「舌頭楽隊」の版間の差分

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*[[2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節/2005年7月31日|2005年7月31日 内モンゴル自治区四子王旗 格根塔拉草原 2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節]]
 
*[[2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節/2005年7月31日|2005年7月31日 内モンゴル自治区四子王旗 格根塔拉草原 2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節]]
 
*[[無名高地酒吧/2005年10月30日|2005年10月30日 北京市 無名高地酒吧]] 記念我們的朋友(野孩子)小索
 
*[[無名高地酒吧/2005年10月30日|2005年10月30日 北京市 無名高地酒吧]] 記念我們的朋友(野孩子)小索
 
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*[[2006北京首届揺滾啤酒節/2006年10月7日|2006年10月7日 北京市 北京国際雕塑公園北園 2006北京首届揺滾啤酒節]]
 2006年9月から活動を再開した。メンバーは、呉呑(Vo&G)・周勝軍(G)・呉俊徳(B)・郭大綱(Key)・李旦(Dr)の5人である。10月7日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾啤酒節”に参加した。10月28日、無名高地酒吧でライブを行った。
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*[[無名高地酒吧/2006年10月28日|2006年10月28日 北京市 無名高地酒吧]]
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*[[愚公移山/2006年11月16日|2006年11月16日 北京市 愚公移山]] 以揺滾的名義 - 拯救小阿福大型義演
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*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2006年11月25日|2006年11月25日 北京市 豪運酒吧]]
2006年10月の写真
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*[[BUNKER吧/2006年12月8日|2006年12月8日 広東省広州市 BUNKER吧]]
(写真:胡大師、中国地下音楽網)
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*[[根拠地酒吧(上歩店)/2006年12月9日|2006年12月9日 広東省深圳市 根拠地酒吧(上歩店) 深圳根拠地第六届音楽節]]
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*[[育音堂/2006年12月23日 上海市 育音堂]]
   11月16日、愚公移山で行われた“以揺滾的名義 - 拯救小阿福大型義演”に参加した。11月25日、豪運酒吧でライブを行った。12月8日、広州のBUNKER吧でライブを行った。12月9日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。12月23日、上海の育音堂でライブを行った。12月24日、杭州のLoft49凡人楽墅でライブを行った。
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*[[Loft49凡人楽墅/2006年12月24日|2006年12月24日 浙江省杭州市 Loft49凡人楽墅]]
 2007年7月18日、新疆ウイグル自治区克拉瑪依阿依庫勒西郊水庫金沙灘景区で行われた“克拉瑪依第三届文化芸術節 - 九歌原創音楽演唱会”に参加した。
 
 
 
 2008年4月20日、新疆ウイグル自治区昌吉の昌吉屯河体育館でライブを行った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
*[[九歌音楽節/2007年7月18日|2007年7月18日 新疆ウイグル自治区克拉瑪依市 阿依庫勒西郊水庫金沙灘景区 克拉瑪依第三届文化芸術節 - 九歌原創音楽演唱会]]
 
*[[九歌音楽節/2007年7月18日|2007年7月18日 新疆ウイグル自治区克拉瑪依市 阿依庫勒西郊水庫金沙灘景区 克拉瑪依第三届文化芸術節 - 九歌原創音楽演唱会]]
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*[[昌吉屯河体育館/2008年4月20日|2008年4月20日 新疆ウイグル自治区昌吉市 昌吉屯河体育館]]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2011年9月8日 (木) 05:09時点における版

基本情報
出身地 [[]][[]]
メンバー



ファイル:11.jpg
(写真:)

'(、、)は、で活動していたバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

 新疆ウイグル自治区烏魯木斉出身のバンド。1995年8月結成。メンバーは柳遇午(Vo)・丁健(G)・呉俊徳(B)・郭大綱(Key)・曉開提(Dr)。バンド名は柳遇午が朗読した詩の「誰的舌頭」で、メンバーがみな非常に気に入ったためである(柳遇午だけ、本当は誰的舌頭楽隊としたかった)。のち、曉開提は脱退し、郭文(Dr)が加入した。結成から半年後、新疆各地を巡演した。  1997年2月25日、メンバーは、呉呑(Vo)・朱小龍(G)・李紅軍(G)・呉俊徳(B)・郭大綱(Key)・李旦(Dr)の6人となった。すべて漢民族である。夏に小型のライブを行った後、9月には上京し、ライブ活動を始める。

 1998年4月、広東省広州で行われた広州独立揺滾音楽節に参加し、ロックファンの間で名前が知れ渡る。その後、広州で暫くライブを行っていたが、再び北京に戻る。活動範囲の広さや、その高い音楽性により、多くの評論家達から高い評価を受ける。崔健も彼らに興味を持ち、1998年から1999年にかけて、何回か崔健のライブの前座として活動する。その頃、4曲入りDEMOを制作した。12月、広州で行われた“以音楽的名義”音楽会に参加した。

 1999年3月、河北省唐山の西山口倶楽部で行われた“中国新音楽発表会”に参加し、雑誌『通俗歌曲』などの媒体から高い評価を受ける。4月には、オムニバス『摩登天空3』のために「看[イ尓]的了」をレコーディングする。


2001年の写真 左から:李旦(Dr)・朱小龍(G)・李紅軍(G)・呉呑(Vo)・郭大綱(Key)・呉俊徳(B) (普[シ来]音楽のサイトより)


 5月2・3日には、河南省新郷で行われた“1999吶喊中国”新郷大型演唱会に参加した。6月には、摩登天空BADHEADと契約し、1stアルバムをレコーディングする。

 2000年1月になり、1stアルバム『小鶏出殻』が発売となった。メディアや一般の音楽ファンから高い評価を受けた。音楽は、けっして一般受けするものではないが、その独創性はとても魅力的である。4月30日・5月1日には、迷笛音楽節に参加した。5月には上海、南京、無錫でライブを行う。7月には貴州でライブを行った。同月、西単文化広場で行われた第五伝媒迷笛音楽周に参加した。同月、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)と契約した。9月15日に開心楽園でソロライブを開いた時は、最後の曲を演奏する時、メンバー全員が全裸になって観衆を驚かせた。12月9日には、上海のU-LIKE酒[ロ巴]でソロライブを行った。18日には、瀋陽の凱特金酒[ロ巴]でライブを行った。23・24日には、銀川でライブを行った。

 アルバムを発売してからは、北京より、北京以外でライブを行うことが多くなった。レコード会社のプロモーションも兼ねてはいるが、なにより彼らの人気が上がったことを物語る。アルバムを発売する前から評判が高かったため、これだけ人気が上がったのは当然とも言える。また、彼らの音楽を好む者は中国ロック界にも多く、痛苦的信仰楽隊は「複製者」を自分達のレパートリーに組み込んでいるほどである。

2002年9月7日、上海の音楽倉でのライブ 左から:呉俊徳・李紅軍・李旦・呉呑・郭大綱・朱小龍 ライブ中みんなで暗記した詩を朗読していた (撮影:YIREN)

 2001年4月7日、莱茵河声場で行われた“記念Kurt Cobain”ライブに参加した。5月、迷笛音楽節に参加した。8月には、インディーズレーベルのSUB JAMからライブアルバム『油漆匠』のCDが、10月には『油漆匠』のVCDが発売となった。一般のレコード会社ではアルバムがなかなか発売できないため、自ら製作したアルバムである。9月15日、内モンゴル自治区呼和浩特の呼和浩徳少年宮文体宮でライブを行った。9月16日、内モンゴル自治区包頭の東方倶楽部でライブを行った。  2002年1月4日には、雲南省昆明で行われた“中国芸術在行動--昆明現代音楽節”に参加した。3月30日、武漢のVOX声音酒[ロ巴]で行われたオープン記念ライブに参加した。

 左小祖咒とも仲が良く、左小祖咒が4月29日に莱因河声場でライブを行った時は、3人のメンバーがサポートを務めたほどである。

 5月、迷笛音楽節に参加する予定であったが、諸処の事情により、キャンセルとなってしまった。その時の観衆の失望振りはとても大きなものであった。舌頭がすでに大物になったことを物語る一幕である。


1999年9月17日、北京のLIVE HOUSE17で行われたライブより (撮影:YIREN)


 5月4日、深[土川]の三原色酒[ロ巴]でライブを行った。5月5日、広州のdie瓦酒[ロ巴]でライブを行った。同月、広東省珠海でライブを行った。8月、2ndアルバム『這就是[イ尓]』が発売となった。8月8日、臧酷酒[ロ巴]でアルバム発売記念発表会が行われた。8月17日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”に出演した。9月7日、上海の音楽倉でライブを行った。10月21日、南京大学と時光隧道酒[ロ巴]で行われた真唱運動に参加した。10月22日、徐州の白雲娯楽中心で行われた真唱運動に参加した。10月25日、上海の音楽倉で行われた真唱運動に参加した。この時、崔健のライブサポート(呉呑以外)も務めた。11月22日、山東省の烟台大学でライブを行った。12月11日、北京広播学院で行われた真唱運動に参加した。12月20日、全国農業展覧館2号館で行われた迷笛音楽季に出演した。12月26日、蘭州でライブを行った。

 2003年5月3日、迷笛音楽節に参加し、オオトリを務める予定であったが、諸事情により、昨年に引き続いて不参加となった。10月31日と11月1日、広州のSOLO[ロ巴]でライブを行った。11月21日、成都の金字塔[ロ卑]酒館でライブを行った。11月22日、成都の小酒館でライブを行った。

 2004年、フランスでIZ楽隊とのオムニバスアルバムが発売された。

2002年9月7日、上海の音楽倉でのライブ 左から:呉俊徳・呉呑・朱小龍 (撮影:YIREN)

 6月から7月初にかけて、フランスで王磊やIZ楽隊と共にライブツアーを行った。その後、朱小龍と李紅軍が脱退した。11月4日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブに参加したが、この時は4人での参加であった。その後、活動を停止してしまう。  2005年半ばになり、活動を再開した。新しく周勝軍(G)が加入した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。10月30日、無名高地酒[ロ巴]で行われた“記念我們的朋友(野孩子)小索”ライブに参加した。この後また活動が休止となった。

 2006年9月から活動を再開した。メンバーは、呉呑(Vo&G)・周勝軍(G)・呉俊徳(B)・郭大綱(Key)・李旦(Dr)の5人である。10月7日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。10月28日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。


2006年10月の写真 (写真:胡大師、中国地下音楽網)

   11月16日、愚公移山酒[ロ巴]で行われた“以揺滾的名義 - 拯救小阿福大型義演”に参加した。11月25日、豪運酒[ロ巴]でライブを行った。12月8日、広州のBUNKER[ロ巴]でライブを行った。12月9日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]上歩店で行われた“深[土川]根拠地第六届音楽節”に参加した。12月23日、上海の育音堂でライブを行った。12月24日、杭州のLoft49凡人楽墅でライブを行った。  2007年7月18日、新疆ウイグル自治区克拉瑪依阿依庫勒西郊水庫金沙灘景区で行われた“克拉瑪依第三届文化芸術節 - 九歌原創音楽演唱会”に参加した。

 2008年4月20日、新疆ウイグル自治区昌吉の昌吉屯河体育館でライブを行った。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

EP

シングル

映像作品

プロモーション・アルバム

 プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

外部リンク

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