「高旗」の版間の差分

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中国ロック界一の美形。
 
中国ロック界一の美形。
 1968年2月26日、北京で生まれる。中学2年の時からギターを弾き始める。1985年頃はビートルズの音楽を好んで聴いていた。同年、“奥琪ギターコンテスト”に出場し、ポール・サイモンの曲を歌う。そこで、曹平や曹鈞と知り合いになる。1986年、大学へ入学し、エレキギターを買う。
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 1968年2月26日、北京で生まれる。中学2年の時からギターを弾き始める。1985年頃はビートルズの音楽を好んで聴いていた。同年、“奥琪ギターコンテスト”に出場し、ポール・サイモンの曲を歌う。そこで、曹平や曹鈞と知り合いになる。1986年、[[北京旅遊学院]]へ入学し、[[エレクトリックギター]]を買った。
  
 
 1987年、曹平や曹鈞らと初めてライブを行う。5月には、北京化工学院地下礼堂でのPARTYに派楽隊のメンバーとして参加する。このコンサート以後、曹平とともにバンド結成を企画、夏から美院に行って練習を開始した。メンバーには、張炬・朱佳・周松などがいた。しかし年末には解散してしまう。
 
 1987年、曹平や曹鈞らと初めてライブを行う。5月には、北京化工学院地下礼堂でのPARTYに派楽隊のメンバーとして参加する。このコンサート以後、曹平とともにバンド結成を企画、夏から美院に行って練習を開始した。メンバーには、張炬・朱佳・周松などがいた。しかし年末には解散してしまう。
  
 1988年には音楽活動に専念することを決め、大学を中退し、白天使楽隊で1年ほど活動をする。この頃は、劉義軍が北京に住んでいなかったために代わりにギターを担当していたようた。同年行われた首都体育館・工人体育館でのコンサートにも参加した。
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1988年には音楽活動に専念することを決め、大学を中退し、[[白天使楽隊]]で1年ほど活動をする。この頃は、[[劉義軍]]が[[北京市]]に住んでいなかったために代わりに[[ギター]]を担当していたようた。同年行なわれた[[首都体育館]]・[[北京工人体育館]]でのコンサートにも参加した。同年末、[[曹鈞]]とともにバンドを結成、それが翌年になり[[呼吸楽隊]]となる。ここでは[[ギター]]を担当する。作詞・作曲のほとんどを手がけ、バンドの中心的人物であったが、[[スラッシュメタル]]へ気持ちが傾き、1991年に脱退する。
 
 
 同年末、曹鈞とともにバンドを結成、それが翌年になり呼吸楽隊となる。ここではギターを担当する。詞曲のほとんどを手がけ、バンドの中心的人物であったが、スラッシュメタルへ気持ちが傾き、1991年に脱退する。
 
 
 
 
 同年秋には、スラッシュメタルバンド超載楽隊を結成、ボーカルを務める。1998年に出版された超載楽隊の2ndアルバムでは、クレジットが高旗&超載となっている。高旗の話では、理由として、①全ての詞曲が高旗自身によって作られている、②しかし、やはり超載楽隊の作品であるから超載楽隊の名前は外せない、であるとのこと。本当の理由はバンド内での高旗の比重が以前にも増して、高旗の一挙一動がバンドの存続までにも関わってきたためであろう。超載楽隊はすでに、高旗のバックバンド的存在になってしまっている。
 
 高旗はロック音楽を始めてから、現在まで作詞・作曲を続けており、呼吸楽隊・超載楽隊のアルバムのほとんどが彼の作品によって構成されている。最近の作品は海外のアーティスト達にも認められ、台湾の楊乃文(フェイス・ヤン)や周華健(エミール・チョウ)がカバーし、高い評判を得た。
 
 
 
 1999年12月に放映の連続TVドラマ『将愛情進行到底』に出演したほか、2000年夏には、達達楽隊のプロデュースを担当するなど、活動の場を広げ始めた。
 
 
 
 2001年8月12日、牧馬人酒[ロ巴]で行われた李延亮の“衆星捧亮 滾石拉闊音楽会”に、ゲストで出演した。
 
 
 
 
 
 
 
2004年9月18日、“2004上海旅遊節開幕大聯歓”に参加した超載より
 
(撮影:YIREN)
 
 
   
 
   
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同年秋には、[[スラッシュメタル]]バンド・[[超載楽隊]]を結成、[[ボーカル]]を務める。
  
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1998年に出版された[[超載楽隊]]の2ndアルバムでは、クレジットが高旗&超載となっている。[[高旗]]の話では、理由として、1、全ての詞曲が高旗自身によって作られている、2、しかし、やはり[[超載楽隊]]の作品であるから[[超載楽隊]]の名前は外せない、であるとのこと。本当の理由はバンド内での[[高旗]]の比重が以前にも増して、[[高旗]]の一挙一動がバンドの存続までにも関わってきたためであろう。[[超載楽隊]]はすでに、高旗のバックバンド的存在になってしまっている。
  
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高旗はロック音楽を始めてから、現在まで作詞・作曲を続けており、[[呼吸楽隊]]・[[超載楽隊]]のアルバムのほとんどが彼の作品によって構成されている。最近の作品は海外のアーティスト達にも認められ、[[台湾]]の楊乃文(フェイス・ヤン)や周華健(エミール・チョウ)がカバーし、高い評判を得た。
  
 若さは感じられなくなってきたが、進化し続ける彼の作品がどのように変化するか、とても楽しみである。ちなみに2000年に好きなバンドは、The Smashing Pumpkinsであった。
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1999年12月に放映の連続TVドラマ『将愛情進行到底』に出演したほか、2000年夏には、[[達達楽隊]]のプロデュースを担当するなど、活動の場を広げ始めた。
 2002年、戦国音楽と契約した。
 
  
 2004年5月5日、新豪運酒[ロ巴]で行われた日本のバンド・PLASTICのライブのゲストを務めた。10月、戦国音楽が他社と合併して設立された華誼兄弟音楽有限公司に移籍した。12月、フランスの氷上レース、トロフェ・アンドロスにアジア地区ゲストとして初めて出場した。
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2002年、[[戦国音楽]]と契約した。
  
 2005年1月、オムニバス『奇跡』に曲が収録された。5月、オムニバス『礼物』に曲を発表したほか、「礼物」を合唱した。6月16日、北京水木同創文化発展有限公司と契約した。8月6日、北京楓花園汽車電影院で行われた“真唱運動三周年記念”ライブに参加した。9月3日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した水木年華のライブにゲスト出演した。
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2004年10月、[[戦国音楽]]が他社と合併して設立された[[華誼兄弟音楽有限公司]]に移籍した。12月、[[フランス]]の氷上レース、トロフェ・アンドロスにアジア地区ゲストとして初めて出場した。
 
  
超載の1999年頃
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2005年6月16日、[[北京水木同創文化発展有限公司]]と契約した。
のライブより
 
 
 
 
 2006年5月1日、朝陽公園で行われた“第三届朝陽流行音楽周”に出演した。12月13日、星光現場音楽庁で行われた“新浪音楽原創mu勢力演唱会”に参加した。
 
 2007年4月27日、星光現場音楽庁で行われた姜[日斤]のライブにゲスト出演した。
 
 
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
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[[Category:スラッシュメタル]]
 
[[Category:スラッシュメタル]]
 
[[Category:ポップメタル]]
 
[[Category:ポップメタル]]
 
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[[Category:歌手]]
 
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=== 出演 ===
 
 
 
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2014年1月7日 (火) 13:45時点における版

高旗
Gaoqi 21.jpg
1998年10月18日、超載楽隊のライブでの写真。(撮影:YIREN
基本情報
中国語名(簡体字) 高旗
中国語名(繁体字) 高旗
拼音 Gao Qi
発音転記 ガオ チィ
出生日 1968年2月26日
学歴 北京旅遊学院
出身地 北京市
担当楽器 ボーカルギター
ジャンル ハードロックスラッシュメタルポップメタル
職業 歌手プロデューサー
2004年9月18日に行われた超載楽隊のライブより。(撮影:YIREN
1999年頃、超載楽隊のライブより。

高旗(ガオ チィ、Gao Qi、1968年2月26日 -)は、北京市で活動しているボーカリスト。中国メタルを牽引してきた超載楽隊ボーカリストである。

経歴

中国ロック界一の美形。  1968年2月26日、北京で生まれる。中学2年の時からギターを弾き始める。1985年頃はビートルズの音楽を好んで聴いていた。同年、“奥琪ギターコンテスト”に出場し、ポール・サイモンの曲を歌う。そこで、曹平や曹鈞と知り合いになる。1986年、北京旅遊学院へ入学し、エレクトリックギターを買った。

 1987年、曹平や曹鈞らと初めてライブを行う。5月には、北京化工学院地下礼堂でのPARTYに派楽隊のメンバーとして参加する。このコンサート以後、曹平とともにバンド結成を企画、夏から美院に行って練習を開始した。メンバーには、張炬・朱佳・周松などがいた。しかし年末には解散してしまう。

1988年には音楽活動に専念することを決め、大学を中退し、白天使楽隊で1年ほど活動をする。この頃は、劉義軍北京市に住んでいなかったために代わりにギターを担当していたようた。同年行なわれた首都体育館北京工人体育館でのコンサートにも参加した。同年末、曹鈞とともにバンドを結成、それが翌年になり呼吸楽隊となる。ここではギターを担当する。作詞・作曲のほとんどを手がけ、バンドの中心的人物であったが、スラッシュメタルへ気持ちが傾き、1991年に脱退する。

同年秋には、スラッシュメタルバンド・超載楽隊を結成、ボーカルを務める。

1998年に出版された超載楽隊の2ndアルバムでは、クレジットが高旗&超載となっている。高旗の話では、理由として、1、全ての詞曲が高旗自身によって作られている、2、しかし、やはり超載楽隊の作品であるから超載楽隊の名前は外せない、であるとのこと。本当の理由はバンド内での高旗の比重が以前にも増して、高旗の一挙一動がバンドの存続までにも関わってきたためであろう。超載楽隊はすでに、高旗のバックバンド的存在になってしまっている。

高旗はロック音楽を始めてから、現在まで作詞・作曲を続けており、呼吸楽隊超載楽隊のアルバムのほとんどが彼の作品によって構成されている。最近の作品は海外のアーティスト達にも認められ、台湾の楊乃文(フェイス・ヤン)や周華健(エミール・チョウ)がカバーし、高い評判を得た。

1999年12月に放映の連続TVドラマ『将愛情進行到底』に出演したほか、2000年夏には、達達楽隊のプロデュースを担当するなど、活動の場を広げ始めた。

2002年、戦国音楽と契約した。

2004年10月、戦国音楽が他社と合併して設立された華誼兄弟音楽有限公司に移籍した。12月、フランスの氷上レース、トロフェ・アンドロスにアジア地区ゲストとして初めて出場した。

2005年6月16日、北京水木同創文化発展有限公司と契約した。

ディスコグラフィー

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
某人 在[イ尓]的懐抱里 1988 クレジットは高奇▽「SOMEBODY」のカバー
昨天 在[イ尓]的懐抱里 1988 クレジットは高奇▽「THAT WAS YESTERDAY」のカバー
明天会更好(英文版) nin喜愛的全有 1989 クレジットは高奇▽衛華とデュエット▽英語曲
緑草如菌 再見 張炬 1997
緑草如菌礼物 2005/5
豪門盛宴 奇跡 2005/1
豪門盛宴12"91 2005/8

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
DVD 水木年華 音楽人評説 生命狂想曲 三die精装版 2006/12 コメント 三die精装版のDVDのみ

主要なライブ・コンサート

1985年頃はビートルズの音楽を好んで聴いていた。同年、“奥琪ギターコンテスト”に出場し、ポール・サイモンの曲を歌う。そこで、曹平や曹鈞と知り合いになる。1986年、大学へ入学し、エレキギターを買う。

外部リンク

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