「痩人楽隊」の版間の差分

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'''痩人楽隊'''(ショウレン、THINMAN)は、[[北京]]のバンド。[[1997年]]に再結成をしてからは、[[ライブの帝王]]と呼ばれ、中国国内だけでなく、フジロックフェスティバルに2回出演、[[日本]]で単独ライブを行なうなど、日本人の間でも好評を博している。
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'''痩人楽隊'''(ショウレン、THINMAN)は、[[北京]]のバンド。[[1993年]]から[[1994年]]まで活動し、[[1997年]]に再結成をしてからは、[[ライブの帝王]]と呼ばれ、中国国内だけでなく、フジロックフェスティバルに2回出演、[[日本]]で単独ライブを行なうなど、日本人の間でも好評を博している。
  
  
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=== 過去に在籍したメンバー ===
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
 
*'''[[弘正果]]''' [[ボーカル]]&[[ギター]]([[1993年]]10月-[[1994年]]5月)
 
*'''[[弘正果]]''' [[ボーカル]]&[[ギター]]([[1993年]]10月-[[1994年]]5月)
*'''[[寇善立]]''' [[ギター]]([[1993年]]) アメリカ人。
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*'''[[寇善立]]''' [[ギター]]([[1993年]]) アメリカ人。「抹一抹」のレコーディングに参加。
 
*'''[[關菲]]''' [[ドラム]]([[1993年]]10月-[[1994年]]5月)
 
*'''[[關菲]]''' [[ドラム]]([[1993年]]10月-[[1994年]]5月)
*'''[[肖亦平]]''' [[ギター]]([[1994年]]
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*'''[[肖亦平]]''' [[ギター]]([[1994年]]) 「車輪」、「路過此地」のレコーディングに参加。
 
*'''[[符寧]]''' [[ギター]]([[1997年]]6月-[[2003年]]5月)
 
*'''[[符寧]]''' [[ギター]]([[1997年]]6月-[[2003年]]5月)
 
*'''[[王瀾]]''' [[ドラム]]([[1997年]]6月-[[2003年]]5月)
 
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=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
*'''[[虎子]]''' [[ギター]]([[1999年]]6月)
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*'''[[虎子]]''' [[ギター]]([[1999年]]6月) 中央電視台の大型音楽番組「《同一首歌》相聚2000 第2部」に符寧の代わりに出演。
*'''[[符寧]]''' [[ギター]]([[2007年]]
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*'''[[符寧]]''' [[ギター]]([[2007年]]) 2007年11月18日のLINKIN PARKコンサートに参加した際サポート。
 
*'''[[Elliott]]''' [[ギター]]([[2007年]]7月-[[2007年]]9月) 外国人。
 
*'''[[Elliott]]''' [[ギター]]([[2007年]]7月-[[2007年]]9月) 外国人。
*'''[[周坤]]''' [[ギター]]([[2008年]]-[[2009年]]) 2010年になり正式なメンバーとなる。
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*'''[[周坤]]''' [[ギター]]([[2008年]]-[[2009年]]) 2008年12月8日、『第7天』発表会など、以後のライブに参加。2010年になり正式なメンバーとなる。
*'''[[張然]]''' [[DJ]]([[2008年12月]]
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*'''[[張然]]''' [[DJ]]([[2008年12月]]) 2008年12月8日、『第7天』発表会に参加。
  
 
== '''プロフィール''' ==
 
== '''プロフィール''' ==
北京のバンド。蒙古族の戴秦を中心に、1993年10月結成された。当時のメンバーは弘正果(Vo&G)・アメリカ人の寇善立(G)・戴秦(B)・關菲(Dr)。同月、馬克西姆餐庁(マキシムレストラン)で初ライブを行う。その後は夜総会・北京飯店・神龍倶楽部等でライブ活動をする。
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北京のバンド。[[蒙古族]]の[[戴秦]]を中心に、[[1993年]]10月結成された。結成当初のメンバーは[[弘正果]](Vo&G)・アメリカ人の[[寇善立]](G)・戴秦(B)・[[關菲]](Dr)。同月、馬克西姆餐庁(マキシムレストラン)で初ライブを行う。その後は夜総会・北京飯店・神龍倶楽部等でライブ活動をする。
1994年2月には最初の作品である、「抹一抹」をレコーディングした。のち、肖亦平(G)の参加で、「車輪」、「路過此地」を発表した。活動は順調であったが、1994年5月に解散した。
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1994年2月には最初の作品である、「抹一抹」をレコーディングした。のち、[[肖亦平]](G)の参加で、「車輪」、「路過此地」を発表した。活動は順調であったが、[[1994年]]5月に解散した。
  
戴秦は1997年6月に元・磨合楽隊のギターリスト・符寧、ベーシスト・仨儿、超載楽隊のドラマー・王瀾を招聘し、再結成する。仨儿をメンバーに加えたことで、戴秦はボーカルに転向した。北京のライブハウスを中心に、ライブを数多くこなしていった。巧みな演奏技術が評判となり、大陸各地でコンサートを行うようになる。
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戴秦は[[1997年]]6月、元・[[磨合楽隊]]の[[ギターリスト]]・[[符寧]]、[[ベーシスト]]・[[仨儿]]、[[超載楽隊]]の[[ドラマー]]・[[王瀾]]を招聘し、再結成する。仨儿をメンバーに加えたことで、戴秦は[[ボーカル]]に転向した。北京の[[ライブハウス]]を中心に、ライブを数多くこなしていった。巧みな演奏技術が評判となり、大陸各地でコンサートを行うようになる。
  
1999年6月19日、新郷第二届揺滾音楽節に参加し、アルバムを発売していないのにも関わらず、高い評判を得、大成功を収める。間もなくして北京京文音像公司のロックレーベルである[ロ豪]叫唱片と契約し、8月には1stアルバムを発売した。「崔健・黒豹楽隊・唐朝楽隊の後継者」との評価を受け、新聞『音楽生活報』では、7週に渡り特集が組まれた。収録曲「傷口」は、全国の多くのラジオ局のヒットチャートでトップ20に入る。内モンゴルのラジオ局では1ヶ月間トップ20にチャートイン。同年後半からは全国ツアーを敢行する。
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[[1999年]]6月19日、[[新郷第二届揺滾音楽節]]に参加し、[[アルバム]]を発売していないのにも関わらず、高い評判を得、大成功を収める。間もなくして[[北京京文音像公司]]のロックレーベルである[[嚎叫唱片]]と契約し、8月には1stアルバム『[[痩人]]』を発売した。「[[崔健]]・[[黒豹楽隊]]・[[唐朝楽隊の後継者]]」との評価を受け、新聞『[[音楽生活報]]』では、7週に渡り特集が組まれた。収録曲「傷口」は、全国の多くのラジオ局のヒットチャートでトップ20に入る。内蒙古のラジオ局では1ヶ月間トップ20にチャートイン。同年後半からは全国ツアーを敢行する。
  
一見順風満帆のように思えたが、2000年2月16日の廊坊の工人倶楽部でのコンサートで戴秦がコンサート中に足を複雑骨折してしまい、ツアーを中断するはめになる。しかし、ライブの好きな痩人楽隊は、3月4日に北京の莱茵河声場で車椅子に座ってのライブを行い、衝撃的な復活を遂げた。
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一見順風満帆のように思えたが、2000年2月16日の[[河北省]][[廊坊]]の工人倶楽部でのコンサートで戴秦がコンサート中に足を複雑骨折してしまい、ツアーを中断するはめになる。しかし、ライブの好きな痩人楽隊は、3月4日に北京の[[莱茵河声場]]で車椅子に座ってのライブを行い、衝撃的な復活を遂げた。
  
日本人の間での評価は高く、5月6日には、日本人主催により、“痩人LiveParty Studio Rimix-DJcut”と題するライブが莱茵河声場で開かれ、大盛況に終わった。このイベントと同時にオフィシャルTシャツとキャップが製作された。中国のアーティストにしてはとても珍しいことである。6月には、符寧がアメリカへ渡航したため、病醫生楽隊の虎子(G)が一時的に参加した。この頃、中央電視台の大型音楽番組「《同一首歌》相聚2000 第2部」に出演、「[ロ阿] 朋友再見」を演奏した。
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日本人の間での評価は高く、5月6日には、日本人主催により、「痩人LiveParty Studio Rimix-DJcut」と題するライブが莱茵河声場で開かれ、大盛況に終わった。このイベントと同時にオフィシャルTシャツとキャップが製作された。中国のアーティストにしてはとても珍しいことである。6月、[[中央電視台]]の大型音楽番組「《同一首歌》相聚2000 第2部」に出演、「啊 朋友再见」を演奏した。
  
7月28日、日本のロックフェスティバル“FUJI ROCK’2000”に中国のバンドとして初めて参加し、大観衆の前で8曲を披露。中国ロックを知らない、多くの日本人を前にしながら、高い評価を受け、初の海外ライブは大盛況にて終了した。その後、京都でもライブを行なう。9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加し、2000年を代表するロックバンドのひとつとして中国人に認められた。12月には、『階段音楽特輯壹』に「[ロ阿] !朋友再見」を発表した。
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7月28日、日本のロックフェスティバル「FUJI ROCK’2000」に中国のバンドとして初めて参加し、大観衆の前で8曲を披露。中国ロックを知らない、多くの日本人を前にしながら、高い評価を受け、初の海外ライブは大盛況にて終了した。その後、京都でもライブを行なった。9月16日には、北京の[[オリンピックスタジアム]]で行われた「[[2000年現代音楽演唱会]]」に参加し、2000年を代表するロックバンドのひとつとして認められることとなった。12月、『[[階段音楽特輯壹]]』に「啊 朋友再见!」を発表した。
  
2001年4月、[ロ豪]叫唱片との契約を解約した。7月29日には、日本の“FUJI ROCK’2001”に出演し、2年連続出演した数少ないバンドとして、評判を呼んだ。
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2001年4月、嚎叫唱片との契約を解約した。7月29日には、日本の「FUJI ROCK’2001」に出演し、2年連続出演した数少ないバンドとして、評判を呼んだ。
  
2002年になり、再び[ロ豪]叫唱片と契約を結んだ。2月、ライブVCD『希望』が発売となった。7月19日、CD CAFEで2ndアルバム『北京夢』発表会を開いた。
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2002年、再び嚎叫唱片と契約を結んだ。2月、ライブVCD『[[希望]]』が発売となった。7月19日、[[CD CAFE]]で2ndアルバム『[[北京夢]]』発表会を開いた。
  
2003年5月、符寧と王瀾がバンドを脱退してしまう。そして高飛(Dr)と艾軍(G)が加入した。7月、日本人のHAYATO(Dr)が加入した。8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節”に参加した。この時が、HAYATOが加入してから初めてのライブであった。10月3日、豪運酒[ロ巴]で日本のBRAHMANと共にライブを行った。
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2003年5月、符寧と王瀾がバンドを脱退してしまう。7月、日本人の[[HAYATO]](Dr)が加入した。8月22日、[[北京朝陽公園]]で行われた炫特区激情狂歓夜「非主流音楽節」に参加した。この時が、HAYATOが加入してから初めてのライブであった。10月3日、豪运酒吧で日本のバンド・BRAHMANと共にライブを行った。
  
2004年3月になり、郭智勇(G)が加入した。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演した。9月26日、旅遊衛視(テレビ)でスタジオ収録によるライブ映像が放送された。
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2004年3月、郭智勇(G)が加入した。9月26日、旅遊衛視(テレビ)でスタジオ収録によるライブ映像が放送された。
  
2007年7月20日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。この時、郭智勇が中国にいなかったため、elliott(外国人)(G)がサポートを務めた。その後、9月までelliottはライブサポートを務めるようになる。11月18日、上海の虹口足球場で行われたアメリカのバンド・LINKIN PARKの中国コンサートの唯一の前座を務めた。この時、符寧(G)がサポートを務めた。
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2007年11月18日、[[上海]]の虹口足球場で行われたアメリカのバンド・LINKIN PARKの中国コンサートの唯一の前座を務めた。
  
2008年12月8日、星光現場音楽庁で3rdアルバム『第7天』発表会を開いた。この時、周坤(元・耳光楽隊)(G)・張然(DJ)がサポートを務めた。
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2008年、凡人唱片と契約する。12月8日、3rdアルバム『第7天』が発売となった。
  
 
2009年1月11日、北京工人体育館で行われた“中歌榜2008年度北京流行音楽典礼”に参加し、最優秀バンド賞を獲得した。
 
2009年1月11日、北京工人体育館で行われた“中歌榜2008年度北京流行音楽典礼”に参加し、最優秀バンド賞を獲得した。

2010年5月28日 (金) 22:21時点における版

痩人楽隊(ショウレン、THINMAN)は、北京のバンド。1993年から1994年まで活動し、1997年に再結成をしてからは、ライブの帝王と呼ばれ、中国国内だけでなく、フジロックフェスティバルに2回出演、日本で単独ライブを行なうなど、日本人の間でも好評を博している。


メンバー


過去に在籍したメンバー


サポートメンバー

プロフィール

北京のバンド。蒙古族戴秦を中心に、1993年10月結成された。結成当初のメンバーは弘正果(Vo&G)・アメリカ人の寇善立(G)・戴秦(B)・關菲(Dr)。同月、馬克西姆餐庁(マキシムレストラン)で初ライブを行う。その後は夜総会・北京飯店・神龍倶楽部等でライブ活動をする。 1994年2月には最初の作品である、「抹一抹」をレコーディングした。のち、肖亦平(G)の参加で、「車輪」、「路過此地」を発表した。活動は順調であったが、1994年5月に解散した。

戴秦は1997年6月、元・磨合楽隊ギターリスト符寧ベーシスト仨儿超載楽隊ドラマー王瀾を招聘し、再結成する。仨儿をメンバーに加えたことで、戴秦はボーカルに転向した。北京のライブハウスを中心に、ライブを数多くこなしていった。巧みな演奏技術が評判となり、大陸各地でコンサートを行うようになる。

1999年6月19日、新郷第二届揺滾音楽節に参加し、アルバムを発売していないのにも関わらず、高い評判を得、大成功を収める。間もなくして北京京文音像公司のロックレーベルである嚎叫唱片と契約し、8月には1stアルバム『痩人』を発売した。「崔健黒豹楽隊唐朝楽隊の後継者」との評価を受け、新聞『音楽生活報』では、7週に渡り特集が組まれた。収録曲「傷口」は、全国の多くのラジオ局のヒットチャートでトップ20に入る。内蒙古のラジオ局では1ヶ月間トップ20にチャートイン。同年後半からは全国ツアーを敢行する。

一見順風満帆のように思えたが、2000年2月16日の河北省廊坊の工人倶楽部でのコンサートで戴秦がコンサート中に足を複雑骨折してしまい、ツアーを中断するはめになる。しかし、ライブの好きな痩人楽隊は、3月4日に北京の莱茵河声場で車椅子に座ってのライブを行い、衝撃的な復活を遂げた。

日本人の間での評価は高く、5月6日には、日本人主催により、「痩人LiveParty Studio Rimix-DJcut」と題するライブが莱茵河声場で開かれ、大盛況に終わった。このイベントと同時にオフィシャルTシャツとキャップが製作された。中国のアーティストにしてはとても珍しいことである。6月、中央電視台の大型音楽番組「《同一首歌》相聚2000 第2部」に出演、「啊 朋友再见」を演奏した。

7月28日、日本のロックフェスティバル「FUJI ROCK’2000」に中国のバンドとして初めて参加し、大観衆の前で8曲を披露。中国ロックを知らない、多くの日本人を前にしながら、高い評価を受け、初の海外ライブは大盛況にて終了した。その後、京都でもライブを行なった。9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた「2000年現代音楽演唱会」に参加し、2000年を代表するロックバンドのひとつとして認められることとなった。12月、『階段音楽特輯壹』に「啊 朋友再见!」を発表した。

2001年4月、嚎叫唱片との契約を解約した。7月29日には、日本の「FUJI ROCK’2001」に出演し、2年連続出演した数少ないバンドとして、評判を呼んだ。

2002年、再び嚎叫唱片と契約を結んだ。2月、ライブVCD『希望』が発売となった。7月19日、CD CAFEで2ndアルバム『北京夢』発表会を開いた。

2003年5月、符寧と王瀾がバンドを脱退してしまう。7月、日本人のHAYATO(Dr)が加入した。8月22日、北京朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜「非主流音楽節」に参加した。この時が、HAYATOが加入してから初めてのライブであった。10月3日、豪运酒吧で日本のバンド・BRAHMANと共にライブを行った。

2004年3月、郭智勇(G)が加入した。9月26日、旅遊衛視(テレビ)でスタジオ収録によるライブ映像が放送された。

2007年11月18日、上海の虹口足球場で行われたアメリカのバンド・LINKIN PARKの中国コンサートの唯一の前座を務めた。

2008年、凡人唱片と契約する。12月8日、3rdアルバム『第7天』が発売となった。

2009年1月11日、北京工人体育館で行われた“中歌榜2008年度北京流行音楽典礼”に参加し、最優秀バンド賞を獲得した。

2010年、郭智勇が脱退し、周坤(G)が正式に加入した。5月、日本ツアーを行なった。

ディスコグラフィー

アルバム

  1. 痩人(1999年8月)北京京文唱片 / 嚎叫唱片
  2. 希望(2002年2月)北京京文唱片 / 嚎叫唱片
  3. 北京夢(2002年7月)京文唱片 / 嚎叫唱片
  4. 第7天(2008年12月8日)北京華誼兄弟 / 凡人唱片

ライブ・コンサート

  • 1993年10月、馬克西姆餐庁(マキシムレストラン)
  • 1999年5月2・3日 、河南省新郷 “1999吶喊中国”新郷大型演唱会
  • 2000年2月16日 河北省廊坊
  • 2000年3月4日 北京 莱茵河声場

5月6日には、日本人主催により、“痩人LiveParty Studio Rimix-DJcut”と題するライブが莱茵河声場 7月、西単文化広場で行われた第五伝媒迷笛音楽周に参加した。 7月28日、日本のロックフェスティバル“FUJI ROCK’2000” 、京都でもライブを行う。 9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会 10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。 11月28日、武漢洪山体育館で行われた“武漢2000中国新音楽大型演唱会 2001年7月29日には、日本の“FUJI ROCK’2001” 10月27日、北方交通大学で行われた“金恒生ASCOM揺滾演唱会

 2002年6月1日、中国婦女保護協会大型晩会 7月19日、CD CAFEで2ndアルバム『北京夢』発売記念ライブ 8月14日には、CD CAFE 8月16日には、上海の新天地ARKでアメリカのTHE REALISTICSと共にライブを行った。 8月18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”に出演した。 12月23日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。

 2003年8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節” 9月26日、成都で行われた中国第四届西部国際博覧会“西部之星”コンテストにゲスト出演した。 10月2日、迷笛音楽節に参加し、2日目のトリを務めた。 10月3日、豪運酒[ロ巴]で日本のBRAHMANと共にライブを行った。 10月6日・7日、上海の新天地ARKでライブを行った。 10月31日、北京交通大学で行われた“揺滾[イ尓]的校園-北京交大第1届現代音楽節”に参加した。 11月22日、豪運酒[ロ巴]で行われた“『吶喊 為了中国曾経的揺滾』アルバム発表会”に参加した。 12月24日、成都の錦江大礼堂で行われた“2003聖誕happy夜激情成都大型揺滾演唱会”に出演した。

2004年4月10日、新豪運酒[ロ巴]で[ロ豪]叫唱片成立5周年記念単独ライブを行った。 5月5日、西安の未央湖遊楽園でライブを行った。 6月7日、地壇公園方沢壇内で行われた“芸術拒絶独品”コンサートに参加した。 8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演した。 8月21日、上海で行われた“青春中華大運会-風・夏音楽季”フェスティバルに参加した。 9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートに出演した。

2005年7月29日、重慶の大田湾体育場で行われた“大田湾[口卑]酒節” 7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。 8月20日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した。

2006年4月22日、内モンゴル自治区呼和浩特の内蒙古体育館でモンゴル国のバンド・HURD(胡日徳)と一緒にライブを行った。 5月1日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節に参加した。 7月23日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。 7月29日、重慶の大田湾体育場で行われた“山城[口卑]酒之夜-第三届[口卑]酒芸術節”に参加した。 10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。 10月6日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。 12月24日、天津の国際展覧中心2号館で行われた“聖誕揺滾万人狂歓”ライブに参加した。

2007年1月21日、上海の堂会酒[ロ巴]でライブを行った。 5月1日、北京海淀公園で行われた迷笛音楽節に参加し、初日のトリを務めた。 6月16日、酷楽唱片店で行われた“2007北京流行音楽節系列”ライブに参加した。 7月20日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。この時、郭智勇が中国にいなかったため、elliott(外国人)(G)がサポートを務めた。 8月5-10日、重慶の大田湾体育場で行われた“第六届国際[口卑]酒節”に参加した 。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した 11月18日、上海の虹口足球場で行われたアメリカのバンド・LINKIN PARKの中国コンサートの唯一の前座を務めた。この時、符寧(G)がサポートを務めた。 11月24日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]南山店で行われた“深[土川]第七届根拠地音楽節”に参加した。

2008年12月8日、星光現場音楽庁で3rdアルバム『第7天』発表会

2009年1月10日、済南の班卓音楽酒[ロ巴]でライブを行った。 1月11日、北京工人体育館で行われた“中歌榜2008年度北京流行音楽典礼”に参加し、最優秀バンド賞を獲得した。 1月16日、上海の現場酒[ロ巴]でライブを行った。 1月17日、上海のLOGOでアンプラグドライブを行った。 5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。 5月2日、北京通州運河公園で行われた“草苺音楽節”愛舞台に出演した。 5月30日、天津の13CLUB天津店でライブを行った。7月24日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。 7月26日、重慶の大田湾体育場で行われた“重慶[口卑]酒勁情釈放揺滾激情夜”に参加した。 8月1日、成都の小酒館芳沁店でライブを行った。 8月15日、MAOでライブを行った。 10月25日、上海の新江湾城SMP滑板公園で行われた“奔向2010 - 東方風雲榜季選音楽営”に参加した。 11月6日、星光現場音楽庁で行われた“環境危険の揺滾危険”ライブに参加した。

2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで行われた崔健のコンサートのゲストを務めた。 5月8日、東京の下北沢ERAで行われたERA8周年記念ライブに参加した。 5月11日、東京の八王子Livebar X.Y.Z.→Aでワンマンライブを行った。

外部リンク

  1. 日本語
    オフィシャル日本語サイト。
    Smashing Magより。2010年5月7日のライブ写真が掲載されている。
  2. 中国語GB
    百度贴吧より。バンドに関する書き込みがある。