。小さい頃から笛子やハーモニカ、バイオリン、ピアノを演奏したことがあったが、のち、ギターを好むようになる。ロックに興味を持ったのは、北京市ではなく、1980年に広東省広州市の曁南大学に入学してからであった。そこで、外国人や香港人から外国の音楽を聴かせてもらうようになる。大学の専攻は会計だったが、この専攻をとても嫌い、音楽学院の試験を受けたり、毎日図書館で音楽理論を勉強、また余暇を利用してバイオリンやピアノを勉強した。同じ頃、学校内でギターサークルを作って、いろいろな人に教えていた。
北京に移ってからは、高旗や兄の曹平らとともにギターを勉強する。1987年、五月天楽隊を結成した。
1988年には、時効楽隊にも所属していた。同年末、高旗等とともにバンドを結成、翌年には呼吸楽隊となる。そこで、リードギターを務める。
音楽活動以外では1984年に大学卒業後、旅遊局服務学校の教師になったり、シルク輸出入の会社で会計を担当していたが、1989年2月には会社を辞めて、音楽活動に専念するようになる。
1990年、KB公司と契約し、ソロアルバムを制作した。この時、彼は香港の威尓遜公司とも契約し、このアルバムを少しアレンジしてから発売しようとした。しかし完成した後に、威尓遜公司が倒産してしまい、このアルバム発売計画はお蔵入りとなってしまう。同年には、超載楽隊のサポートを務めた事もあった。
ギターテクニックに好評であり、多くのアルバムにレコーディングメンバーとして参加した。
1997年からは楊楽とともに藍調楽隊を結成し、中国民間歌謡や欧米のジャズやブルースを演奏していた。
バンド活動以外には、1998年からは、北京市の北京舞踏学院で楽器講師を務め、14歳から18歳までの子供にギターを教えた。1999年には、北京珀薩数碼技術有限公司を設立し、PULSARを販売し始めた。また、ライブレコーディング専門の会社を設立し、崔健や郭峰、麗江雪山音楽節、女子十二楽坊などのライブをレコーディングした。
2002年半ば、深呼吸楽隊を結成した。
2003年、北京市の華偉音楽学校でデジタルミュージックの教師を務めた。
2004年5月、オムニバス・アルバム『吉他中国(一)』に曲が収録された。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
音楽教材
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
谁的错 | 揺滾衝撃波1 | 1994 | |
平平淡淡 | 揺滾衝撃波2 | 1994 | |
伪装 | 中国揺滾精華版(第一集) | 1994? | |
伪装 | 中国揺滾経典 | 1995 | クレジットは曹軍 |
骑士归来《吉它曲》 | 中国揺滾精華版(第一集) | 1994? | |
又过一年 | 中国揺滾精華版(第二集) | 1994? | |
马可波罗东方游记 | 吉他中国(一) | 2004/5 | 1994年の作品 |
参加アルバム
主要なライブ・コンサート
- 1985年 北京市 奥琪吉它大奨賽 兄弟で出場
- 1987年5月 北京市 北京化工学院地下礼堂 PARTY メンバー:曹平・高旗・曹鈞など
- 2000年3月28日 北京市 V-One Club クレジット:曹平+曹鈞+厳剛+高旗
- 2003年10月2日 北京市 北京迷笛音楽学校 迷笛音楽節 吉他中国琴友会
- 2003年10月29日 北京市 手心手背酒吧
- 2003年11月27日 北京市 仁倶楽部 クレジット:曹鈞+楊楽
外部リンク
- 中国語
- ギターサイト。インタビューやイベントに参加した際の記事などが掲載されている。