「王迪」の版間の差分

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王迪のハスキーな歌声にはとても暖かさを感じ、心が和やかになる。歌声だけでなく、彼の作詞・作曲した作品も素晴らしい出来である。ソロアルバムは80年代に出ただけで、その後、だしていないのが不思議なくらいである。このままプロデュース業や番組制作などで間接的にロックに関わるより、ロックシンガーとして活動してもらいたい人物である。
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王迪のハスキーな歌声にはとても暖かさを感じ、心が和やかになる。いろいろな[[オムニバス・アルバム]]には発表しているが、ソロアルバムは80年代に出ただけで、その後、発売していないのが不思議なくらいである。1980年代を代表するロックシンガーの一人であるが、歌手活動を辞めていった原因の一つとしては、オリジナル作品をなかなか創作することができない点である。世間で知れ渡っている彼のオリジナル作品も数えるほどである。
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また、彼の性格が災いして、あまり積極的な音楽活動を好んでいない。1990年代になり、プロデュース業や番組制作などで関節的にロックに関わっているが、[[プロデューサー]]として手がけたアルバムも[[王暁京]]と一緒に活動していた時期を除けば、ペースは少ない。[[無聊軍隊]]と知り合ってからはその傾向が強く、特にパンクミュージシャンからは兄貴分として慕われていて、ライブハウスに入り浸りになっているイメージが強い。
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周りの動向にとらわれず、自分の道を突き進むロックシンガーらしい人生とも言えるが、もっと彼の作品を聞きたい人にとっては残念である。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==

2020年6月26日 (金) 00:40時点における版

王迪
Wangdi 11.jpg
2003年11月27日、仁倶楽部で行なわれたライブより。(写真提供:嚎叫唱片
基本情報
中国語名(簡体字) 王迪
中国語名(繁体字) 王迪
拼音 Wang Di
発音転記 ワン ディ
死没日 中央美術学院付属中学
出身地 北京市
担当楽器 ボーカル
ジャンル ハードロックポップロック
職業 歌手プロデューサーディレクター写真家
1999年、『無聊軍隊』をプロデュースした時の写真。(写真提供:嚎叫唱片
1985年、崔健(真ん中)と活動している時期の写真。(写真版権:王迪、写真提供:周俭、优蝶

王迪(ワン ディ、Wang Di)は、北京市で活動しているプロデューサー中国ロック界の元老である。

経歴

中国ではかなり早期から音楽に触れ、1982年には、丁武らと蝜蝂楽隊を結成した。

1983年、中央美術学院付属中学を卒業し、美術編集の仕事をしていた。

1985年には仕事を辞め、不倒翁楽隊に参加し、音楽活動に専念した。

1986年5月9日には崔健のバンドメンバーとして、全国第一届百名歌星演唱会に出演したが、主催者の以降で生演奏はコンサート用のバンドが担当し、王迪のギターは音響に繋がっていなかった。

1986年から1989年には、白天使楽隊に参加した。この間に五月天楽隊などが参加した、首都体育館でのコンサートを企画した。

1987年、1stアルバム『衝撃波』が発売となった。

また、同年代には、外国人と後門楽隊を結成した。

この頃、歌手としての評価が高まっており、一曲レコーディングするだけで最高200元がもらえた(当時の平均年収は544.9元)。

1993年、24K楽隊を結成した。

歌以外にもプロデューサーとして崔健・艾敬・陳琳・陳勁・李玲玉・景崗山・眼鏡蛇楽隊羅琦等をプロデュースし、いずれのアルバムもヒットとなり、中国流行音楽のレベルの底上げに大きく貢献していった。

1990年代後半には、CHANNEL [V]の番組『非常中国』のディレクターとして活動したほか、嚎叫倶楽部パンクバンドに注目、1999年には彼らのアルバム『無聊軍隊』をプロデュースした。

評価

王迪のハスキーな歌声にはとても暖かさを感じ、心が和やかになる。いろいろなオムニバス・アルバムには発表しているが、ソロアルバムは80年代に出ただけで、その後、発売していないのが不思議なくらいである。1980年代を代表するロックシンガーの一人であるが、歌手活動を辞めていった原因の一つとしては、オリジナル作品をなかなか創作することができない点である。世間で知れ渡っている彼のオリジナル作品も数えるほどである。

また、彼の性格が災いして、あまり積極的な音楽活動を好んでいない。1990年代になり、プロデュース業や番組制作などで関節的にロックに関わっているが、プロデューサーとして手がけたアルバムも王暁京と一緒に活動していた時期を除けば、ペースは少ない。無聊軍隊と知り合ってからはその傾向が強く、特にパンクミュージシャンからは兄貴分として慕われていて、ライブハウスに入り浸りになっているイメージが強い。

周りの動向にとらわれず、自分の道を突き進むロックシンガーらしい人生とも言えるが、もっと彼の作品を聞きたい人にとっては残念である。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

コンピレーション・アルバム

Bootleg

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
ドキュメンタリーフィルム中国原創音楽20年2011インタビュー▼DVD

主要なライブ・コンサート

外部リンク